感じるDNA
突然の休日から一夜明けた。
『今日は、休みじゃないぞ!働け!』
『やーい、笹岡、バーカ!』
『笹岡、アホー!』
一夜明けたにもかかわらず、俺はベビーたちに昨日と同じネタで馬鹿にされていた。
『笹岡、ボケ老人!』
何で老人なんだ?
『オマエナンカボケテミロ!』
何だ、その無茶振りは!
『なんか面白い話ないの?』
ない!
『ないの?』
『つまらない!』
つまらなくて結構!
『そういえば笹岡、何か月か前に翠先生に告白してたよな、あれ、どうなったんだ?』
荘太!いらんこと思い出すな!
『え?何それ?』
『面白い!』
ほらやっぱり面白がられた!
『笹岡、翠先生と結婚するの?』
告白の返事すらもらっていません!
『ボクの翠先生なのに!』
『笹岡バカヤロウ!』
『笹岡、変態!』
何で告白しただけで変態呼ばわりされなきゃならないんだ!
『じゃあ、笹岡はささおかみどりになるの?』
飛躍しすぎだし、ならない!
『ささおかみどり?』
『略してささみ!』
略すな!
『やーい、ささみ!』
『ささみ、オムツ替えろ!』
何故だかささみで定着してる!
『ささみ、ミルク!』
『ささみ、ミルクこっちも!』
『……ササミ?ナンダソレ?』
『Chicken.』
『Oh!ササオカ、チキンヤロウ!』
何が悲しくて俺は、チキン野郎呼ばわりされなければならなかったのだろうか?
『あ、写真の兄ちゃんだ!』
『写真の兄ちゃん!』
『シャシンのアニキ!』
ベビーたちの興味の方向が不意にそれたのは、写真の兄ちゃんこと放射線技師が現れたからだ。
ちなみに写真の姉ちゃんの時もある。
放射線技師はその日の検査予約の入っていたベビーのX線写真をひとしきり撮り終えると、出口の方へと歩いて行った。
出入り口のところで、機械を傍らに寄せた放射線技師は誰かに話しかけていた。
「近間先生って、NICU当番サイクルに入ってたんですか?医局長なのに?」
「いや、いつもは入ってないんだけどね。今日は当番の人が急に体調を崩しちゃって」
整形外科の医局長の近間医師の声がした。
しばらくして、放射線技師は機械とともにNICUから出ていき、入れ替わりに近間医師が入ってきた。
その時だった。
『パパ!』
初めて梓が『パパ』と呼んだのは、恐らく初対面であろう整形外科医だった。
『パパ!パパ!ねえ、パパなんでしょ!パパ!』
うちの病院は、不妊治療にも力を注いでいて、その一環として、特に有能な医師なんかに精子バンクへの登録を勧めていると聞いたことがある。
この病院で指折りの名医である近間医師は、精子バンクへの登録を勧められている可能性が高い。
もしかすると、既に登録しているかもしれない。
もしかしたら、近間医師は梓の本当の……。
今日の整形外科受診のベビーの中に、梓は含まれていなかった。
『パパ!パパ!そっちじゃないよ!私はここだよ!何で来てくれないの!ねえ、パパ!』
梓は泣き出してしまった。
梓を抱っこしてあやし始めた俺に一通り診察を終えた近間医師が気付いた。
ところが、こちらへ歩み寄ろうとした近間医師のPHSが鳴った。
「はい、近間です。はい。……わかりました。今から行きます」
近間医師は、俺に軽く会釈をして、立ち去って行った。
『パパ!パパ!何で行っちゃうの?パパ!ねえ、どうして?』
叫び続ける梓をあやすことしか俺にはできなかった。
面会時間が訪れた。
『ママー!』
『ママ!』
ベビーのママが多い中、時間を作ってきたらしい梓の父親がいた。
『ママ!ママ!抱っこ!』
今日も梓は、ママの隣にいる男性を『パパ』とは呼ばない。
そして、今日も父親は、優しく梓を抱っこしようとした。
『やめてよ!触らないで!』
ところが、父親が触れるか触れないかの瞬間に、梓は泣き出した。
『何で、オジサンが抱っこするのに、本当のパパが抱っこしてくれないの!』
「あず、今日はゴキゲンナナメさんだねぇ」
泣いた原因が自分だと知ってか知らずか、父親は、めげずにそのまま抱っこして、あやそうとしていた。
それでも、梓の涙は止まらなかった。
『オジサンのせいで、あんたのせいで……あんたなんか、パパじゃない!』
完全に、八つ当たりだ。
『あんたなんか嫌い!大っ嫌い!』
父親に、『声』が聞こえなくて、よかった。
とうとう泣き疲れて眠ってしまった梓を、父親は悲しい表情で見つめていた。
こんなに愛を注いでいるのに、こんなに一生懸命なのに、梓は父親になつく気配がない。
それでもめげずに頑張る父親は、本当にすごいと思う。
梓を見つめる父親の表情は悲しげだったが、その眼差しは暖かかった。
いつか、この暖かい眼差しが、梓の心に届く日が来ると、信じたい。
梓を思う父親のためにも。
梓自身のためにも。
面会時間が終わり、部屋に残っている大人は職員だけになった。
梓はまだ、眠っている。
ふと、扉が開いて、誰かが入ってきた。
近間医師だ。
「ここら辺に、ボールペン落ちてなかったかい?」
「これですか?」
落し物入れに入っていたボールペンを取り出した。
「そう、それそれ、ありがとうね」
近づいてくる近間医師。
俺の頭にたくさんの質問が浮かんでいた。
先生は、精子バンクに登録していますか?
先生は、AB型ですか?
先生は、梓の本当の父親ですか?
先生は、梓を愛してくれますか?
でも、俺が真実を知ったところで何の解決にもならない。
真実を知ったからといって、梓と近間医師は戸籍上他人のままだ。
真実を知ったら、梓と父親の仲がどうにかなるわけでもない。
近間医師はボールペンを受け取ると、足早にNICUを後にした。
俺には、黙って見送ることしかできなかった。
『パパ……』
梓が『寝言』でそう言った。
ごめんな、梓。
俺には、近間医師が梓の本当の父親か、確かめる勇気もなかったよ。
『ササオカ!チキンヤロウ!』
そうきたか!ていうか、サラさん?
『ムニャムニャ』
て、こっちも『寝言』かい!