21話
ダニエル視です。
過去の汚点を話すのは、実はサエが初めてだ。
そもそも、思い出したくもない昔のことであるし、そのことを誰かに伝えて同情されるのも共感されすのも、はたまたしたり顔で意見されるのも真っ平御免だった。
だが、これからの人生を共にしたい女性を見つけた。
人生は何が起こるかは分からない。
もしかしたら明日にはサエは死んでしまうかもしれない。もしかしたら明日には俺は死んでしまうかもしれない。
そうなる前に、後悔はなるべく少ない方がいい。
そして、過去の傷跡さえも知りたいと言ってくれる最愛の人に、抗う術を、俺は知らない。
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「俺の伯父夫婦が地元ではそこそこの名士だって言うのは知っているな」
そう言うとサエは小さく頷いた。
さっきは顔色が悪くなったが、多分彼女が想像しているよりはありふれた話だ。
「大学生の時、仲間で卒業したら起業しようという夢があった。まあ、それは何とか実現したけど。俺はそのことをことさら誰かに触れまわったりはしなかったし、周りの友人もそれを吹聴するような奴はいなかった。けど、どこからかそのことが学内に広まった。ついでに資産家の甥っ子だというのも」
自嘲の笑みを浮かべると、サエが小さく息を飲んだ。
そっと彼女の手を取り、両手で包んだ。
繊細で、柔らかく、温かい。
「まあ、俺は容姿もスタイルも自分で言うのもアレだけど悪くなかったしね」
茶目っ気を込めてそう告げると、サエはようやく微笑した。
どんな表情の彼女も愛しいけれど、やはり笑ってくれている方がいい。
「俺も若かったし、それなりに遊んだよ。あっちから群がってくる女たちをつまみ食いすることも珍しくはなかった。だが、大見得切った手前、一定以上の成果も必要だったし、勉強が一番だった。そんな時かな、あの女に出会ったのは」
「大学の図書館で経済学の論文を取り合って大喧嘩をしたのがきっかけだった。そこで周囲に迷惑をかけたから二人揃って頭を下げに行く中で何となく話すようになった。そこでお互いの専攻が似たようなものだと知って親しくなった。俺は、母親と伯母以外で初めてまともに話せる女に出会った」
「着飾っても、化粧が派手でも無くって、その点だけで言うと地味な方だった。そこも今まで群がってきた女と違って新鮮だった。色んなことを語り合った。未来のこと過去のこと、論文のことや専攻のテーマのこと、その日の夕食やデザートのこともね」
「初恋だった。逆上せあがっていた。そいつは学内でもあまりいい噂を聞かない女だったけれど、本当に理解しているのは自分だけだ、と逆に優越感さえ感じていた。心配して忠告してくれた友人の言葉も流していた」
「その女は頭が良かったよ。初めての恋に浮かれていた俺なんか足元にも及ばなかった。こっちは勝手に一生を共にしたいなんて考えていたけれど、相手にはその気は一切なかった。どころか、そんな俺を陰で嗤っていたくらいだ」
「俺が自由に動かせる金がたかが知れていると知ったその女は、あっさり俺を捨てた。そこからはがむしゃらに努力した。いつかそいつを見返してやると。レストランがようやく軌道に乗って、金銭的にも肉体的にも余裕が出てきた頃に、またその女が現れた。『私が間違っていた、もう一度よりを戻してほしい』とね。その時までは、俺が味わった思いをそいつに知らしめてやる、弄んで捨ててやる、と思っていた」
「だけど、その時気付いた。それなりに社会の荒波にもまれた俺は、その女の考えが透けて見えた。俺が負った以上の傷は、そいつにはつけられない」
「その女にとって、おれはドル札としか映っていなかったんだ」
「そこからは君も知っての通りだ。俺は性欲処理のためだけに、鬱憤を一時晴らすためだけに群がってくる女を抱いてきた。恋愛というただ一点のみにおいて、信頼されるのもするのも真っ平御免だと思ってきた」
「サエ、君に出会うまでは」
「勿論、一目惚れなんかではない。だが、秘書として君と一緒に仕事をするうちに、惹かれていった。業務に対する姿勢や、現場で培った見識、媚びないくせに自分の意見をいつの間にか通す手腕。そうして惹かれていくと、サエの顔や体や匂いにもどんどん欲情するようになった」
「ここ最近は、おれは自分で自分の理性を褒め称えるしかなかった。そうして何とか持ちこたえていたのに、突然天国と地獄を行き来する羽目にはなるし・・・」
「サエ、君で無いといけない理由は百でも千でもあげられる。だから、どうか、」
「俺と結婚してほしい」
君がそばにいてくれないと、息もできない。
自分で書いといてアレですけど、しょうもない理由だな・・・。