親愛なる魔王へ
ブランの腹には、深々と勇者の剣が突き刺さっていた。
ただし刺さっているのは、スタルが白桜のふりをするために使っていた、偽物の勇者の剣だ。
誰もが状況を飲み込めずにポカンと見つめる中、剣の柄を握るスタルだけが、作業のように淡々と、剣を引き抜いた。
「ぐっ……が、はっ」
ブランが苦しげな声を出し、倒れ込む。
「シロ!」
まず動いたのは、白桜だった。出血する腹を押さえるブランの手に、手を添える。
「シロ、シロ! しっかりしろ!」
白桜の声も虚しく、流れる血は止まらず、ブランの顔が青白くなっていく。白桜はガバリと顔を上げた。
「マゼンタっ! 回復っ!」
倒れ伏していたマゼンタは、夢から覚めたかのようにハッとした様子でシロに駆け寄り、回復を開始した。咄嗟の判断で、白桜が勇者の加護を使ったのだろう。
勇者パーティがバタバタと動き出す中、スタルは偽物の勇者の剣を握ったまま、誰よりも落ち着いた様子でブランを見下ろしていた。その背筋はいつも通り、気持ちが良いほどピンと伸びている。
「ス、スタル……なぜ……」
ラピスが呆然と呟く。
スタルはラピスのほうに向き直ると、折り目正しく頭を下げた。
「申し訳ございません、陛下。ご命令に背いたこと、申し開きのしようもございません。私がブランを殺したのは、国のためでも、ラピス様のためでも、先代のためでもなく、ただひたすら、この男を許せなかった私自身のためです。今後の両国の関係のために、私のことは反逆者ということにしてくださいませ」
スタルは顔を上げて、この場に不釣り合いなほど優しい顔で、ふわりと微笑んだ。
「ラピス様、貴方は本当に、立派になられた」
スタルは上を向くと眩しそうに目を細め、空に向かって高く高く手を伸ばした。
「ああ、陛下……そちらでなら、貴方に触れていただけるでしょうか」
浅緋はその言葉を聞いた途端、電撃のように理解した。スタルが何をしようとしているのかを。
「ラピス! スタルさんを止めて!」
浅緋は気付くと駆け出しながら、ラピスに向けて力の限り叫んでいた。
浅緋の声で、ラピスも気付いたらしい。
ラピスがスタルに対して叫ぶのと、スタルの頭上に魔法の黒い球が現れたのは、ほとんど同時だった。
「やめろっ、スタル!」
威圧の力をありったけつぎ込んだのだろう。ラピスの声には、暴力的なまでの力強い響きがあった。しかし、スタルの魔法が発動するほうが、一瞬早かった。
スタルが作り出した指先ほどの黒い球は、スタル自身の眉間を、過たず貫いた。
スタルが仰向けに倒れていくのが、浅緋の目にはスローモーションのように映った。スタルの幻術が解け、火傷で爛れた頭部が露になる。その顔は、どこまでも穏やかで優しい笑みを浮かべていた。
空へ伸ばされたスタルの手の先で、魔鳥が一羽、高く高く飛んでいた。
スタルは、あたたかな暗闇の中にいた。
前も後ろも、右も左もわからない。自分が目を開けているのかすら、よくわからない。
だからこそ、スタルは自分が全てをやり遂げたことを理解した。
ラピスと浅緋には、申し訳ないことをしたと思う。それでも、自らの決断に悔いはなかった。何度繰り返しても、スタルは同じ決断をするだろう。
暗闇に身を委ねて、そっと口角を上げる。
その時だった。
「スタル!」
スタルはハッとして振り返った。
明るく、力強く、懐かしい声。五年前のあの日から、何度この声を、脳内で繰り返してきたことか。忘れたくなくて、ほんの少しでも薄れてしまうことが怖くて、何度その声の輪郭を確かめるようになぞってきたことか!
「陛下っ!」
スタルはその光に向かって、幼い子どものようにがむしゃらに駆け出した。
スタルは、魔法が使えなくなっていることに気付いた。でも、そんなことはどうでも良いと思えた。だってもう幻術は、必要ないのだから。




