大物の予感
静かに眠る、谷崎ベビー。
その傍らに、検査技師が立っている。
退院前恒例の聴力検査が始まろうとしているが、谷崎は微動だにしない。
谷崎が爆睡してくれているおかげで、順調に検査が始まったようだ。
ところが検査技師は首を傾げ、納得のいかない様子だ。
谷崎はいつも、ちゃんと母親の声を聞きとっているから、聞こえていないということはないはずなのだが。
谷崎の右耳を覗き込んだ検査技師は、慌ててこちらに駆け寄ってきた。
「あの……」
申し訳なさそうに話しかけられて振り返る。
「谷崎ベビーちゃんのお耳の掃除、してもらってもよろしいですか?」
谷崎ベビーの右耳を覗き込むと、溜りに溜まった耳垢が、小宇宙を形成していた。
濡らしたガーゼで耳垢の撤去作業に入る。
『お?』
谷崎は一瞬ビクッと動いた。
起きるのか?
起きる様子がないので、俺は作業を続けた。
『おお?』
谷崎の中途半端に上がった右手がビクッと動いた。
やっぱり起きるのか?
やはり起きなかったので、俺は再び作業に戻った。
『うおっほーい!』
何だその掛け声は!
谷崎が左腕を突き出した。
起きてしまうのか?
『…………ZZZ……』
あ、やっぱり寝た。
再び深い眠りに落ちた谷崎は、とても満ちたりた顔をしていた。
耳掃除が終了したことを、検査技師に伝えなくては。
居場所はなんとなく想像がついていた。
さっきから、あいつらがうるさかったから。
『ねえねえお姉ちゃん、ボクと遊ばない?』
『お姉ちゃん、ボクとも遊んで!』
『お姉ちゃん、パンツ何色?』
『すりーさいずは?』
このセクハラ双子、森田悠悟と森田翔悟はつい先日入院してきた。
どこをどう間違えると、あの天使のような顔からセクハラワードが飛び出すようになるんだ。
「耳掃除、終わりました」
俺は、セクハラ双子を無視して、検査技師に話しかけた。
「はーい、ありがとうございます」
検査技師は谷崎の元へと去って行った。
『笹岡、邪魔するなよ、いいとこだったのに!』
邪魔をされた双子は不機嫌になった。
『すりーさいず、聞きそびれたじゃないか!』
って、お前らおっさんか?
『ねえねえ、すりーさいずって、何?』
セクハラ双子と時期を同じくして入院してきた湯川ベビーは、天使のような見た目を裏切らない純粋さを持っている。
ぜひとも君は、そのままでいてくれ!
『湯川、おまえ、そんなことも知らないのかよ?』
『世間知らずだなぁ』
世間知らずも何も、お前らはこの世に出てきたばかりだろうが!
『すりーさいず、ってのは、ぼん・きゅっ・ぼん、のサイズだぞ!』
『女の子には、必ず聞かなきゃいけないんだぞ!』
何かが確実に違う!
湯川、頼むからあいつらの色には染まるなよ!
『ぼん・きゅっ・ぼん、って何?』
セクハラ双子に質問すると、何故だか猛攻撃に遭うことを学習した湯川ベビーは、隣のベッドのさやかに話しかけた。
『別に、今じゃなくても、そのうちイヤでもわかる日が来るわよ』
相変わらず、さやかはドライだ。
『でも、今、知りたい』
でも、湯川は結構頑固なので、そんなことではめげない。
『双子が言うほど大したことじゃないわよ』
『でも気になるもん!さやかちゃんは、知ってるんでしょ?』
『まあ、知ってるけど』
『じゃあ、教えてよ!ねえ!教えて教えて!』
湯川がぐずりだした。
そんな、ぐずるほどの内容じゃないぞ!
『わかった、教えるから』
とうとう、さやかが折れた。
そんなやり取りを見ているうちに、右耳がきれいになった谷崎の、聴力検査が終わったようだった。
「ごめんね、ちょっとイタイよ!」
検査技師が、谷崎に強力に張り付いたテープをはがし始めた。
このテープが、なかなか強力なようで、大抵のベビーはテープを剥がされた瞬間に泣き出す。
『むっ!』
谷崎が顔をしかめた。
それほどに、テープが強力に貼りついていたのだ。
『……』
泣くのか?
『…………』
泣くのか?
『………………』
泣いてしまうのか?
『……ZZZ………………』
って、寝るんかい!
コイツは将来大物になる。
なぜだかそんな予感がした。