初めての外出の日
「ついに本日は、初めての外出の日ですわね!」
リルが窓枠を拭きながら言う。浅緋がテーブルを拭く手を止めて「嬉しそうだね」と返すと、リルは「当然ですわ!」と勢いよく振り返った。
ラピスから護衛付きでの外出許可の話をもらってから、一週間以上が経った。
護衛を誰にするかが決まったらしく、今日はついに、護衛の人物との初顔合わせ兼、初外出の日だ。
リルは朝から、歌い出しそうなほど機嫌が良い。
「私、ずうっと楽しみにしておりましたの! 街中のお菓子屋さんやお洋服屋さんに行くのも素敵ですし、この城の庭園もお見せしたいですし……お友達とお出かけするなんて初めてで、どれも捨てがたいですわ!」
「ん?」
浅緋は笑って聞いていたが、気になる部分があって動きを止めた。
初めて? 友達と出かけるのが?
リルはコミュニケーション能力が高いし、友人とよく出かけているタイプかと、勝手に思っていたのだが。
あ、そっか。
リルの父は、四魔賢の一人であるギヤマン・リルハだ。つまり、口調から察してはいたが、リルはお嬢様なのだ。買い物に出かけることは多くないのかもしれない。
一人で納得した浅緋は、リルに尋ねた。
「もしかして、あんまり街に買い物に行かないの?」
しかし、リルはきょとんとした顔を返してくる。
「え? いえ、使用人とはよく出かけておりますわ」
「え?」
「え?」
二人で首を傾げたまま見つめ合うこと、数秒。
最初に意図を察したのは、リルだった。
「ああ……先ほど『お友達と出かけるのが初めて』と申し上げたからですわね。それなら、浅緋さま以外にお友達がいないからですわ」
「ええっ」
浅緋は仰け反った。リルの明るさや可憐さから、勝手に友人が多いものと思い込んでいたのだ。
しかし、すぐにハッとして頭を下げる。
「ご、ごめん! またデリカシーのないことを……」
対するリルは、あっけらかんとした表情で「とんでもございませんわ!」と手を振った。
「私はリルハ家の人間なのに、魔力が低いでしょう? 皆さんがどう接して良いか分からないのは、当然だと思いますわ。それに、家族や使用人たちとはとっても仲良しですから、友人が欲しいと思ったことは、ほとんどございませんの」
リルが、なんてことない事実のように言う。
浅緋がどんな表情をすれば良いかわからずにいると、リルに「浅緋さま!」と顔を覗き込まれた。
「これまで友人が欲しいと思ったことは、確かにあまりございませんわ。でも、浅緋さまとお友達になってから、毎日とっても楽しいんですの。浅緋さまのおかげですわ!」
リルがぱっと笑う。リルの笑顔はいつだって全力で裏がなく、心が晴れやかになる。浅緋もつられて笑顔になった。
「うん。オレにとっても、この世界で初めての友達はリルさんだし、リルさんのおかげで毎日楽しいよ」
「まあっ、光栄ですわ」
リルが心の底から嬉しそうにはにかむ。と、何かに気付いたようで、「あっ、そうですわ!」と手を叩いた。
「お出かけするなら、先日お教えした単元が役に立ちますわね。おさらいですわ、浅緋さま」
リルが途端に、キリッとした先生の顔になる。
「ここからは、言語魔術ではなく、ご自身の耳で聞いてみてくださいまし」
浅緋は頷いて、耳に意識を集中させた。こうすることで、言語魔術越しに本来の発音を聞くことができるのだ。
「〈では、値段を聞いてみてくださいまし〉」
「えっと……〈これの値段はいくらですか?〉」
「正解ですわ! ただ、もっとシンプルに言ったほうが、自然ですわね。〈これはいくらですか〉で十分伝わりますわ」
「あ、そっか。疑問詞だけで値段のことって伝わるんだった」
リルが満足気に頷く。
リルは教師として優秀だと思う。生来のコミュニケーションスキルに加え、良家の出身であることも関係しているのかもしれない。
浅緋が今教わっているのは、共通語と呼ばれる、マーシュでも『彼の国』でも使われている言語だ。地域ごとに使われている言語もあるそうだが、共通語なら広く使えるらしい。言語魔術で翻訳できるのも、共通語だけなのだと言う。
その後も単語の復習をしつつ部屋の清掃を終わらせたころ、予定していた時間ぴったりに、ノックの音が聞こえた。
リルが「はい、今開けますわ!」と扉に駆けていく。
ガチャリと開いた扉の向こうに立っていたのは、十代半ばくらいの、一人の少年だった。




