50 悪辣。
前回のあらすじ
ライバル各馬のエピソード。皐月賞のゲート入り直前の椿とスペシャルデイズのやりとり。
50
中山競馬場ではメインレース皐月賞の発走時間が迫ってきていた。
出走各馬はゲート前へ移動し、係員の合図を待っていた。
スターターを務める職員が壇上で旗を振るうと、トランペットの音色が一斉に響く───GⅠのファンファーレが空気を振るわせた。
♪~~♪♪~~♪~~♪♪♪~
競馬場に詰めかけたファンは、その音色に手拍子を合わせる。それは即席の大合奏となる。
そしてファンファーレの終了とともに、万雷の拍手と大歓声が、大きな圧力となって十八騎の馬と騎手へと襲いかかる。
本能的に怯む馬、入れ込む馬が現れるなか、奇数番からゲートへの誘導が始まった。
上位人気の馬たちは泰然としたままゲート入りを待つ。一頭、また一頭と、ゲートへ誘導されていく。
続いて偶数番のゲート入りが始まった。
ゲートが順調に埋まっていくにつれ、スタンドの空気は張り詰めていく。
そして——最後に呼ばれたのは、十八番、スペシャルデイズ。
大外枠。最も不利とされる場所から、このレースを迎えることになった。
椿は、馬上で一度だけ深く息を吸った。
(スタートが重要や)
これまでのレースでは、ゲートに入ってから、わずかな“溜め”があった。気持ちを落ち着かせ、呼吸を合わせる時間が。
だが今日は違う。
十八番枠は、ゲートに収まったらすぐに扉が開く。
枠順が決まってから、この想定は何度も頭の中でなぞってきたが、それでも不安は拭えない。
「……よし、入ろうか」
耳をフルフルと揺らしながら、静かにスペシャルデイズはゲートに収まる。
——ガチャン
一瞬の間をおいて金属音が響き、ゲートが勢いよく開いた。
───『スタートしました! ばらばらっとしたスタート。
スペシャルデイズ、コールドエンペラーはタイミングが合わなかったか、後方から!』───
椿の体が、わずかに後ろへ弾かれる。
(合わん……!)
スペシャルデイズの初動が遅れた。ゲートを出てからの加速がつかない。
前へ出そうとするが、すでに内の馬たちが動いていた。
ここから無理をしても良いポジションは取れない。後方から行くしかない。
瞬時に判断した椿は歯噛みする。想定していた中でもすこぶる嫌な形であった。
(……しゃあない。切り替えや)
今さらスタートをやり直せる訳じゃない。ここから何とかするしかない。椿は他馬の動きを睨みながら、デイズを内へと誘導していった。
◇
───『先手争い。コーエンテンカイチ!猪熊が押して押して、宣言通りハナを奪いにいきます!
それに続くのは、白い帽子エモジロンとカイウンスカイ。その外にクラウンヘイローと福河佑介。差がなくブジラッキーボーイと続きます。
このあたり上位人気馬は前の方に固まっています!』───
スペシャルデイズを除き、有力馬たちは、ほぼ理想的な位置を確保していた。
『先行有利』
誰もが分かっている。今日の中山は、前が止まりにくい。だからこその位置取りだった。
クラウンヘイローの背上で、福河佑介は口を真一文字に結んでいた。
(位置は、これでええ)
逃げ馬を見る形で内すぎず、外すぎず。折り合いも問題ない。クラウンは、きちんと我慢してくれている。
(欲を言えば……もう一頭分、内やったら最高やけど)
だが、それは与えられた枠を思えば贅沢だ。
十二番のゼッケンを付けたクラウンヘイローは、内の二頭に並走しながら馬場の外を追走する。
佑介は、視線を右前方へ向けた。そこにはくすんだ芦毛の馬体───カイウンスカイがいた。
その視界の中に映る、立仲の手綱さばきは、相変わらず静かだ。レースの流れに逆らわず、身を委ねるように無駄を感じない。
だが、どこかのタイミングで必ず、動く。
(仕掛け時は……おそらくあそこだ)
そのタイミングを逃さないように、佑介は立仲の背中を追いかけた。
◇
一枠一番から好位につける。戦前から狙っていた形だ。
最内枠を活かすため、逃げ馬の直後で内ラチ沿いを進む。
エモジロンは、理想的な位置を走っていた。松木は、冷静に馬の呼吸を感じ取る。
