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『声』が聞こえる

 某携帯小説サイトで執筆していたものを、加筆修正しております。

 俺がその扉の前で立ちすくんでいたのには訳があった。

 あの頃と変わらないその光景が、俺の心の奥底に沈めていた苦い記憶を呼び覚ましていたから。

 そして……。

 立ちすくむ俺の後ろを、新入職員たちが通り過ぎて行った。

 そのうちの何人かは不審そうに俺を見ているのを感じた。

 このままでは怪しまれてしまう。

 俺は一歩踏み出したが、扉は開かなかった。

 扉の前に手をかざしてみたが、やはりピクリとも動かなかった。

 今、俺にとってここでの最大の問題は、この扉の開き方を覚えていないことだ。

「まさか、手動?」

『バカ!違う!フットスイッチだ!』

「そうか、フットスイッチ!」

 謎の『声』に助けられて、俺は無事に扉を開くことができた。

 だが、次の瞬間、

『不審者だ!』

俺は、不審者に認定されてしまった。

『不審者が来たよ!』

『誰か、助けて!』

 奴らが俺のことを『不審者だ』と騒ぐ中、誰かがこちらに歩いてくる足音が聞こえた。

『あ、シャッチョーだ!』

 『シャッチョー』と呼ばれた女性は俺の方に歩いてきた。

「あら、あなたは……」

『不審者だよ!』

 違う!

「今日からここの配属になった笹岡明(ささおかあきら)です」

 奴らの発言をもみ消すように俺は言った。

『シャッチョー、オムツ替えて!』

『シャッチョー、不審者だよ!』

『それ以上近寄ったら危ないよ!』

『シャッチョー、あれ誰?』

『まさか、愛人?』

『恋人?』

『変人?』

『変人だよ!』

『変態だよ!』

『ねえ、オムツ気持ち悪い!』

『シャッチョー!そいつから離れろ!』

『危ないぞ!』

 俺の発言は全く奴らに届いていないようだったが、奴らの忠告に耳を傾けることなく、『シャッチョー』はオレに手招きをした。

『シャッチョー!オムツ替えてくれないと泣くぞ!』

「あの、社長さん?」

「はい?社長?」

 俺を振り返った女性はくすりと笑った。

「私は、ここの看護師長の楠木(くすのき)です」

 病棟でナース服を着ている社長がいるわけないよなと、俺は自分の発言を後悔した。

『シャッチョー!オムツ気持ち悪い!』

「あらあら、あの子、泣き出しちゃったわね、どうしたのかしら?」

楠木看護師長が不思議そうに言ったのを聞いて、俺はこの人にはやはり、聞こえていないのだと確信した。

「NICUの皆に案内するわね」


 俺の新しい配属先は、NICU。

NICUというのは、新生児集中治療室の略称で、簡単に言えば未熟児で生まれてきたり、病気で生まれてきたりした赤ちゃんを治療するための病棟だ。

『シャッチョー、どこ行くの?』

 そして、看護師長には聞こえていない。

『そっちにはお姉ちゃんたちがいるじゃないか!』

『お姉ちゃんたち!逃げて!』

ナースステーションにいるナースたちも誰一人として反応していない。

俺には、看護師長にも、ここのナースたちにも聞こえないものが聞こえてしまう。

それは、赤ちゃんの『声』。

彼らの『想い』が『声』として聞こえてきてしまうのだ。


『しまった!出てくるの早まった!羊水が恋しい!』

 ナースステーションはベビーたちがいる場所とさほど距離がないため、奴らの『声』は筒抜けだ。

『騒がしいわね、あんたたち、どうしたの?』

『あ、さやかちゃん、見てアイツ!』

 ナースステーションは、ベビーたちがいる場所とさほど距離がないため、ベビーたちから俺らの姿も丸見えだ。

『不審者だよ!』

『見るからに怪しいよね!』

 見るからに看護師だろうが!

『ねえ、誰か、オムツ替えて!』

『誰か!羊水!』

『ママはどこ?』

 そんな事とはお構いなしに、自由に『発言』しているベビーもいる。

『あの服装、看護師じゃない?』

 どうやら、さやかちゃんとやらはわかってくれたようだ。

『えー?違うよ!』

って、すぐさま否定するなよ。

『でも、白いの着てるね』

『白いの着てるとそれっぽく見えるね』

 それっぽくじゃない!正真正銘看護師だ。

『マゴにも衣装ってヤツか?』

『ボク、おじいちゃんじゃないよ!』

『私も、おじいちゃんじゃないよ!』

『でも、男で看護師なんて見たことないぞ!』

『たぶんアイツ、白いの着るのが趣味なんだ!』

 何でそうなる?

『変態だ!』

『変態に違いない!』

 どうやら、俺は変態ということで落ち着いたらしい。

 ものすごく不本意だ。


 ナースステーションに看護師たちが集まってきた。

 だいたい全員がそろったところで看護師長が口を開いた。

「今日からここの配属になった笹岡明君よ」

『すごい!さやかちゃんの言ったとおりだ!』

『さやかちゃん、すごい!』

 そうだぞ、俺は看護師なんだ、わかったか?

『おはよう』

『おはよう、荘ちゃん!』

『荘ちゃん、あれ見て!不審者!』

 って、全然わかってない!

『違うよ!変人だよ!』

 ちっともわかってない!

『違うよ!マゴだよ!』

 何だよ、マゴって?

『違うよ!変態だよ!』

 何でまた、俺は変態ってことで落ち着こうとしているんだ?

