44 邂逅。
さて、閑話を挟んで3章後編のスタートです。スペシャルデイズの走りを応援ください!
閑話もスペシャルデイズの幼少期の話ですので、読んでもらえると嬉しいです
44
九月下旬。栗東の空は、秋の気配を感じさせないほど澄んでいた。蒸し暑さはまだ健在で、少し動けばたちまち肌を湿らせた。
早朝の薄い冷気が立ち上るのは一瞬だけだった。すぐに太陽がそれを押し返し、湿り気を帯びた空気がやってくる。
そんな季節の狭間で、蒼井厩舎の馬房前には今日も活気があった。
「デイズ、行くでぇ!」
調教助手の本間が軽く引き手を揺らすと、スペシャルデイズは素直に一歩踏み出した。
二歳馬らしいあどけなさは残っているが、近頃は目つきがぐっと大人びて見える。走る準備はできてることを示すように、デイズは軽く首を振る。
馬装が整えられると、場の空気を読んでいるかのように胸を膨らませた。
暑さにも負けず、ここまで順調に調教メニューをこなしてきた。ゲート試験は、拍子抜けするほどの“楽勝”だった。
暴れもしない、物怖じもしない。むしろ『これ、なぁに?』と興味深そうにゲートを覗きこむような態度まで見せて、関係者を苦笑させるほどだった。
「本間、どうや?」
調教を終えて引き上げてきたタイミングで、蒼井が声をかけた。
本間は優しくスペシャルデイズの首元を撫でながら、満面の笑みを浮かべた。
「テキ、今日も良い走りでした! 息も全然乱れませんし、足さばきも軽かったですよ。なんて言っていいか……リズムがええんですよね。とにかく乗ってて気持ちいい馬ですわ!」
本間の声はどこか浮き立っていた。その熱を感じて、蒼井は静かに頷く。
「そうか。顔見たら分かるわ。お前、だいぶ気に入ってるやろ」
「そら、そうですよ。素直で、賢くて、よう動いてくれる。ええ馬ですよぉ」
スペシャルデイズは褒められた喜びを隠さずに話に割って入った。
「本間さん。もっとほめてよ。そしたら、もっと速く走ってみせるから!」
スペシャルデイズの物言いに、蒼井と本間は顔を見合わせた後に笑い声を上げた。
────サンデー産駒は気性がうるさい馬ほど期待できる。
気性が激しくて扱いが難しいが、その荒さこそが闘争心の現れである。だからこそ走る、だからこそ勝つ。
競馬関係者のあいだで、もはや常識のように語られる“ジンクス”である。
だが、目の前にいるスペシャルデイズは、拍子抜けするほど大人しい。生い立ちの影響もあるのだろう。とにかく人懐こい。人が話をしていれば、耳を動かしながら近づいて混ざろうとするほど。
こんな性格の馬だが、コースに出れば目つきが真剣な色へと変わる。乗り役の指示を守り、併せ馬では先行する馬を追い抜こうと一生懸命に走るのだ。
ジンクスには反する。
しかし、蒼井には確信があった。
────この馬は走る。
すらりと伸びた四肢。繋ぎの柔らかい角度。軽く踏み込むだけで地面を捉える蹄の形。何より、立たせたときに感じる“気品”のようなものがあった。
血統も蒼井の好みではあったが、それ以上に理屈では説明しきれない直感的なもの。それがスペシャルデイズには確かにあった。
◇
「では、デビューは京都の千六でいきますよ」
ある日、蒼井はオーナーと電話で話をしていた。スペシャルデイズのデビュー戦についてだ。
十一月最終週の土曜日。秋開催の京都最終週に組まれた新馬戦が舞台となる。
電話を切ると、蒼井は事務所のホワイトボードに『スペシャルデイズ/京都1600m』と書き込む。
そして、その字を眺めて、腕を組む。
(乗り役は、どうするか……)
少し思案したあと、蒼井はもう一度電話を取った。
「おう、椿か? 十一月最終の土曜日の新馬戦でおろす馬がいるんだが、身体は空いてるか?」
「蒼井先生が自分から連絡くれるなんて珍しいですねぇ。ええと、ちょっと待ってください」
携帯の向こうで紙をめくる音がする。
「あ、大丈夫ですわ。乗れます!」
「そうか。じゃあ頼むわ。 一週前の追い切りも、もし乗れるならお願いしたいが……」
「ええですよ。朝いきますんで、その時に詳しい話きかせてください」
電話を切り、蒼井は予定表にもう一行を付け加える。
『 椿 騎乗依頼(R、一週前追いきり)
