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第1章 起動 / 02

A社のシステム障害の初期対応を終えた環と千草は、自社に戻るなり、その足でシステム開発部へ向かった。

経緯と、千草が突き止めた原因を開発部の社員に一通り説明するが、環の丁寧な口調とは裏腹に、社員たちの表情は次第に曇っていった。


「やっぱり、昨日のリリースでクローズ抜けてるっぽいな…」

「修正パッチ当てます。山内さん、今日いけます?」


システム画面が表示された端末を覗き込んで、早速分析作業に取り掛かり始める社員たち。

その中で、デスク脇に肘をおいた男性が、深いため息とともにぼやく。


「……これ、徹夜コースだな……」


その様子を見て、思わず「…すみません」と謝罪の言葉を漏らす環に、隣の社員が少し慌てたような口調でフォローを入れ始めた。


「いやいや、元はうちのミスが原因ですから。初期対応でここまで動いてもらっただけでもすごく助かりますよ。ありがとうございます、月村さん」


礼とともに、軽く頭を下げる。


「千草くん、ログ一目見て原因見抜いたんだろ?相変わらず、規格外だな」


別の社員が、千草に向かいそう言って、ふっと口の端を吊り上げる。

そしてまた別の社員が、茶化すような口調でこう続けた。


「さすが、運用サポート部の名コンビ」



◇◇◇



「あっ、月村さんに千草くん。お疲れさま~」


開発部のオフィスを出て、しばらく廊下を歩いたところで、対面方向から歩いてきた女性が明るく声をかけてきた。

首から下げられた社員証には、『カスタマーサポート部 橋本』の文字が揺れている。

環は、軽く会釈して「お疲れさまです、橋本さん」と挨拶を返した。


「田村くんから聞いたよ。大変だったね」


橋本は、人懐っこい笑顔で、気さくに労いの言葉を投げる。

ふと、環の背後にいた千草に視線を向け、ふふっと口元を抑えながら笑った。


「千草くん、今日も大活躍だったみたいね。うちの田村くん、すっかり千草くんのファンになったみたい。A社から帰ってくるなり、『ちょっと見ただけで、一瞬で解決したんです!あんなすごい人見たことありません!』って大騒ぎして」

「……そうですか」


橋本は饒舌に千草を褒めたが、千草はそれ以上何も言わず、その表情はピクリとも動かなかった。

そんな千草の反応も気にすることなく、橋本は「あ、そうだ」と思い出したように切り出すと、再び環の方に向き直る。


「月村さん、障害報告書の作成、お願いできる?現場行ったし、一番詳しいよね?」


その依頼に、環は静かに頷き、了承を示す。


「分かりました。期限はいつですか?」

「忙しいとこ悪いんだけど、明日までにお願いできるかな…。営業がうるさくてさ~」


顔の前で手を合わせ、眉をハの字にする橋本。


「…了解しました。できたら連絡します」

「助かる~!さすが月村さん!」


大げさに甲高い声で礼を言って、橋本は「じゃあ、よろしくね~」と言い残し、足早にその場を去っていった。

環と千草は、橋本の後ろ姿を見送ることなく、そのまま運用サポート部へと足を向けた。



◇◇◇



橋本と別れた後、運用サポート部のドアを開けた瞬間、環と千草を待ち受けていたのは――予想通りの光景だった。


「原因特定は済んでいます。具体的対応はこれからで…」

「いえ、御社への影響はありませんので、ご安心ください」

「お疲れさまです、運用サポート部の木村です。はい…ええ……」


ひっくりなしに鳴り響く電話。

メールや社内チャットの通知音。

バタバタと忙しなく動き回る社員たち。

大規模なシステム障害が起きた後の運用サポート部は、いつものように戦場へと様変わりしていた。


「あっ!月村さん、千草!やっと戻ってきた!」


その中で、たった今電話を切ったばかりの同僚の木村が、環と千草の姿を見るなり半ば叫ぶ勢いで声をかけた。

環は自席に戻ると、杖を脇のラックに立てかけ、ゆっくりと腰を掛ける。長時間移動の疲労からか、無意識に椅子に深く座り込み、背もたれにぐっとよりかかった。

続いて千草も、自席――環の隣席に無言で戻ると、すぐさまデスクに置かれたパソコンの起動ボタンを押す。


「遅くなって申し訳ありません」

「いやいや、そんなことないよ。大変だったでしょ」


軽く頭を下げた環に、木村は苦笑いでそう答えた。

フロア内をさっと見渡すと、再び環に視線を戻す。


「こっちも、ご覧の有様で…もうてんてこまいだよ。開発部には話通った?」

「はい、早速修正対応を始めてくれています」

「ああー、良かった。…で、帰ってきたばかりで悪いんだけどさ、月村さんと千草も手伝ってくれる?」


そう言いながら机の脇の引き出しから2組のヘッドセットを取り出し、机越しに環と千草に手渡す。

電話は、相変わらず鳴りやまない。

環と千草は、ヘッドセットを受け取り電話機に端子を繋ぐと、すぐに電話対応に取り掛かった。


「もしもし、月村です。はい、戻って来ました。開発部には先ほど……」

「千草です。原因特定しました。夜間バッチは本日仮停止します」


――その日は、結局定時を過ぎるまで電話対応に追われ続けることとなった。



◇◇◇



ようやくコール音が落ち着いた頃、運用サポート部の窓の外はすっかり暗くなっていた。

10月も終わりに差し掛かった今では、定時である18時を過ぎた頃にはもうほとんど日が落ちてしまう。


「……はい。はい。承知しました。では、失礼します」


環は、本日最後となる問い合わせ対応を終えると、ヘッドセットを頭から外し、深いため息をついた。

背もたれに思い切り寄り掛かると、ぐっと腕を伸ばす。

オフィス内は、ようやく完全に静けさを取り戻した。


「…お疲れさまでした」


隣席でパソコンに向かって作業をしていた千草が、視線をモニターに向けたまま、呟く。

気づけば、他の社員たちは次々に退勤し始めており、フロアには数人がまばらに残る程度となっていた。

環は、千草の方を向いて、ふっと口元を緩める。


「千草くんも、お疲れさま。今日は本当に助かったよ」

「……問題ありません」


相変わらず淡々とした調子で、そう答える。

今日の作業は全て終了したようで、パソコンのシャットダウンボタンをクリックした。

しばらくして、モニターの電源が落ち、画面が暗くなる。

千草はちらりと腕時計を確認すると、デスクの下に入れていた鞄を取り出し、帰り支度を始めた。


一方、全く作業をやめる様子もなく、煌々と光るモニターを見続ける環に、千草は静かに声をかけた。


「まだ残っていくのですか」

「うん。障害報告書、明日までだから…今日中にやっておかないと」


苦笑しながら、キーボードとマウスを操作し続ける。

デスクには、未だに大量の書類と、飲みかけのコーヒーが乗っている。


「……っ」


その時。ほんの一瞬、環の膝に、ピリ、とした痛みが走った。

キーボードを打つ手が止まる。反射で強張り、僅かに顔を歪める。


――昼間、少し動きすぎたかもしれない。


「………」


千草の視線が、環の足元に落ちる。

だがすぐに視線を外すと、鞄を持って出入口へ向かっていた。


「先に失礼します」

「うん、お疲れさまー」


環は軽い調子で言い、視線を向けず、手だけをひらひらと振って千草に挨拶を返した。

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