Vtuberとクリスマスチキン
毎日が窮していた。
貧窮していたし、息の仕方も忘れるほど窮屈だった。
けれど、それも、彼女を知る、その前までの話だった……!
「おっはよーっ! みんなー、今日も元気してるかーー??」
Vtuberの、桃空 ミミちゃん!
彼女を知って、彼女のことを好きになったその日から――息の仕方も忘れるほどの窮屈はどこかに消えて、貧窮していることすら、ひたすら苛まれる苦痛ではなくなった。
彼女と画面を通して過ごす時間が“癒し”なのではなく、彼女と過ごす時間こそが“人生の時間”“生きている意味”になるに、時間はかからなかった。彼女が画面の前で、自然と喋っている、それだけで満足だった。
つらいことも、人生の時間を過ごすまでの時間、そう思うと、急に楽になった。
道を歩いているだけでも、ふと、そういえばミミちゃんが言っていたものだ、あれはミミちゃんが食べていたものだった、そんなふうに時々の鮮やかが目に留まるようになり、人生そのものが豊かになった。
「もぉー、オマエらもしっかり考えてーー!! ――あ゛ーーッ、ちょっとォ、ヤメ……ヤメロッ、死ぬ、シ――あ゛ーーー!!」
笑ったり、時々、感動したり。
投げ銭で応援できる素晴らしさ――もとい、別待遇でコメントを読んでもらえる、また名前を呼んでもらえる特別感を覚えてからは、より画面を通した時間が待ち遠しくなった。
動画を見ながら飯を食うというよりは、配信と一緒にご飯をいただくようになって、そしてやがて、配信が始まる時は、食べても軽食や軽い飲み物を楽しむようになった。動画に集中できるように。気付いたらそうしていた。
「ハイ、おっはよーっ。みんな元気かーー? 今日もやってくよーー。――『最近寒いです。』 確かにー、肌寒くなったよねー。まあ私今日もこんな薄着だけど」
桃空 ミミちゃんの配信があるから、つらいことも、上手く遠ざけられるようになった。
最近は配信が始まる前までのことを、すっかりと、忘れるまでになっている。
今年は、クリスマス配信も、ミミちゃんと過ごせるだろう。
らしくなく、クリスマスチキンなんてものも予約していた。桃空 ミミちゃんというVtuberを知らなければ、こんな小さな人生の彩りも、知らずに生きて、ますますに窮していたことだろう。
そういった小さな色どりが、嬉しかった。
「ありがとう」を、伝えたい。
桃空 ミミというVtuberに。
そして、今日はクリスマスイブだ!
桃空 ミミちゃんはその日、配信を行わなかった。
――――空虚に突き落とされたような情で、PCの前で茫然としていた。
PCの前には、少し豪華なクリスマスチキン。
なぜ…………このような情感に陥っているのか――空虚に突き落とされたような、情感に、陥っているのかを――ふと訪れた奇妙な冷静の中で、考えていた。
そりゃあ、クリスマスだ。
クリスマスというのは、普通、現実の誰かと過ごす日だ。
そのことに非難はない、言ってしまえば、当然のことだと思うし、それは当人における、当然の権利であると私は考えている。
では、なぜ?
そう考えながら、憤りに似て非なる、振り絞った声のようなやるせなさ、憤りに非て似る、尽きることのない、無限の空虚はなぜ?
――――そういえば、現実だった。
それを、思い出して。
鮮やかを望まないそのことを、鮮やかに、思い出して。
虚無に突き落とされたのではない、連れ戻されたのだ、白黒の鮮やかを思い出したのだ。
桃空 ミミというVtuberは、現実を生きる、自分とは関わりの薄い別個の人間で。そのことを見つけて、意識に映してしまえば、気付けばそこは現実だった。
PCの前に座っていても、気付けば現実。
やるせなさと虚無の、内面の葛藤を終えたのちに、チキンを口に運んでみた。
チキン冷凍したように冷たい、味がしない。
それから、――それからも、桃空 ミミちゃんの配信や動画は視聴していたが、何か砂を噛んだような情感が消えずに、他のVtuberの配信なども、それまでと比べて頻繁に、覗いてみるようになった。
それでも違和感はしこり続ける。言葉に表せない情感が、いつでも……。
…………いや、本当は理解している。
必死に理解を認めないようにしているだけだ。
私はその日、仮初の世界線を思う想像力に寄せていた、信仰心を失ったのだろう。
だって、今は時々。
息の仕方も忘れるほどの窮屈を、思い出しているのだから。
クリスマスチキンは今も冷めている。