やっぱり、夢じゃない
「やっぱり、夢じゃない……か」
日光が差し込む黒い部屋で目覚めた浅緋は、横になったまま小さく呟く。我が家はごく普通のアパートだし、壁はクリーム色のはずだ。だが、いま浅緋が寝ている黒い部屋は、どう見ても高級感があってだだっ広く、なんならベッドまで超上質で雲のようだった。
たしか昨晩は、スタルが運んできた飲み物と、見たことの無い果実を、これでもかと平らげた。その後、満腹になったら、あまりの疲労でうつらうつらしてきて……そこで記憶が途切れている。
オレ、もしかして寝落ちた?
この危機的状況でぐっすり眠れたことに、自分でも愕然とする。いくらなんでも図太すぎる。
どうやら誰かが運んでくれたらしく、服はそのままだが、部屋は移動しているようだった。こちらに到着した時の部屋はもう少し狭かったし、ベッドもなかったはずだ。
ひとまず、誰かに起床したことを伝えた方が良い気がして、ベッドから降りる。床に揃えられた靴を履くとき、少しよろけて腹がずきりと痛んだ。そういえば昨日殴られたんだった、と思い出す。
結局、昨晩の食事中も、この世界についての説明はなかった。今日は疲れているだろうから、明日伝える、と言っていたはずだ。今日こそは、あの白い光や『魔王』『異世界人』という言葉の意味について、教えてもらいたい。そう思って足を踏み出した、その時だった。
部屋の扉がガチャリと開いた。
ドアから覗いた顔は、同年代の女性のものだった。淡い金色の長髪をおさげにしたその女性は、昨日の二人と違い、顔を隠していない。どうやら、顔を隠す決まりがあるわけではないらしい。
浅緋は女性に呼びかけようとしたが、その声は当の女性によってかき消された。
「まあっ! 目を覚まされましたのね!」
華やかで可愛らしい声が部屋に響く。テンションの高さにぎょっとしていると、女性は浅緋の目の前まで勢いよくやって来た。
「御機嫌よう、浅緋さま! 昨晩はよく眠れまして?」
無邪気な笑顔で問いかけられ、「あ、は、はい」となんとか返事をする。と、女性が「まっ!」と声を上げた。
「嫌ですわ、私ったら……申し訳ございません、一方的に」
女性は途端にしょんぼりと頭を下げた。どうやら感情が素直に表に出る人らしい。驚きはしたが、コロコロと変わる表情や声色が少女のようで愛らしい。
「ご挨拶が遅れましたわ。私、リル・リルハと申します。浅緋さまの身の回りのお世話をさせていただくことになりましたの」
リルと名乗ったその人は深くお辞儀をした後、ぱっと微笑んだ。青緑色の大きな瞳が隠れるほど全力の笑みに、こちらまで気持ちが明るくなる。
「ええと、浅緋です。よろしくお願いします。ところで、お世話って?」
「お食事やお着替えなどの生活に必要なものをお持ちしたり、お部屋のお掃除をしたり……私は浅緋さまの専属ですから、お話し相手にもなりますわ!」
どうやら、メイドのようなものらしい。たしかに言われてみれば、リルはスリットが入ったタイトな黒のロングドレスに、白のエプロンドレスを身につけており、どことなくメイド服に近い気がする。リルはやる気満々のようだが、とはいえ。
「えっと、間に合ってます」
「んまあっ!?」
「教えてもらえればできる限りのことはするので、専属の方についていただかなくても……」
これでも一応一人暮らししていたのだ。働いている人の時間を奪うのは申し訳ない。
そんな気持ちで言った浅緋だったが、リルは何故かあたふたと慌て始めた。
「えっと、なんと言えば良いのでしょう、その……必要なものは私が運んできますから、あまり外に……いえ、その」
なるほど。つまりは外に出るな、ということらしい。
ハッキリ言いたくないらしく言葉を探し続けるリルが気の毒になり、「わかりました」と助け舟を出す。すると、リルはわかりやすくホッとした表情になった。
「良かったですわ! それでは、朝ごはんをお持ちしますわね。よろしければお食事の後、この国についてご説明いたしますわ。あっ、お着替えはサイドテーブルに置いてありますから、どうぞお召しになってくださいまし。私が選んだんですの!」
安堵からか先程にも増してマシンガントークを炸裂させたまま、リルが部屋を後にする。賑やかで魅力的な人だ。浅緋はそこまで口数が多くないが、だからこそ、その隙間を埋めるようにたくさん話してくれる人はありがたい。
ベッド脇に置かれた着替えは、長めのえんじ色の上衣と、十分丈の白ズボンに別れていた。上衣には腰の下あたりまでスリットが入っている。着てみると、体に沿ったデザインと柔らかく伸縮性のある生地のおかげで動きやすい。反対にズボンはゆとりがあり、リラックスウェアのような履き心地だ。上衣にはスタンドカラーになっている襟元に、金の糸で細かな刺繍がされていた。
これならそこまでコスプレ感もないし、このまま出かけることもできそうだ。
そう思った直後、苦笑する。出かけるも何も、ここは元いた世界ではないし、今の浅緋はこの部屋から出ることすらできない。
ただ、浅緋は自分でも意外なほど、元の世界に帰りたいとは思っていなかった。断じて、元の生活が嫌いだったわけではないのだが。
やっぱり、帰ったところで、待ってる人もいないから……なのかな。
こんな状況になったのが他の人だったら、もっと辛い思いをしていたのかもしれない。そう考えると浅緋には、異世界に来てしまったのが自分で良かったとすら思われるのであった。




