記憶は、思い出すかのように知ることができた
タンの記憶は、思い出すかのように知ることができた。
その中で、タンの能力についてもわかった。他の人間に手で触れると、お互いの過去を夢に見る能力。やはり今、浅緋が見ているものは、タンの過去らしい。そして、今ごろタンは浅緋の過去を見ているのだろう。この能力は、一人の相手に対し、一度しか発動しないようだ。だからこそ、両親は気兼ねなくタンに触れているらしい。
改めて、タンに対する申し訳なさが湧いてくる。幼少期からタンは、この能力が発動しないよう、細心の注意を払っていた。気休めだが、両親から贈られた手袋を着けて、なるべく人の多い場所へは行かないようにして……そのため、同年代の子どもとの交流は、ほとんどなかったようだ。
あのセレモニーで言っていたとおり、外では記念祭をやっているらしく、賑やかな音が聞こえる。しかし、タンが家から出ることはなかった。時折、父親が買ってくる屋台料理を食べて祭り気分を味わう以外は、いつも通り過ごしているようだ。これもタンの能力のためなのだろう。
とはいえ、タンに退屈する様子はなかった。父親と全力で遊んだり、母親とお菓子を作ったり、家族と過ごすのが楽しいようだった。両親が全力でタンを愛しているのが伝わってくるものだから、浅緋までタンの両親のことをすっかり好きになってしまった。
そんな楽しい日々が一週間続き、祭りの最終日になった。これまではあまり祭りに興味を示していなかったタンだったが、流石に外が気になるらしい。窓の外をしきりに眺めていることに気付いたのか、父親が声をかけてきた。
「タン、祭りが気になるのかい」
「うん……ちょっとだけ、見に行っちゃだめ?」
タンに甘い父親は「ちょっとだけだよ」と眉を下げて笑った。母親に一声かけると、父親が手を伸ばしてくる。タンは父親に手を引かれて、外へ出た。
最終日の午後ということもあり、広場の方から一際楽しげな音楽が聞こえてくる。そちらに人が集まっているらしく、裏道は閑散としていた。
「このくらいの人出なら、端のほうの出店は覗けるかもしれないな。行ってみるかい?」
「うん!」
タンが満面の笑みで頷いた。父親に手を引かれて、通りの方へ一歩踏み出す。
その時だった。
「〈人間たちよ! 非常に残念な知らせだ!〉」
町中に、大きな音が響き渡った。
「勇者様……?」
父親が呟く。たしかにその声は、先日聞いた勇者・萌黄のものによく似ていた。しかし、以前とは打って変わって荒々しく、憎しみに満ちている。
「〈我々は手を取りあって生きていけると信じていた……しかし、見よ! 今宵、私の仲間の魔法使いが、魔族の手により殺された!〉」
父親が息を飲むのが聞こえた。同時に、繋いだ手に力がこもる。広場のほうからは勇者の声だけが響き、人々は不気味に静まり返っていた。
「〈魔族どもは、蜂起を企てている。歴史は繰り返す。私はこれから、魔王を討ちに行く! 人間たちよ、勇敢な者は武器を持て、魔族に共存の意思はない! さあ、魔族の力に怯えた日々を思い出し、共に戦おうではないか!〉」
しん、と全ての音が途絶えたかと思うと、次の瞬間、鋭い悲鳴が上がった。続けて、地響きのような怒声と悲鳴が押し寄せてくる。びくりと身を固くしたタンを、父親が抱きしめた。
「タン、大丈夫。落ち着いて。きっと何か、誤解があるんだ」
父親に背中をトントンと叩かれているうちに、タンの緊張が解けていく。父親はタンが落ち着いたと見ると、タンと視線を合わせた。
「タン、お父さんは広場に様子を見に行ってくる。大丈夫、きっと話せば分かってもらえるよ。タンはまっすぐ帰って、お母さんと一緒に家にいるんだ。絶対に家から出てはいけないよ」
そのまま立ち去ろうとする父親の腕に、タンがすがりついた。
「待って! お父さんも一緒に帰ろう!」
タンの手が震えている。広場の騒ぎは、収まるどころか大きくなっている。浅緋も、一刻も早くこの場を離れるべきだと思う。それでも、父親は首を振った。
「ここで仲違いしたら、もう二度と戻れないかもしれないんだ。大丈夫だよ、タン。大丈夫。お父さんは必ず帰るから」
最後に父親はもう一度、タンを抱きしめた。
「大好きだよ、タン」
タンの目に涙が浮かぶ。あたたかい。涙も、父親の体温も。
父親は体を離すと「さあ、タン。走って!」とタンの背中を押した。勢いのままに、タンは駆けていく。タンは振り返らなかった。父親の表情は、わからなかった。
浅緋はタンとして息せき切って走りながら、混乱していた。先ほどの勇者の声。あれは間違いなく、共通語だった。この世界の人々にとっては、言語魔術を介しているかどうかなど、すぐには分からないだろう。しかし、日頃から言語魔術を超えて元の言語を聞く練習をしている浅緋には、確かにこの世界の言葉に聞こえた。
思考がまとまらないまま、勢いよく家に飛び込む。母親はタンを見ると、ホッとした様子でタンを抱きしめた。
「タン、良かった! さっきの声は何? それに、お父さんは?」
母親が不安そうに聞いてくる。タンは涙を拭いながら、たどたどしく状況を説明した。母親の表情が、どんどん固くなる。
母親はすぐさま家の鍵を閉めて、カーテンを閉ざした。さらに、表の戸にテーブルのバリケードを作る。父親が帰ってくるとしたら、裏口を使うと考えたのだろう。
母親は床下の小さな収納を空にすると、タンにそこに入るよう促した。
「お母さんは?」
タンが尋ねると、母親は困ったように笑った。
「お母さんは、狭くて入れないわ」
「それなら、俺も入らない!」
「ダメよ、言うことを聞いて!」
母親が声を荒らげた。そう遠くない場所から、怒号とガラスの割れる音が聞こえる。混乱は広がっている。タンが再び泣き出しそうになると、母親はタンの両手を取り、おでこをコツンとくっ付けた。
「タン……私たちの可愛い子。いいこと、よく聞いて。あなたの力はいつか、あなたが見せたくないものを、誰かに見せてしまうかもしれない。あなたが見たくないものを、あなたに見せるかもしれない。でもきっと、この力は深く分かり合うためにあるの。誰かの手を、間違いなく握るためにあるの」
ささやくような、けれどはっきりした声。浅緋は懐かしさで胸がいっぱいになった。その懐かしさが溢れて、頬を濡らす。
「タン、あなたの幸せが私たちの幸せよ。私たちが絶対に、あなたを幸せな未来に連れていくわ。さあ、中に入って」
母親のあたたかい手が、スルリと離れる。タンはしゃくり上げながら、収納の中へ身をかがめて入った。タンの体で、ギリギリ収まる程度の空間だった。
「タン、愛してる」
母親はそう言って、扉を閉めた。上から音がして、隙間から漏れる光が消える。きっと、母親がカーペットや家具を動かして、この場所をカモフラージュしたのだろう。
ほどなくして、上からいくつもの衝撃音が聞こえた。タンは耳を塞いで身体を縮めた。涙が止まらない。顔中ぐしゃぐしゃになってもなお、声を殺して泣き続ける。浅緋にはもう、この涙がタンのものか、浅緋のものか、わからなかった。
暗闇の中で震えながら思い出すのは、浅緋自身の父のことだった。




