採血ウォーズ
衝撃の夜から一夜が明けようとしていた。
外が仄かに明るくなり始めた頃に奴らはうごめき始めていた。
老人並みに早起きだな……って、お前ら新生児だろうが!
『いいか、もう一度、流れの確認だ』
『まずは私がぐったりするんだよね』
『で、敵が紗代の無事を確かめた頃にあたしでしょ?うまくこれが外せればいいけど、ダメだったらとりあえず泣いとくわ』
『さやかの後は、オレが泣けばいいか?』
『そうだ、次に俺が泣く』
『荘ちゃんの次にボクね』
『ボクは、このチューブ、外したらいい?』
『それはダメだ。シャレにならん!』
『じゃあ、ボク、暴れる!』
『いいけど、程々にしろよ』
『僕も泣いて暴れるよ!』
『そうだな。それで、敵がモタモタしているうちにミルクの時間になって、谷崎が泣き出すから、採血どころじゃなくなる……』
『完璧すぎる!』
『完璧すぎるよ、荘ちゃん!』
『今日こそは上手くいきそうね』
朝からよく『声』が聞こえると思ったら、採血されないための算段かよ!
だからいつも朝がやたらと忙しいのか!
まあ、昨晩のショックが響いていないのはいいことだけど。
ふと、荘太と目が合った。
『しまった!』
『どうしたの、荘ちゃん?』
『今日の夜勤、笹岡だった!』
『うわ、じゃあ、今までの僕たちの話聞かれてたんだ!』
『あーあ!』
『ダメじゃん!』
『もうバレてるね』
『ちっ!』
ちなみに、俺がいてもいなくても、奴らの採血阻止作戦は成功したためしがない。
ボクたち、大人をなめちゃあいけないよ。
外がいよいよ明るくなってきた。
夜が明ける。
奴らとの、戦い、が始まる。
「おはようございます!」
爽やかな挨拶とともに、NICUに入ってきたのは纐纈だった。
ということは、今日の採血当番は纐纈か。
『纐纈か……』
『イケメンなんだけどね』
『微妙』
『今日は失敗しないでね』
なんか、全員、いまいちな反応。
纐纈、ドンマイ!
「さて、始めるか」
纐纈の顔に、緊張の色が見えた。
俺がベビーを押さえて、纐纈が採血をする。
『纐纈!痛いぞ!下手くそ!』
『笹岡、押さえるな!逃げられないじゃないか!』
『失敗しないでって言ったのに』
『いーたーいー!』
『み、ミルク?違う!痛い!』
『痛いじゃないか、バカヤロウ!』
全員が力の限り、俺と纐纈に悪態をついている。
「こんな時、本当に『声』とやらが聞こえるなら大変だな」
「ああ、纐纈下手くそって全員に言われているぞ」
「余計な御世話だ」
散々わめかれながら採血をして、残るは荘太のみとなった。
さすがに一歳になっているだけあって、荘太のキック力は半端ではなく、一人では押さえきれないため、ほかの看護師に力を借りる。
『うわぁ!放せ放せ!やめろ!痛い!』
いつも冷静な荘太が泣いている。
荘太の弱点は、採血か。
朝の採血紛争が終わり、戦い疲れたベビーたちは皆、同じ向きに頭を傾けて眠っていた。
微笑ましい光景の中、電話が鳴った。
とっさに受話器を取った。
「はい、NICU笹岡です。はい、は……え?採り直しですか?」
一瞬、ベビー全員がビクッと動いたような気がした。
「わかりました。採り直して、検査室に送ります」
視線の先にいた纐纈が不安げな顔をしてこちらを見ている。
「纐纈」
「採り直しか?」
「ああ」
今、すごく、背後に視線を感じる!
すっごく奴らがこっちを見てる!
ベビーたちのところに歩み寄る俺たち。
ベビーたちは、固唾をのんでその様子を見守っている。
「荘太、もう一回採血だ!」
『俺かよ!』
前話、今回、そして次話は、笹岡君の夜勤~夜勤明けの一連の流れなのですが、うまく繋げられなかったので、三部構成とさせていただいております。