キュッ、キュッとペンが鳴る。予定表が埋まるにつれて、蒼井はデビュー戦へのカウントダウンが始まったのを感じた。
◇
────そして、一週前追い切りの朝。
まだ夜と呼んでもいい時間帯。外灯が白く照らす厩舎街では、すでに人と馬が静かに動き出している。
「じゃあ、しまいに気合い入れて追ってみてくれ」
「分かりました」
蒼井と椿が手短な打ち合わせを終える。
椿はスペシャルデイズの首をポンと叩きながら、にやりと笑った。
「よろしくな。聞いたで? 本間さんが“めっちゃええ馬や!”って連日熱弁してたわ」
「本間さんは大げさだよ。でも……嬉しいな。椿さんこそ、すごいんでしょ?とっぷじょっきー、なんでしょ?」
「なんや、もう俺のこと知ってるんか? んーでもなぁ、“天才”をつけ忘れてるわー。そこんところ、大事なところやで。気ぃつけてな?」
椿はニヤッと口角を上げる。いたずらっ子のような表情を浮かべ、スペシャルデイズの反応を伺った。
「そっか、間違ってたか。椿さんは天才とっぷじょっきーなんたね」
椿なりのジョークが全く通じなかった。自称天才になってしまったが、まぁええか。と思い直す。ニコニコしながらスペシャルデイズと雑談をしながら、コースへと向かった。
引き綱が外される。白い息を吐き出しながらコース内に侵入する。まだ冷たい空気を肌を刺す。
「じゃ、行こか。まずはゆっくり一周しよか」
椿の一声とともに、スペシャルデイズはゆっくりと駆け出した。
コフ。コフ。コフ。
スペシャルデイズの息づかいと、蹄が砂を踏むやさしい音。まだ暗い空の下、彼らはゆったりと一周し、体を温めていく。
「よし。ペースを上げるで!」
椿の声に、スペシャルデイズの背中がわずかに沈む。そこから滑るように加速していった。
三コーナー。椿は彼の肩越しに前方を見据えながら、手綱はまだ動かさない。
(うん、リズムええな。ぜんぜん余裕やわ)
四コーナー。やや膨らみぎみの走行ラインをわずかに内へと修正する。スピードがまったく落ちないまま、直線が視界に入ると、椿は手綱をしごいてゴーサインを送った。
その瞬間、スペシャルデイズの脚が地を蹴った。砂が跳ねる。ブレのないフォームで滑らかな加速感を覚えながら、椿はムチを使い手前替えの合図を送った。
直線に入ってすぐの合図にも遅れることなく、スペシャルデイズは滑るように手前を替える。
「はは、完璧やないかい!」
そこからの伸びは、古馬顔負けのものとなった。
しなるような身体。大きく、弾むようなストライド。ラスト二百の末脚は、朝の静寂を切り裂くような鋭さだった。
ゴール板を過ぎ、ゆっくりと減速していきながら、コース内を流していく。
(これは、これは……)
操縦性。コーナーワーク。手前替え。まったく注文のない走りだった。椿は大きく息を吐き、スペシャルデイズの首を二度、三度叩いた。
「お疲れさん。よう走ったな」
「全然まだ走れるよ。もっと走りたいなぁ」
「頼もしい限りやな。レースでたくさん走ろうな!」
息もまったく乱れていない様子に、末恐ろしさを椿は感じた。
コースを引き上げると、そこには蒼井が待っていた。目があった瞬間、蒼井は椿に尋ねた。
「どうや?」
椿は口元を吊り上げ、少しおどけたような表情を見せる。
「まだまだ良くなるんは先でしょうけど……ええ走りでしたよ。本間さんが熱くなるんも、よぉく分かりましたわ」
自分が褒められたことに反応して、スペシャルデイズが小さく鼻を鳴らす。
そして、首を大きく振りながら椿に続く。
「早くレースで走りたい!」
椿はそんな彼を見つめ、最後にひと言だけ付け加えた。
「デビュー戦────、負けたら全部僕のせいにしてください」
その声は冗談のようで、どこか本気の熱を含んでいた。
椿の一言を聞いた蒼井は、声を上げて笑う。その言葉の裏に潜んだ、確かな自信を感じながら。
こうして、天才トップジョッキー椿と、蒼井厩舎の若き原石スペシャルデイズ。
天才と原石の初めての邂逅は大きな期待とともに幕を閉じた。
お読みいただきありがとうございました!
次はデビュー戦とその後の話に続きます。来週(土)の更新をお待ちください!
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