夜も間近になった頃
夜も間近になった頃、浅緋たちは宿泊先の村に着いた。『彼の国』との国境近くにあり、目的地から最も近い村らしい。
村では、出迎えはおろか、出歩いている人間すら、一人もいなかった。ラピスの威圧の力のため、スタルが先に根回ししておいたそうだ。
かといって歓迎されていないわけではないらしい。宿泊場所として領主の屋敷が提供され、食事や生活に必要なものはすべて用意されていた。
ラピスとともに高級そうな夕食を食べ終えたころ、スタルがやって来た。
「陛下、湯浴みの準備を整えてまいりました」
「ああ。私が先に入ったほうが良いか」
「はい。人数も多いため、入れ替わりで入るのが良いかと」
「わかった。では、行ってくる」
「行ってらっしゃいませ」
スタルが無駄のない動きで一礼する。執事のような身のこなしだ。不思議とラピスも、いつもより王様らしく見える。
ラピスが部屋を出ていくと、浅緋はスタルと二人きりになった。
以前、この世界に来てすぐのころ会ったスタルは、仮面を身につけた老人の姿だった。しかし、今のスタルは三、四十代程度にしか見えず、仮面もしていない。共通点といえば、背筋がピンと伸びていることくらいだろうか。
ラピスやリルから、スタルは幻影の名手で、本当の姿は誰も知らないと聞いてはいるが、やはりどうしても混乱する。
スタルは相変わらず寡黙で、部屋には沈黙が満ちた。先に気まずさに耐えられなくなったのは、浅緋だった。
「あ、あの、スタルさん。夕食、まだですよね? もし良ければオレのことは気にせず、いただいちゃってください」
浅緋の言葉に、スタルは控えめな微笑を浮かべた。
「では、お言葉に甘えて」
そう言うと、キビキビとした動きで食事の支度をととのえる。さらに気付くと、浅緋の前にも淹れたてのお茶が置かれていた。
「浅緋様、長旅でお疲れでしょう。心身ともに落ち着くブレンドにいたしました」
「あ、ありがとうございます!」
すごい。めちゃくちゃ仕事できる人って感じだ。
スタルは、とても優秀な人なのだろう。短い時間だが、ひしひしと伝わってくる。だがそれだけに、プライベートがまったく見えてこない。
淹れてもらったお茶をちびちび飲みながら話題を探していた、その時だった。
「浅緋様、私は先代と恋仲だったのですが」
「ん?」
聞き間違いかな? 今、スタルさんがすごいこと言ってた気がするんだけど、まさかね。
「ええと、今なんて……」
「先代のマーシュ国王と私は恋仲だったのですが」
すごい。聞き間違いじゃなかった。
「話の腰を折ってすみません、続けてください」
浅緋は混乱のあまり、続きを促すことしかできなかった。対するスタルは「はい」と相変わらず冷静沈着だ。これが、できる大人の余裕なのだろうか。
スタルが続ける。
「恋人とはいえ威圧の力がありますから、先代とは手を触れたことはおろか、目を合わせたことすらありません。ですから、ラピス様に浅緋様という存在がいらっしゃること、私は本当に嬉しく思っております」
スタルが「本当にありがとうございます」と頭を下げてくる。浅緋は「あ、いえそんな。こちらこそ……」としどろもどろに返すことしかできない。
手を触れることも、目を合わせることもできない、というのは、浅緋にとって想像すら難しいことだった。
はじめの頃、握手しようと差し出した手に戸惑っていたラピスのことを思い出す。それに、夜の廊下で手を引かれた時のことも。あの手に触れられないということは、あの手のあたたかさを知ることすらできないということだ。
そういえば、と思い出す。手を引いてくれたあの夜、ラピスは先代の話をしていた。
「あの、ラピスから聞いたんですが、以前は先代の王様とスタルさんとラピス、三人で暮らしていたんですよね?」
「ええ、先代が亡くなるまでですから、五年前までですね」
「先代の王様って、どんな方だったんですか」
浅緋が問うと、スタルの表情がふっとやわらいだ。
「とても、気さくな方でした。浅緋様、私のこの姿が幻影であることは、お聞きになりましたか?」
「はい、ラピスやリルさんから」
「私は、顔に大きな火傷のあとがありまして。以前、幻影の技術が未熟なうちは、仮面を着けておりました。初めてお会いした先代は笑ってご自身の仮面を指差し、『同じだな』と。今にして思えば、先代にお仕えすることを心に決めたのは、その時でした」
気さくなマーシュ国王、というのは、ラピスを見ているとなかなか想像できない。
「なんだか意外です。先代の王様が気さくな方だったなんて」
「歴代の国王の中でも、珍しいでしょうね。ラピス様は子どもの頃から大人しい方でしたが、先代と一緒にいらっしゃるときは、随分と笑っておられたように思います」
そう語るスタルの表情はやわらかい。
「先代の王様は……大切な、人なんですね。スタルさんにとって」
「ええ、とても」
スタルがそっと目を伏せて微笑む。幻影を使っていても、表情は雄弁だった。なんとなく見てはいけないものを見た気がして、「それにしても」と少し大きな声を出す。
「スタルさんが先代の王様の恋人だったなんて、驚きです。ラピスも全然言ってなかったし」
「ああ、どなたにもお伝えしておりませんので」
「んん?」
またすごいこと言ってない? この人。
「ええと、どなたにもってことは、ラピスも……」
「ええ、ご存知ありません」
「……なんでオレにだけ教えてくれちゃったんですか!?」
驚きすぎて大声が出てしまう。
対するスタルはやっぱり落ち着き払ったまま、答えてくれた。
「それはもちろん、浅緋様がラピス様の大切な恋人だからです」
「……コイビト」
「はい」
「……チガイマス」
思わずカタコトの返事になった。スタルは「え」とだけ言って数秒固まったのち、言葉の意味が飲み込めたのか、「申し訳ございません」と深々と頭を下げた。
「あ、いやそんな。誤解が解けたなら良いんです。謝っていただくようなことでは……」
浅緋が慌てると、スタルが「いえ、そうではなく」と気まずそうに目を逸らした。
「早とちりして、ラピス様にアドバイスしてしまったのです。気持ちは言動で示しなさい、手の一つや二つ、さらっと握っておしまいなさい、などと……」
あれ、あなたの差し金ですか!
ラピスに手を握られたとき、あまりにも自然で悶々としたことを思い出す。経験豊富なのかと思ったが、どうやらそういう訳ではなかったらしい。なんとなくほっとしている自分がいるのは何故だろう。
「余計なことをしてしまいました。申し訳ございません。ご不快な思いはされていませんか」
「え、いえ! 不快だなんて、全然」
「ではラピス様には、もっと頑張れとお伝えしておきます」
「それは違くないですか!?」
すごい、この人。なんかこう、すごい人だ。
浅緋は一夜にして、スタルに対する認識を改めることとなった。