『新しい看護師、笹岡っていうんだって』

 呆れた様な口調で、さやかという子が言った。

『ふーん、新入りか。新入りの癖に何かあんまり若々しくないな』

 そう俺に言う荘ちゃんとやらも、その『言動』は全く赤ちゃんらしくなかった。

 むしろ、重鎮の風格が漂っていた。

『まあ、よろしくな、新入り。どうせ聞こえてないだろうけど』

 その『声』は確かに届いていたが、俺は反応しないでいた。

 俺は知っているから。

 『声』が聞こえるなんて、赤ちゃんの『想い』が聞こえるなんて、誰も信じてくれないということ。

 嘘をついていると思われるか、おかしいと思われるか、いずれにしても、信頼されるはずがないということ。

 NICUに異動になったと知った時から、俺は心に決めていた。

 『声』が聞こえるということは、隠し通してみせると。

 平凡な看護師として生きてみせると。


 看護師長についてNICUの中を一通り案内された俺は、再びベビーたちの元へと戻ってきた。

『あ、笹岡だ!』

 どうやら、俺の名前を覚えてもらえたようだ。

『笹岡、オムツ!』

『笹岡、ミルク!』

 そんなに一気に言われても、俺一人では対応しきれない。

『笹岡、ミルクこっちも!』

 いや、こっちもって!

『ていうか、おしゃぶり、まだ?』

 まだって言われても、君の傍らにあるのは、おしゃぶりだよね?

『ていうか、ママ連れてきてよ』

 それは、面会時間まで待ってくれ。

『ていうか、羊水まだ?』

 その願いを叶えるのが一番難しそうだ。

『ねえねえ、笹岡、全然若々しくないけど何歳?』

 全然若々しくないって、言う必要あるか?

『笹岡、彼女いるの?』

『あの顔じゃ、いないでしょ?』

 ピンポーン!

 大正解!って、そうだけど、そうじゃなくて。

計ったかのようなタイミングで、インターホンの鳴る音がした。

 その瞬間、さっきまで騒がしかったはずのベビーたちの『声』が静まり返った。

 どんな音も聞き漏らすまいと、全員が集中しているようだった。

「佐倉です」

 若い女性の声がした。

『あ!ママの声だ!ママ!ママ!』

 その瞬間、一人のベビーが歓喜の『声』をあげた。

 どうやらベビーたちのお待ちかねの面会時間になったようだ。

『いいなぁ!』

『ボクのママも早く来ないかな?』

 他のベビーたちは、羨ましそうにしていた。


『ママ!来て!』

『パパ!来て!』

『今日はママもパパもいる!わあい!』

『じいじ!』

『ばあば!』

『誰でもいいから、ママ、来て!』

 面会時間が佳境を迎え、誰かが面会に来たベビーは、歓喜の『声』をあげ、誰も来ていないベビーは、悲しげな『声』をあげていた。

 そんな中、一人だけ大人しくしているベビーがいた。

 重鎮、中山荘太(なかやまそうた)だ。

 そっと、荘太のもとへと歩み寄った。

『何だ、新入り、同情か?』

「荘太君、お利口さんだね」

 あちらこちらでベビーたちが『声』を上げる中、大人しく両親を待っていられる荘太は、とても賢く見えた。

『お利口さん?笑わせるなよ。俺が本当にお利口さんだったら……!』

 だが、拗ねた様な発言をした後、荘太の呼吸が荒くなり、警告アラームが鳴りだした。

「おい、大丈夫か?荘太?」

 荘太はもがくようにしていて、返事をしない。

「キャー!荘ちゃん!大変!」

 警告アラームに気付いた先輩ナースがすぐに駆け寄ってきた。


 先輩ナースの迅速な対応により、荘太は事なきを得た。

「ここ最近落ち着いていたんだけどね」

 ぽつりとそう言った先輩ナースは、まだしばらく危ないかもしれないから様子を見ているようにと俺に告げ、その場を離れていった。

 俺が、余計なことを言ってしまったからかもしれない。

 でも、褒めただけなのに、何で急にあんなふうに?

 そう思いながら荘太を見つめていると、荘太が寝返りを打って、俺を振り返った。

『見苦しいところを見せちまったな、新入り』

 さっきまで死にかけていた0歳児に俺は気遣われていた。

それにしても、俺はなぜだかこの『声』に聞き覚えがあった。

『それにしても、ドアをこじ開けようとしたのはお前が初めてだぞ』

「あ、朝の『声』は、荘太だったのか!」

 俺にフットスイッチを教えてくれたのは、荘太だったのかと、一人で納得していると、荘太が目を丸くして俺を見ていた。

『笹岡、俺たちの『声』、聞こえてるのか?』

 『声』が聞こえるという俺の秘密は、あっさりとバレてしまった。

『そうだ、ちょうど、オムツが気持ち悪かったんだ。お前、替えろよ』

 隠し通してみせる、と心に誓っていたはずなのに。

『おい、笹岡、オレの『声』、聞こえてるんだろ?早くオムツ替えろよ』

 平凡なナースとして過ごすはずだった計画が、初日にして脆くも崩れ去り、早速パシリにされてしまったかわいそうな俺。

『オムツの替え方を俺が教えてやる』

 しかも、何故かオムツの替え方まで指南されるようだ。

 これから先が、思いやられて仕方がない。

いときりばさみのわかりやすいかもしれない用語解説

必要なものから全く必要性を感じないものまで何でも解説するよ!

・フットスイッチ……足で操作するスイッチ。

・シャッチョー……赤ちゃんたちが看護師長に着けたあだ名

・不審者……主人公笹岡明の第一印象

・NICU……新生児集中治療室をかっこよく英語にして省略した呼び名。生まれて出てきたけれど、未熟児や病気があって呼吸とか体温とか治療とかいろいろ必要なベビーが入院する場所。

・羊水……赤ちゃんがお腹の中にいる時にお腹の中にある水。出て来てから恋しくなるかは謎。

・変態……主人公笹岡の第二印象

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