会話を聞かれると困るから
会話を聞かれると困るから、と、アサヒは筆談を要求してきた。
アサヒが大きな音を立てないよう気を付けているものだから、つられて白桜も慎重になる。
部屋は衣擦れの音すら大きく聞こえるほど静かだ。
アサヒがテーブルに置いた紙に、白桜はペンを滑らせた。
――お前、何者?
白桜がペンを渡すと、今度はアサヒがサラサラと文字を書いていく。
――贄川浅緋。ハクラと同じで、日本からこの世界に来た。
――朝日じゃないんだ。
――よく言われる。ハクラってどう書くの?
――よく言われる。白桜で、ハクラ。
――きれいな名前。
浅緋が白桜の目を見て、にっこり笑う。たったそれだけで、白桜は一瞬息が止まった。
浅緋はペンを置くと、ポケットから封筒を取り出し、白桜に渡してきた。
中には数枚の手紙が入っている。そこには、浅緋がこちらの世界に来てからのことが、丁寧な筆致で書かれていた。
白桜が手紙を読み終えると、今度はノートが渡された。
先ほどの手紙とは違う筆跡だ。とすると、これが手紙に出てきた、先代勇者・萌黄の手記なのだろう。しおりが挟まれた部分から読んでいくと、先代勇者・萌黄と、先代魔法使い・イトが対立していく様が描かれていた。
さらに読み進めて、白桜はぎょっとした。
――魔法使い・イトは、大魔法使いブランだ。
驚いて顔を上げると、浅緋がこくりと頷き、紙に何かを書き始める。
――ブランは白桜のパーティにも紛れてるかもしれない。一度、オレと一緒に、マーシュ国に来てほしい。白桜を傷付けないと約束する。
あいつらのうち誰かが、大魔法使い・ブラン?
にわかには信じがたい話だ。口喧嘩はしていても、パーティメンバーは頼りになる存在だし、白桜は全幅の信頼を置いている。彼らがいなければ、白桜はここまで来ることなどできなかっただろう。そもそも、本当に大魔法使い・ブランならば、隠さずそう言ってくれれば良いのに。
しかし、浅緋が嘘を言っているようには見えないし、萌黄の手記も、偽物にしてはあまりにも手が込んでいる。
俺は、真実が知りたい。
――わかった。行くよ。
白桜は紙にそう書くと、浅緋に向かって頷いた。
こっそりと宿を抜け出してから一日半、白桜たちを載せた馬車は、マーシュ国の王城に到着した。
白桜が召喚された城は様々な装飾が施された、華美な建物だった。しかし、マーシュ国の城は全体的に黒く、ゴテゴテした装飾は少ないが、重厚感がある。
これが、魔王城……。
旅の目的地ではあったが、まさかこんな形で訪れることになるとは思わなかった。
白桜がキョロキョロと辺りを見回していると、浅緋に声をかけられた。
「白桜、こっちだよ」
浅緋は迷いのない足取りで進んでいく。続く白桜の後ろから、共に馬車に乗ってきたリルと、御者席にいた褐色の肌に角の生えた少年が着いてくる。
馬車では浅緋と、元の世界の話題で随分盛り上がった。すっかり友人になった気でいたが、浅緋がマーシュ国で暮らしてきたことを改めて実感する。
てっきり最初に入った大きな建物が目的地なのかと思ったが、浅緋は建物を通り抜け、木々が生い茂る場所を進んでいく。さらに進んだところで、大きな屋敷のような建物が姿を現した。
建物の手前で、リルに剣とナイフを預ける。屋敷には、浅緋と二人で入った。
浅緋は黒い廊下を進むと、ひときわ豪華な扉の前で立ち止まり、躊躇なくノックした。
「ラピス、白桜を連れてきたよ」
魔王に対する口調にしては、随分とフランクだ。中から、低い声が返ってくる。
「入ってくれ」
浅緋が扉を開けて、白桜を先に通してくれる。
部屋の中には、異様な人物が一人立っていた。言われずともわかる。この男が魔王だ。
空間にぽっかりと穴が空いたかのような、漆黒の肌。人間離れした淡い水色の髪は長く、背中に流している。身長には多少自信がある白桜でも見上げるほどの位置に黄金の瞳があった。その瞳と目が合っただけで、白桜は動けなくなり、その場に立ち尽くした。
勇者には、魔王の威圧の力が効かないと聞いている。しかし、それが疑わしくなるほど、白桜は目の前の存在に圧倒されていた。
男が口を開く。
「私はマーシュ国王のラピスだ。勇者・白桜よ、歓迎する」
ラピスと名乗った男が胸に手を当てて頭を下げるのを見て、白桜は慌ててお辞儀した。
「よ、よろしくお願いします」
しまった、情けない声になった。
悠然とした態度のマーシュ国王との対比に、我ながら恥ずかしくなる。
と、ラピスが浅緋のほうに視線を移した。
途端に、神々しさすら帯びていた瞳が、蜂蜜のようにとろける。
「おかえり、浅緋」
その視線を受けた浅緋が、はにかむように破顔する。
「ただいま、ラピス」
ああ……そういうことか。
白桜は、全てを悟って苦笑した。
浅緋がマーシュ国王に対して随分とフランクだった理由も、浅緋が「いる」と言っていた恋人が誰なのかも。
なるほど、これは戦うまでもなく、勝ち目がない。
かくして、一人の勇者は、誰にも知られることなく、魔王に負けを認めたのだった。




