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追憶

 俺がNICUに配属されてから一か月以上が経った。

 一か月もすると、メンバーにも多少は変化がある。

『ねえねえ、紗代ちゃん!』

 今、紗代に話しかけたのはちょうど一週間前に入院してきた鈴村ベビーだ。

『なあに?』

 眠りかけていた紗代はとろんとしながら返事をしていた。

 ちなみに紗代は、保が退院してからもずっとNICUに入院している。

『オレの彼女にならない?』

 俺の記憶が正しければ、この告白を聞くのは七度目だ。

『ごめんなさい、私、心に決めた人がいるから』

 俺の記憶が正しければ、こうして振られるのを聞くのも七度目だ。

 保が退院するときに、俺に、『紗代に悪い虫を近寄らせるな』とものすごい目つきで言っていたけれど、保君、君の想い人はなかなか一途だよ。

『オレ、思ったんだけどさ、本当に、心に決めた人、いるの?』

 鈴村よ、入院してから一週間、毎日フラれ続けているのに、脈がないことに気付かないのか?

『いるけど……その……』

 紗代は口ごもった。

 おそらく、保のことを知っているベビーがまだいるからだろう。

『ほら、本当はいないのに嘘ついてたんだ!』

 鈴村よ、本当はいないのに嘘をつかれていた方が残念だと思うぞ。

『私、知ってるわよ、紗代の好きな人』

 おませのさやかが二人の会話に割り込んできた。

『え?オレでしょ?』

 鈴村よ、違うとは思わないのか?

『違うに決まってるでしょ!ちょっと前まで紗代の隣のベッドにいた……』

『わー!待って!ストップ!さやかちゃんストップ!』

 さやかが最後まで話す前に、紗代が慌てて遮った。

『慌ててるってことは、図星でしょ!』

『な、何でわかったの?』

『わかるわよ!親友歴一か月半をなめないでよね!』

 短っ!でも、それは彼女たちの人生のすべてなのだ。


『要するに、紗代ちゃんの好きな人はオレってことだよね』

 鈴村よ、さっきの話は聞いていたか?

『だから、違うって。鈴村が来る前に退院した鈴村よりももっとイケメンの男の子よ』

『そんなぁ……』

 ここで、やっと鈴村は紗代の好きな人が自分でないことに気付いたようだった。

『なんだかんだ言って本当はオレのことが好きでしたみたいなシンデレラストーリーになると思ってたのに!』

 鈴村よ、それはシンデレラストーリーとは呼ばないと思うぞ。

『こうなったらやけミルクだ!笹岡!ミルク!』

 鈴村がぐずりだした。

「鈴村君、ミルクは一時間後だぞ!」

『何?一時間だと!それじゃあ三十五分も待たなきゃいけないじゃないか!そんなに待てるか!』

 鈴村よ、どうして一時間が三十五分という計算になるんだい?

