書類をテーブルに置いて
二十三枚目の書類をテーブルに置いて、ラピスは目頭を揉んだ。法案は一言一句確認していく必要があり、気が抜けない。廃案が濃厚な法案や細々とした意見書まで、すべてに目を通しているから、時間がかかるのは仕方がない。
国としての決定は、四魔賢と王、五名での会議にて下される。ましてや王は最終承認をするだけの存在なのだから、最終的に提出されたものだけ確認すれば、ラピスの仕事は今の五分の一以下に抑えられるかもしれない。実際、スタルからは、きちんと休むよう口を酸っぱくして言われている。それでもラピスは、不必要なほど丁寧に仕事を全うしてきた。
王はその体質ゆえ、人々の声を直接聞くことができない。だからこそラピスは、様々な書類に目を通すことで、人々の声、思いを感じ取ろうとしてきた。
それに、仕事に真剣に取り組むのは、贖罪でもある。
もっとも、そんなことを言えばスタルが悲しむだろうから、口には出さないが。
ラピスは椅子を引き、机の下の引き出しから袋を取り出した。手のひら程度の大きさで、透け感のある黒い袋だ。淡い青色の紐と金のトンボ玉がアクセントになっている。
その袋を見ると、自然と頬がゆるむ。浅緋にこの袋をもらってからというもの、ラピスは日に何度も取り出しては眺めていた。
異世界人をマーシュに迎え入れることができたのは、僥倖だった。この国の勇者対策の歴史において、大きな一歩と言って良い。
しかし、ラピスの中で浅緋は、それ以上に大きな存在となってきている。毎晩の会話は仕事ではあるものの、ラピスにとっては毎日の楽しみだ。浅緋にとっても、楽しいものであれば良いと思う。浅緋には、この国を好きになってもらいたい。
それに……可能であれば、私のことも。
スタルは親代わりのような存在で、もちろん大切に思っている。しかし、浅緋へのこの感情は、それとは似て非なるもののように感じる。これは一体、何なのだろう。
少し休憩が長すぎたか、とラピスが袋を引き出しに戻しかけたところで、扉がノックされた。
「陛下、スタルです。急ぎお伝えしたいことが」
「少し待て」
ラピスは一声かけて、ヴェールを手に取る。
この部屋にスタル以外がやって来ることは、滅多にない。スタルは魔力がとりわけ強く、ラピスの威圧に対しても多少の耐性がある。さらに幻影の名手でもあり、誰も本当の姿を知らないと言われるほど圧倒的な力の持ち主だ。とはいえ、ラピスがヴェールを付けなければ、スタルであってもラピスの前で立っていることは出来ないだろう。
ヴェールを素早く身につけると、ラピスは「入れ」と声をかけた。扉が開き、スタルが入ってくる。
が、スタルにしては珍しく、慌てた様子だ。どうした、と声をかける間もなく、スタルが口を開いた。
「陛下……浅緋様が、倒れられました」
時間が、止まったような気がした。
倒れた。浅緋が。
頭の中で反芻してようやく、意味を噛み砕けた。と同時に、全身の血が落ちていくような心地がして、耳が遠くなる。スタルが何かを言っている気配があるが、まったく頭に入ってこない。
「……か、陛下!」
スタルの呼び声で我に返る。ラピスは短く息を漏らすと、ようやく自分が呼吸を忘れていたことに気付いた。
「あ……すまない」
「いえ、私の方こそ配慮が足りませんでしたね。落ち着かれましたか」
スタルがいつも以上に落ち着いた調子で聞いてくる。ラピスは大きく息を吐いて心拍を落ち着かせてから「もう一度頼む」と伝えた。
「はい。浅緋様は外出中に突然意識を失ったそうです。同行していた護衛のタン・ソル様も、同時に倒れたと聞いております。お二人とも外傷はなく、命にも別状ないようなのですが……お二人とも、目を覚まさないのです」
「……発見者は?」
「王城勤務の武官らの、息子たちです。彼らがタン・ソル様に対しちょっかいをかけたようなのですが、お二人が倒れてしまったため怖くなって報告しに来たそうです。ただ、攻撃魔法はすべて、お二人に当たらなかったらしく、確かにお二人とも、それらしき傷は見当たりません」
話を聞いて、ラピスは考え込んだ。二人が目を覚まさない理由は分からないが、今できる最善を選ぶしかない。
「わかった。タン・ソルに対し手出しをした者たちは、監視をつけて部屋に閉じ込めておけ。私はひとまず浅緋の様子を見に行く。二人ともこの屋敷に運び込んだのか?」
「はい。浅緋様はお部屋に、タン・ソル様は屋敷内の客間に」
「タン・ソルのほうには口が堅い医者を一人付けておけ。私は近寄らないようにする。……体調に悪影響があっては困る」
「かしこまりました。それでは私は、医者を連れて参ります」
「頼んだぞ」と言って立ち上がりかけた、その時だった。
部屋に、ノックの音が響いた。
ラピスは思わず、スタルと顔を見合わせた。スタル以外がこの部屋に来ることはほとんどない上、今日は事前の約束も入っていない。
ラピスが「誰だ」と声をかけると、「コイズ・ソルでございます」と返答があった。
「お約束もなく押しかけてしまい大変申し訳ございません、陛下。我が弟と異世界人の件について、お伝えしたいことがございます」




