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45/53

45 門出。

前回のあらすじ

 スペシャルデイズと椿の初対面。好追いきりで素質を感じた椿は自信をもって新馬戦に臨む

45 


 十一月最終週。京都の空気はすっかり冬支度を終えていた。曇り空から零れる弱い陽光が、吐く息に白い色をつける。


 京都競馬場のパドックでは、黒鹿毛の若駒が軽やかに歩いていた。スペシャルデイズのゼッケンを付けたその馬は、調教で見せた鋭い伸びが評判を呼び、この日は一番人気に推されている。




 京都競馬場のスタンドでパドックを臨む黒山の一角で男たちがヒソヒソと会話していた。



「なんや、断然人気やぞ」



 坊主頭の男が競馬新聞をパラパラめくりながら、ツレの男に声をかけた。



「こんな一本被りになるほど強いんか?」


「新馬は分からんて。けど調教のタイムが抜群や。椿が乗るし、ここは堅軸やないか?」


 そう答えた野球帽の男は一番人気の十四番に赤ペンで丸を書き込んだ。単勝一・四倍。馬柱のその数字に、二人は何度目かの顎をさすった。




 観客たちのざわめきのなかで、スペシャルデイズは時おりキョロキョロと首を動かす。初めての競馬場に戸惑っているのが、遠目にも分かった。


(デビュー戦や。しゃあないわな)


 手綱を握る椿航は、その幼さに目を細めた。地下道をくぐりながら、メンタル面を探るため、椿はスペシャルデイズに話しかける。


「デイズ。キョロキョロしてどないしたんや?緊張か?」


「うんん。緊張してないよ」


「初めての競馬場はどうや?」


「大きくて、人がいっぱいいた」



 それを聞いた椿は、思わず吹き出した。



「確かにな。今日は馬券買いに来とるおっちゃん達が山ほどおるもんやからなぁ」



 椿は顔を緩めながら、優しくポンポンと首を撫でる。


 そうこうしているうちに、地下道を抜けた。静けさが一転して喧騒の世界が戻ってくる。


 

 本馬場へ出て、引き綱が外されると、デイズは椿の合図に従い、大きく芝を踏みしめて駆け出した。力みがなく、実に自然体の走りだった。


(あー、ええ感触や)


 椿の口元が緩む。本能なのか、物見をしていた馬がターフの上に出てくれば、普段通りの走りを見せてくれる。



 輪乗り後、係員の誘導でゲート裏に到着すると、スペシャルデイズの空気が一変した。



「そろそろ、走るんでしょ?」



 耳が鋭く前を向き、首をゆっくりと上下に振る。さっきまでのあどけなさのあった表情が、一流のアスリートのそれに変わった。


(ほんま、賢い馬やな)


 椿は表情を変えずに、ゆっくりとゲートに向かうスペシャルデイズを背中から見守った。


 ゲートが開く瞬間に備え、ピンと感覚が研ぎ澄まされていくのが、手綱越しに伝わってきた。


 そして────。





 ガシァン!!




 勢いよくゲートが開く。その瞬間、椿は手綱をわずかに押し出すと、黒い影が一気に飛び出した。





───『各馬まずまずのスタート!どの馬が先手を取るか?一番人気のスペシャルデイズは好スタート!』────



 馬場に響く実況の声。青帽子のイルカインパルス、緑帽子のレガシーハントが前へと進出していった。


 雨粒がぱらぱらと顔に当たる。先ほどまで止んでいた雨は、再びポツポツと芝を湿らせていた。稍重と表示された馬場は、普段よりも力を要するが、スペシャルデイズは気にする素振りもない。



「椿さん、もっと前に行った方がいい?」



「初めから飛ばしていかんでもええで?マイペースでいこうや」



 やや行く素振りを見せたスペシャルデイズだったが、椿が手綱を操作すると、すっと折り合う。苦労せずに好位の五番手へと収まった。



────『イルカインパルスが逃げます。二番手にレガシーハント。その後ろベルロッソとビジュツが並走します』────



 若駒たちは三コーナーの坂へと差し掛かる。ペースは平均的なタイムが刻まれ、どの馬も力を出せる展開となった。


 スタンドからの声援が、雨音に混じって聞こえてくる。


 先頭のイルカインパルスが三コーナーの坂を下り始める。スペシャルデイズは五番手の位置で変わらず。



(初戦からここまで落ち着いて走れるんか。…なんとも)