『ミルクミルクミルク!あと彼女!』

 鈴村がぐずりだし、とっさに俺は鈴村を抱っこした。

『こら、放せ!オレは彼女がほしいんだ!男に抱っこされてたま……ZZZ……』

 ちょろいな、コイツ。


 あっさりと眠りに落ちた鈴村ベビーをベッドに戻していると、NICUの扉が開く音がした。

 そして、存在感を露わにするような足音がして振り返ると、白衣を着た老人がそこにいた。

『あ、爺ちゃん先生だ!』

『爺ちゃん先生って、爺ちゃんだから先生辞めたんじゃないの?』

 確か、この人は、前年度で定年退職したはずだ。

「何で君がここにいるんだね?」

 俺を見て忌々しげにそう話した老人には見覚えがあった。

 むしろ、忘れることなどできなかった。

 この医者のことも。

 そして、あの忌々しい事件のことも。


 当時学生だった俺は、実習でここの病院に来ていた。

 そして、NICUの実習でこの病棟にやってきた日のことだった。

『……イタイ…………おなかイタイ……』

 その時聞こえてきた、苦しそうな『声』を、無視できなかった。

 誰かに伝えなくては。

「あの」

 俺は、近くにいた看護師に、話しかけた。

「はい、何かしら?」

 それは、当時の主任、今の看護師長の楠木さんだった。

「あの子、おなかが痛そうに見えるんですけど……」

「あら、そう?」と言って、ベビーのもとへと向かった楠木さんは、ベビーの様子を見て戻ってくると、俺に告げた。

「いつも通りに見えるけどねぇ」

『…………イタイよ………………誰か……』

 段々と、ベビーの『声』が弱々しくなっていった。

 やっぱり、このまま見捨てるわけにはいかない。

「あの!」

 俺は、もう一度楠木さんに話しかけた。

「どうしたの?」

 俺のあまりの剣幕にびっくりして振り返った楠木さんに、俺は懸命に伝えた。

「やっぱりあの子、調子が悪そうに見えるんです」

「うーん、いつも通りに見えるし、バイタルもおかしくなさそうだけど、一度ドクターに診てもらうわね」

 その時、近くにいた医者が、今、俺の目の前にいる老人、川鍋(かわなべ)医師だった。

「フン、ガキが、赤ちゃんの異常を見分けたつもりか、馬鹿馬鹿しい」

 俺にだけ聞こえるように悪態をついた川鍋医師は、ベビーの様子をちらりと見て、「いつもと変わらん」と、吐き捨てるとNICUから出て行ってしまった。


 その翌日も俺は、NICUの実習だった。

『おい!お前!』

 俺を見るなり、一人のベビーが『声』をかけてきた。

『昨日アイツがおなか痛いって気付いて教えてくれてたよな!』

 アイツと呼ばれたそのベビーが昨日いた場所に、例のベビーはいなかった。

『アイツ、あの後死んじまったんだ!』

『おなかに悪い奴ができてて、そのせいだって、大人が皆言ってた!』

 ベビーたちの『声』が俺に訴えてかけてきた。

『早く見つけてれば、助かったって!』

『あの時ちゃんとお前の言葉が伝わってたら、アイツ、死ななかったんだ!』

 俺は、聞こえていながら、あのベビーに何もしてやれなかった。

『なあ、悔しいよ!』

『僕も悔しい!』

『私も、悔しいよ!』

 ベビーたちが、泣き出した。

『泣いても泣いても、ずっと悔しいんだ!なあ、この悔しい気持ち、どうしたらいいんだよ?教えろよ!』

 泣き続けるベビーたちを見ながら、俺は呆然と立ち尽くしていた。


 川鍋医師からも、楠木さんからも、あの時のあのベビーの話は、一度も聞かなかった。

 俺が伝えたあのベビーの『声』は、最初からなかったことになった。

 あの時俺は、心に誓ったんだ。

 『声』なんて、聞こえなかったことにしようと。

 どうせ誰も、信じてくれないのだから。

 あんな悔しい思いは、もう二度と味わいたくないから。


 川鍋医師に睨まれながら、ふと俺も考えた。

 俺は、ここに就職してから今まで小児科とは全く縁のない病棟にいた。

それなのに何故、突然NICUに異動になったのか、俺自身も知らなかった。

「私が推薦しました」

 俺の背後で楠木看護師長がそう言い、俺は看護師長を振り返った。

「何か、不都合なことでもおありですか?」

 川鍋医師は黙って顔を背けた。

「ところで、本日はどういったご用件で?」

 看護師長は笑顔のままで言った。

「ああ、そうだった、今年度から新しく小児科に入った先生にNICUを案内してもらおうと思いまして」と言うと川鍋医師は、入口を振り返った。

纐纈(こうけつ)君、待たせたな。入りたまえ」

「はい」

 爽やかな返事とともに、一人の医者が入ってきた。

「あれ?笹岡じゃないか?久しぶりだな」

「あ、纐纈……久しぶりだな」

 新しい小児科医は、俺の小学校の同級生だった。

 めちゃくちゃ頭が良くて運動もできて、ものすごく女子にモテていたことは覚えている。

でも、すごく嫌味な奴だったから、俺は纐纈のことが嫌いだったことも覚えている。

 新しい医者が同級生だと分かったものの、特に話すこともなかったので、俺は自分の仕事に戻った。

「では、NICUをご案内しますね」

 看護師長に言われて、纐纈がそれにつき従った。

 川鍋医師は、俺を一睨みしてから二人の後を追って行った。


『今の人、かっこいいね!』

 三人が歩いて行った頃、一人のベビーが話し始めた。

『え?爺ちゃん先生?』

『そっちじゃない方!』

『なんか、若々しくてできる男って感じだよね!』

『イケメンだよね!』

『笹岡よりもイケメンだね!』

『え?オレのこと?』

 何とも絶妙なタイミングで、鈴村ベビーが目を覚ました。

『全然違うわよ。さっきまでそこにいたコーケツとかいう医者の話よ』

 さやかがすぐさま訂正した。

『またまた、さやかってば照れちゃって!』

『照れている要素がどこにも見当たらないわ』

 さやかは冷静に、鈴村に対応している。

『さやか、それって、ツンデレってやつだろ?』

 鈴村よ、どこでツンデレなんて言葉を覚えてきたんだ?

『どこが?』

『本当はオレのこと好きで好きでたまらないんでしょ?』

 鈴村よ、どうしてそんなにポジティブになれるんだ?

『あたし、あんたみたいなお子ちゃまには興味ないの』

 お子ちゃまって、数か月の差だろうが!

『何で今日はこんなにフラれるんだ?』

 それでも、鈴村ベビーには決定打になったようだ。

 鈴村が明らかに不機嫌になった。

 また泣くのか?

