8話
もういっちょ、ダニエル視点です。
いつまでも床にへたり込んでいるわけにもいかない。
アルコールによる頭痛と倦怠感を、ニ、三度頭を振るうことではらう。
ゆらりと立ち上がり、瞳に力と熱を宿した男の姿は、恐ろしいくらいに美しかった。
*****
サエが自分のアパートに帰ったことは、まず間違いないだろう。
この状況下で他の場所にのうのうと行けるほどの図太い神経は持っていないはずだ。
違う意味ではものすごく図太いが。
クローゼットを開け、出社する時と同じようにスーツとシャツを選ぶ。
ネクタイは今日はいいだろう。
プライベートな出来事なのだし。
シャワーを浴びるか最後まで迷ったが、早く行動に移したかったことと、事後の気配が色濃く残るこの姿で彼女の前に現れたい、という想いの方が勝った。
この部屋からは出ていけても、ここで自分と身体を繋げたという事実は消えないのだと、サエに思い知らせてやりたかった。
書斎のパソコンを立ち上げ、社員の個人情報が登録されているデータバンクにアクセスする。
何度もあるセキュリティチェックには苛つかせられる。
個人情報保護のためとはいえ、一分一秒を惜しむこの状況では、こんなことをパソコンに設定した時の自分を絞め殺したい気分に駆られた。
実際には何分とかからなかったが、デスクの前でパソコンがデータバンクにリンクするまでの時間は、今までで一番気が遠くなるような長さだった。
「ああ、みつけた」
サエ・ヤマモト。
世界で一番愛おしい女のフルネームを打ちこむと、顔写真と生年月日、学歴、職歴、そして緊急連絡用として登録してある住所とプライベート用の携帯番号とアドレスが表示される。
自分も彼女も仕事用に会社から支給される携帯の番号とアドレスは登録してあるが、プライベートで連絡を取り合う必要は無かったから、今まで知らなかった。
サエのプライベートな情報を知らないことで、仕事で支障を感じた事はなかった。
自分の第一秘書は確かに彼女だが、サエと自分のオフの日が重ならないことは間々ある。
そんな時は、秘書課から彼女以外の人間をつけることもあり、逆に彼女が自分以外の人間のサポートに行くことも皆無ではない。
必要に迫れば話は別だが、お互い、そういったことを聞こうと思ったこともないだろう。
だが、今は必要に駆られている。
職権乱用だろうがなんだろうが、利用できるものはとことん使いきってやる。
そのままデータをコピーし、自分のパソコンと携帯電話に必要な情報を送る。
記載されている番地をざっと見たところ、ここから出発するのであれば、彼女の家には車で行った方が早いだろう。
そのまま、サエを連れて帰りやすいし。
パソコンの電源を落とし、ビジネスバッグに入れてあるはずの車のキーを取りに行く。
一刻も早く、彼女をこの腕に閉じ込めないと。
*****
自宅からサエの部屋までは、愛車をぶっ放して三十分弱、というところだ。
法定速度何ぞ糞食らえと言わんばかりのハイスピードでアクセルをかっ飛ばした。
事故を起こさなかったのが我ながら不思議だ。
彼女が住んでいるアパートは、自分の部屋からちょうど会社を挟んで反対側に位置していた。
生憎と、彼女はまだ部屋には帰ってきてはいなかった。
何度も確認し、念のために一階に住んでいる大家にも連絡を取った。
名前と役職と適当に仕事の要件があると言えば、大家である初老の男は何の疑いもなくぺらぺらと喋ってくれた。
曰く、家賃を滞納したことは一度もないとか。
曰く、室内を改造することもなくきれいに使ってくれているとか。
曰く、この部屋を上司とはいえ男が訪れるのは初めてだとか。
ドアに背中を預け、腕を組み目を閉じる。
意識を聴覚に集中させ、サエがここに辿り着くまでに立てる物音を探る。
程なくして階段を上る足音が響いてくる。
現れたのは自分の期待通りの人物。
昨日とまったく同じ姿の彼女は、自分の存在を認めると、素直に驚きの表情をその顔にのせた。
人の世では、この男の行動はストーカーと呼ばれます(笑)