 椿はスタートからここまで、楽な手応えで走るスペシャルデイズに感服する。


 前方を見れば、軽快に飛ばすイルカインパルスが映る。そこまで余力のあるようには見えない。相棒の手応えを思えば、いつでも交わせるような気がしてくる。


 椿は手綱を緩めてじわりと前へと促した。それに合わせてスペシャルデイズのギアが一つ上がった。



 四コーナーに入ると、たちまち前を行く馬たちの影がぐっと近づく。



────『最後の直線!各馬横に広がる! どの馬が抜け出してくるのか!先頭はイルカインパルス! レガシーハントが外から並びかける!』────




 ぞくり。


 椿の背中に怖気が走る。いつしかスペシャルデイズの雰囲気が変わった。


 椿はニヤリと口角を上げて、相棒を外へ導く。



「ほな、いこか!」


 「了解!」



 ムチが軽く一発振るわれる。それに反応して、スペシャルデイズの馬体がぐっと沈み込む。


 次の瞬間、黒鹿毛の身体が弾けるように一気に前へと飛び出した。





────『外からスペシャルデイズ! スペシャルデイズが一気に伸びて来た!』────




 残り二百。降雨によってノメる馬場も苦にせず、スペシャルデイズが前方の馬たちを射程圏に収め、一気に並びかけた。




────『ここで先頭はスペシャルデイズ!あっという間に抜け出した! レガシーハントが離れた二番手! その後ろは何もこない!』────



 態勢が決したレースにおいて、スタンドからの歓声が大きくなる。その視線の束が、黒鹿毛の若駒へ一斉に注がれる。


 馬場の重さなど関係ない。ダイナミックな走法で、風を切り裂くようにゴール板を駆け抜けていった。







「椿騎手、見事な勝利でした! 強かったですね?」



 レース後の取材エリア。馴染みの記者が笑みを浮かべる。

 椿も勝負の顔からいつもの朗らかさに戻っていた。



「ええ馬ですよ。今日みたいな馬場でも最後までしっかり走ってくれました」


「本当に強い勝ち方でした。気が早いですが、この馬となら悲願のダービーも……と考えるファンも多いのでは?」



 椿はにこやかな笑顔を張り付けたまま、心の中でため息をつく。

 

(───またそれかい)


 天才の名のもとに、数々の最年少記録を塗り替えて、多くの大レースに勝ってきた。

 そんな椿航であってダービーたけは未勝利だった。競馬界の摩訶不思議と言われ、酒席でも、取材でも、何度も聞かれた話題だ。


 何度も繰り返される質問に、内心で辟易しながらも張り付けた笑顔のまま答える。



「まぁ、まだこれからの馬ですけどね。順調に成長してくれたら楽しみです。

───ダービーでも乗せてもらえるように、僕ももっと勝ちたいと思います」


 ただの模範解答で終わらせず、思わずクスリと笑いを誘う軽妙さを添える。椿らしい回答に、記者も笑顔がこぼれ、和やかな空気のままインタビューは閉幕となった。





 文字通りの完勝。戻ってきたスペシャルデイズは疲れた様子もなく、むしろケロッとしていた。


「椿、どうだった?ぼく、ちゃんと走れてた?」


「走れすぎや。お前……ほんま、背中乗ってて気持ちええわ」



椿に褒められたスペシャルデイズは、尻尾をブンブンと振り回して喜びを現す。




 蒼井はレースでの勝ちっぷりを見届け、満足そうに頷く。そんな蒼井にオーナーからは、早々と次走について打診が入る。



「ええ、分かりました。体調に問題なければ、十二月最終週の阪神を目指します」



 この勝ち方だったら、上を期待するのも当然や。と、蒼井も納得する。


(まずは、無事に走らせる。それが最優先や)


 どんなに高い素質を持っていても、怪我をしたら道が絶たれる。


 蒼井はそんな馬をたくさん見てきた。勝って兜の緒を締める。そんな思いを秘めて蒼井の背中は小さくなっていった。


 



「♪~♪~」



 椿は鼻歌を歌いながら、荷物を鞄のなかへとしまう。

 帰り支度を終えて玄関を出ると、待たせていたタクシーへと乗り込んだ。



 座席に座り一息ついた椿は、窓からキラキラと光るネオンを眺める。



(……ダービーか)



 椿は右手を握り、スペシャルデイズの直線の手応えを思い出す。



 正直に言えば、記者の質問にまんざらでもなかった。


 椿の頭では無意識のうちに、五月の府中のシミュレーションが始まっていた。





───黒い馬体が府中の直線を駆けていく。沸き上がる歓声。迫るゴール板。ゆっくりと、右手の拳を挙げ───



 そんな未来予想図を思い浮かべながら、椿は静かに目を閉じた。

お読みいただきありがとうございました!


二勝目を目指す次話の更新は、12月下旬ごろを予定しています。しばらくお待ちください(ФωФ)


もう少しすると、執筆時間が取れると思うんです。

更新前には活動報告からお知らせします!


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