『じゃあ、さやかは笹岡みたいなオッサンがいいのか?』

 八つ当たりだ!

 しかも俺に!

『そうね、鈴村よりは笹岡の方がタイプよ』

 悪いな鈴村、オッサンの方がモテて。

『でも、一番はパパだなぁ』

 さやかが嬉しそうに言った。

『それ、わかる!』

『パパって、なんか輝いて見えるよね!』

 女の子たちは皆、その意見に賛成のようだ。

『私、パパのお嫁さんになりたいもん!』

『私も!』

 女の子の父親になったらぜひとも一度は言われたいセリフだ。

『パパは、二番目かな』

 そんな中、紗代がぽつりと言った。

 少しだけ、紗代の父親に同情した。

『オレだって、一番はママだよ!』

 鈴村が誰にともなく言った。

『え?別に聞いてないけど?』

 そして帰ってきた反応は、実にそっけないものだった。

『聞いてよ!聞こうよ!オレの一番気にならない?』

『別に』

『あんまり』

『全然』


『ねえねえ、荘ちゃんは?』

 女の子に総なめに相手にされなかった鈴村は、話題を荘太に振った。

『鈴村の一番に興味はない』

 それでも、反応は冷たいものだった。

『じゃあさ、荘ちゃんの一番は誰?』

 鈴村の『発言』を聞いて、俺は考えた。

 荘太の一番も、母親なのだろうか?

 そう思いながらも俺は、配属されてからの一か月を思い起こしていた。

 俺が配属されてから一度も、荘太の母親が見舞いに来たのを見たことはなかった。

 荘太は、ちっとも見舞いに来ない母親のことを、一番に想っているのだろうか?

『さあ、誰だろうな?』

静かに答えると、荘太は皆に背を向けた。

 誰もそれ以上は追及しなかった。

 そっと荘太に歩み寄った俺には、荘太が小さく呟いたのが聞こえた。

『一番は、ママに決まってるだろう?』

 なぜだろう、その『言葉』を聞いて、すごくほっとしたのに、その『言葉』が胸に突き刺さるようだった。

『なあなあ、笹岡は?』

 沈黙に耐えかねたのか、鈴村は、今度は俺に話題を振ってきた。

 俺も、鈴村の一番には、興味ないぞ?

『笹岡は誰が一番好き?』

 あ、そっちか。

『この中で』

 この瞬間、俺の中で一番無難で、一番空気が読めている感じだった母親という選択肢が消去された。

 まあ、タイプって言うだけだからな。

「この中なら、紗代かな?」

『ごめんなさい!』

 俺は、発言した0.12秒後に、0歳児に振られてしまった。

 告白したわけではないのに。

『あーあ、フラれたな』

『ドンマイ』

『笹岡は清純派が好きなんだな』

『女は紗代だけじゃないから』

『そうへこむなって』

 そして、俺は0歳児たちに励まされていた。

 告白したわけではないはずなのに。

『なあなあ、笹岡』

 ものすごく嬉しそうに、鈴村が話しかけてきた。

『オレたち、今日からモテないブラザーズだ!』

 にやにやしながら、鈴村が言った。

『な!兄弟!』

 お前と一緒にするな!

『荘ちゃんも入る?』

『遠慮する』


 そんな話題の発信源になっていたとは知らずに、看護師長の案内のもと、纐纈たちが戻ってきた。

『キャー!戻ってきた!』

『やっぱりかっこいい!』

『コーケツ先生あたしを抱っこして!』

『あたしが先よ!』

 女の子たちの黄色い『声』が俺とベビーたちにだけ聞こえていた。

『悔しいけれどオレよりイケメンだな』

 そんな中、鈴村は潔く負けを認めていた。

『ちっとも悔しくないけど、笹岡よりもずっとイケメンだな』

 だが、『一言』多い。


 川鍋医師が、俺をちら見しながら纐纈に何か耳打ちしている様子が見えた。

 川鍋医師がいなくなったNICUなら、多少は俺の言葉に耳を傾けてくれる人が出てくるかもしれないと思っていたのだが。

 纐纈とはあまり仲が良くなかった上に、纐纈には川鍋医師の息がかかっている。

 これから先が思いやられて、思わずため息が漏れた。

『おい兄弟、失恋がそんなにショックだったのか?』

 そっちのため息じゃない!

いときりばさみの必要かどうかも怪しい用語解説

・鈴村……こんにちは赤ちゃんを代表するおバカ。

・バイタル……呼吸とか脈とかの様子や数値で見る、患者の状態。

・ツンデレ……日頃はつんけんした態度をとる人が、たまにでれでれすること。

・0.12秒……笹岡が誰が好きか問われて「この中なら、紗代かな?」と言ってから振られるまでの時間。

・モテないブラザーズ……同じ日に紗代に振られた鈴村と笹岡を総称した呼び名。彼らは決して血のつながった兄弟ではない。

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