(いい。ちゃんと走れてる)
エモジロンの強みは、長く良い脚を使えることだが、反面、切れ味はない。
(勝ちパターンに乗せないと……)
先行策からの粘り混み。この馬の唯一の勝ち筋だが、問題はすぐ横にいる馬だ。
松木がチラリと横を見ると、すぐ近くで芦毛の馬体が目についた。
その馬、カイウンスカイは見事な走りっぷりを見せていた。この馬の勝ちパターンもエモジロンと同じ。ハナや好位につけてからの先行粘り込みが決め手であった。
(どこまで太刀打ちできるか……)
エモジロンは今日が重賞初挑戦。有力馬たちとの力関係は、まだ分からない。カイウンスカイとの競り合いに、エモジロンの勝機を見いだせると信じて。
松木は、慎重に、慎重に、その時を待った。
◇
一コーナーを目指し、スタンド前を駆け抜ける十八頭。惜しみない拍手が沸き起こる。
早くも隊列は、縦長に伸びてきた。
───『逃げるのはコーエンテンカイチ。三馬身のリード。
二番手にエモジロンとカイウンスカイが並走し、半馬身遅れて、クラウンヘイローとブジラッキーボーイが続きます!
早くも先行集団は一コーナーを回り、二コーナーへ向かいます!』───
上位人気馬が前の方で固まっている一方で、スペシャルデイズは、後方三番手にいた。
椿の視界には、馬群による分厚い壁が広がっていた。
(……分厚い壁やな)
小回りの中山。終始外を回るのは、明らかに愚策である。
だが、内が空くかどうかは、完全な賭けだ。そして前方を見る限り、内が空きそうな気配はない。
(大外……ほんま、鬼門やで)
椿が想定した中でも最悪と思える展開だ。三冠も狙えると思っていたからこそ、この位置が悔やまれた。
(……これくらい跳ね返したる)
だが——まだ、レースは終わっていない。椿は瞬時に思考を切り替えて、挽回のための策を練る。
───『バックストレッチ。先頭は変わらずコーエンテンカイチ。平均的なペースの逃げとなりました!
三馬身離れてエモジロン。差がなくカイウンスカイ。外からクラウンヘイロー。
その間からブジラッキーボーイが追走しています』───
残り千メートルを示すハロン棒が近づいてくる。
椿はハロン棒を指標に先頭との差を測る。そして、ゆっくりと手綱を動かし始めた。
「四コーナーまでに、押し上げるで」
椿は低く声をかける。その声に反応してスペシャルデイズが、じわりと前に出ていった。
少し、間を置いて、再び椿が声をかけた。
「きついけど……頑張ってくれや?」
「わかったー!」
判断に迷うような場面。返ってきた声は拍子抜けするほどに軽かった。
(……ええ根性しとるわ)
椿は口角を上げながら、進む道を示した。
直線の短い中山。先行有利の流れ。
ここから動かなければ、届かない。
だから——
(行くしかない)
スペシャルデイズが動き出す。ゆっくりとピンクの帽子が駆け上がる。
誰もが避けるラインを敢えて選択し、黒鹿毛の馬体が流れるように上がっていく。
───『ここで、外からスペシャルデイズが動いた! しかし、早くないか?大丈夫か?』───
スタンドから怒号、悲鳴、戸惑い。様々な感情を乗せた声が飛び交う。
『さすがに早すぎる!』
『何やってるんだ!』
『やめてー!』
そんな声が上がっても、ピンクの帽子は止まらない。
先頭集団が三コーナーに差しかかる頃、スペシャルデイズは、確実に前との差を詰めていた。
風を切る音。そして、芝を叩く蹄の音を響かせて、スペシャルデイズが捲っていく。
一番人気の馬が勝機を手繰り寄せるため、思いきって仕掛けたことで、レースの熱は一気に高まりを見せる。
その熱は、中山競馬場全体を包み込み、支配していった。
お読みいただきありがとうございました!
年内最後の更新になります。
次回は1/10(土)あたり?
昨年9月の投稿開始から今回で50話となりました。1年3ヶ月前からスタートした本作ですが、こんなに続くとは思いませんでした。完結まで続けようと思うので、ぜひお付き合いください。
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