うっすらと、声が聞こえる
うっすらと、声が聞こえる。
誰だろう。オレはこの人を知らないけれど、すごく懐かしくて、安心する声。
「タン。私たちの可愛い子。さあ、手を出して」
不意に声がはっきりと聞こえ、浅緋は目を開いた。自分の意思とは関係なく、両手が差し出される。褐色の、小さな手だ。まるで子どものような……。
と、そこまでぼんやりと考えて、ハッとする。何だこの手は。明らかに自分のものではない。今すぐ状況を確認したいが、体を動かそうとしても動かない。感覚はあるのに制御はできない。精巧なAR体験でもしているような気分だ。
すると、幼い両手に黒い手袋がはめられた。
「今日は集会があるから、広場へお出かけしましょうね。いいこと、決して誰にも触れては駄目よ」
身体の持ち主が、顔を上げて「うん、お母さん」と頷く。『お母さん』と呼ばれた女性は、褐色の肌に、青みがかった豊かな黒髪の持ち主だった。意思の強そうなまっすぐな目元が、タンによく似ている。
タン。そう、タンだ。最初に『お母さん』は、この身体を「タン」と呼んだ。それに、この肌色も、黒い手袋も、タンを思い起こさせる。
ただの夢かとも思うが、その割には細部まで明瞭すぎる気がする。
もしかしてこれは、タンの過去、なのかな。
浅緋が必死で状況を飲み込もうとしていると、タンの母親がタンの右手を取った。さらに、左手を男性に取られる。恐らく父親だろう。タンのものとよく似た角が生えている。
「ほら、こうして皆で手を繋いでおけば、安心だろう?」
父親はタンと違って、柔和そうな人だった。眉を下げて笑う顔を見ると、不思議とほっとする。
三人が家を出て十分ほど歩くと、広場らしき場所に出る。広場は人で埋め尽くされていた。危うく人波に流されかけたところを、両親の手に救われる。
「タン、大丈夫? やっぱりすごい人出ね」
「ああ。なんせ今日は、勇者様の演説があるそうだからねぇ」
「ほんと、私たちマーシュ人が勇者様の演説を聞くなんて、少し前までは信じられなかったわよね」
「良い時代になったよ、本当に」
両親がタンを挟んで会話するのを聞きながら、浅緋は混乱を禁じ得なかった。
今、『勇者様』って言わなかった?
どうして? タンもその両親も、確かにマーシュ人のはずだ。
浅緋はなんとか状況を掴もうと周りに注意を向けて、ふたたびギョッとした。
そこには、マーシュ人と『彼の国』の人々が、混在していた。これまでに聞いてきた話の限りでは、マーシュと『彼の国』の関係は険悪だと思っていたのだが。
やはりただの夢なのかもしれない、と疑いたくなるが、それにしては、浅緋が知るはずもないことまで、あまりにも緻密に再現されている。
と、会場がざわめき、全員の視線が一斉に舞台の方へ向けられた。
舞台に、四人の男女が上がってくる。四人はいかにも勇者パーティーといった出で立ちだった。
盾を持った大男、聖職者らしき女性、ローブを目深に被り長い杖を持った人、そして先頭の、勇者らしき青年。青年は、二十代くらいの日本人に見えた。
四人が舞台に並ぶと、青年が筒のようなものを口元に近付けた。途端に、会場が静まる。どうやら、あれがマイクらしい。
「皆さん、こんにちは。勇者の萌黄です」
萌黄と名乗った青年が一礼すると、人々から歓声が沸き起こる。その中には、マーシュ人の歓声も含まれていた。
萌黄の言葉は、浅緋の耳には純然たる日本語に聞こえた。やはり彼は日本人らしい。恐らく萌黄自身に言語魔術がかかっているのだろう。聴衆は問題なく聞き取れているようだ。
「マーシュ国王と僕の話し合いの結果この村が生まれてから、今日で一年が経ちました。この一年間、大きなトラブルもなく、平和な生活が続いていること、本当に嬉しく思っています」
萌黄の言葉に、多くの人が頷いていた。萌黄の口調にも、熱がこもっていく。
「この村を見ていて、僕は確信しました。やっぱり、皆さんは共に生きていくことができるはずです。今の両国の交流は、試験的に設置されたこの村だけに留まっていますが、きっと近い将来、この村と同じような光景が、両国の様々な場所で見られるようになると思います。僕は、そのための努力を惜しみません。僕がこの世界に呼ばれたのは、このためだったんだと、今は思っています!」
これからもよろしくお願いします、と萌黄が締めくくると、再び大きな歓声が沸き起こる。興奮冷めやらぬ中、司会の「それでは、本日より一週間の記念祭、スタートです!」という言葉で、セレモニーはお開きになった。
人々が祭りを楽しもうと散らばり始めるのを横目に、タンたち家族はすぐさま家へ帰った。
浅緋は、タンの身体が自然と動くのに身を任せながら、ひとつの事が気になっていた。
ラピスは確か「五年前、先代は勇者に殺された」と言っていた。浅緋の知るタンは十五歳前後、そして、この時代のタンは十歳程度。五年前、というのは、恐らくこの頃のことだ。とすれば「勇者」というのは当然、先ほど演説していた萌黄という青年のことだろう。しかし。
殺した? あの人が、先代魔王を?
ラピスが嘘をついたとは思えない。それでも、萌黄が先代マーシュ国王を殺したとは、浅緋はどうしても信じたくなかった。




