02 ダービー馬の決断。逆境を跳ねのけろ!
前回のあらすじ
ダービーとブリーダーズカップを勝ったサンデーサイエンス。引退して種牡馬になろうとするが不人気過ぎてお払い箱待ったなしの状況が発覚した。
02
『サンデーサイエンス?レース成績は良かったけどねー。あの見た目がねぇ……。』
『いやー、うちの繁殖牝馬にはサンデーじゃ勿体ないね。何せサンデーの血統は二流すぎるから。』
『今年の目玉は良血馬のイージーモアだろ?うちの繁殖牝馬にはイージーモアを付けるよ。サンデー?需要が無いだろうねぇ。』
社長からの衝撃的な告白を受けた既に二週間が経過していた。
しかし、サンデーサイエンスはまったく立ち直れていなかった。
以前にも増して覇気が無く、放牧地に出されても放心状態。まさに、心ここにあらず、の状態であった。
「ふふふ。ふふふ。ボクはサンデーサイエンス。アメリカに見捨てられた男だよー。生産界には不要なサラブレッドだよー。いっそボクのリトルサンデーを取っちゃった方が皆のためかも知れないなー。ふふふ。」
中空の一点を見つめ、ぼそぼそっと呟いては、ケタケタケタと虚ろな目で笑っていた。
その不気味さに、同じ放牧地にいる他の馬たちも誰一人近づこうとしない。
社長や他のスタッフもサンデーを励まそうと、優しい言葉をかけたり、好物のリンゴを差し入れたりしたが、ご覧の有り様だった。
夜になり厩舎に戻ってきた今もなお、自虐的なことを呟いてはケタケタと笑っていたサンデーサイエンスだったが、急に口を閉じ、力なく項垂れたまま動きを止めた。
顔を伏せ、身じろぎ一つしないまま静かに立ち尽くす。沈黙が続くなか、かすかに震えるサンデーの肩が彼の内面に渦巻く感情の嵐を物語っていた。
そして、ついに堰を切ったように大粒の涙が彼の目から次々とこぼれ落ちていった。
「……くっそー。くっそー。何でだよ、オレの何がダメなんだよ?!見た目?血統?そんなの関係なかったじゃねーか?!ダービーを見ただろ?ブリーダーズカップを見ただろ?オレが一番だったじゃねーか?!頑張ったじゃねーか?!ちくしょー……。」
悔しさ、惨めさ、情けなさ……いくつもの感情が複雑に絡み合い、サンデーの胸の内はグチャグチャに乱れていた。
大レースでの勝利によって築き上げてきた自尊心は、跡形もなく崩れ去っていた。
止まらない涙、押し殺した嗚咽。
厩舎の一角で漆黒の身体を震わせながら、静かな夜の中にそれは響き消えていった。
その翌日。サンデーサイエンスは牧草地の中でぼーっと呆けていた。代わり映えの無い毎日にサンデーは全てが虚しく思えていた。
そんな折、放牧地の柵越しにサンデーを呼ぶ声が聞こえた。
「おーい、サンデーサイエンスゥゥー!また来たぞー!!」
サンデーは声のした方をみると、この前も牧場に来ていたサングラスを掛けたオッサンが手を振っていた。
手招きされているのに無視するのも、人として道に背くなと思ったサンデーは、鉛のように重たい足を引きずりながら柵の方に近づいていった。
「おう、よく来てくれたな。また会えて嬉しいよ。この間の話……考えてくれたかい?」
「……この間?」
サンデーは先日、目の前のオッサンが言っていた事を思い出す。
────俺と一緒にジャポンで頑張ってみないか?
サンデーは、社長から告げられたあの話の前に、フジワラが言っていたことをふと思い出した。
あまりにも社長の話が衝撃的すぎて、サンデーはフジワラから勧誘されていたことをすっかり忘れていた。
サンデーは顔を横にそらし、思い悩んでいる風を装った。
少しの沈黙のあと、『悩むのも仕方ないな。』とフジワラが先に口を開き、そのまま話を続ける。
「俺な、ジャポンで馬作りをしてるんだよ。ジャポンには、ジャポンカップという外国馬を招待して行う大レースがあるんだが、自信を持って送り込んだウチの馬が外国の馬たちにぶっちぎられて負けたんだ。
しかも、先着された馬たちは決して特別な馬じゃなく、地元のレースじゃいつも負けている、ぱっとしない成績の馬だった。……衝撃を受けたよ。
世界とはこんなに差があるのか……ってな。」
フジワラは一度話を切り、当時の絶望的な敗北感を思い出しているのか、とても切ない顔で遠くを見つめる。そして再びサンデーの方に顔を向け、続きを語り始める。
「まだまだジャポンの馬と世界とでは、大きな差があるけど、サンデー、お前が来てくれればその差は絶対に埋めることができる。
俺は、世界で戦える馬をつくりたい。いつかお前が勝ったケンタッキーダービーやブリーダーズカップに勝つ馬をつくりたい。だからよ……」
『俺と一緒にジャポンに来てくれないか?』とフジワラは熱の籠った瞳でサンデーをじっと見つめる。
サンデーサイエンスは静かにフジワラの話を聞いていた。遠く離れたジャポンから何度も足を運び、熱心に誘ってくれたことにフジワラの誠実さを感じていた。
こう言ったフジワラの態度や言葉は、自尊心を粉々に砕かれ、目標を見失ったサンデーの心にささっていた。それはあたかも空になったタンクに、新しい燃料を注ぎ込まれたようだった。
「これまでがそうだったように、キミはどんな苦難も乗り越え、レースに勝つことでキミを笑った奴らを見返して来ただろ?
今回も一緒さ。キミを不要だと言った奴らを見返すために、サンデー、キミはジャポンに来るべきだ!……一緒に、行こう?」
この瞬間、サンデーの心の奥底でチリっと火花が飛んだ。その火花は新しく注ぎ込まれた燃料に微小な種火となる火を灯す。
まだまだ小さく、吹けば消えてしまいそうなほどの頼りない火だ。しかし、その火は確かに彼の心の中で燃え始め、冷えきっていたサンデーの血液をじんわりと暖め始めた。
「……まだ、終われない。」
サンデーサイエンスは、ポツリと呟いた。
その目に再び光が宿る。少しずつ全身に血が巡り始め、さっきまでの死者のように青白く覇気の無い表情の男はいなくなっていた。
「……Mr.フジワラ、オレ、ジャポンに行くよ。アンタの夢が叶うように頑張りたい!そして、アメリカの奴らを絶対に見返すんだ!」
「おぉー!!決断してくれたのか!!よし、善は急げだ、このまま社長の所に行って手続きをして来よう。そうだ、キミの分の航空機のチケットも手配しないとな。忙しくなるぞー!フハハハ、嬉しい悲鳴だ!!」
フジワラは携帯電話を取り出して、どこかに電話をかけながら歩き出し、そして社長のいる事務所の中に入っていった。
サンデーサイエンスは一人になり、空を見上げた。今日も空は青かった。その青はどこまでも広がるようなきれいな青だった。
────こうしてアメリカの生産界から見捨てられたダービー馬は、太平洋を越えて極東の島国に渡ることになった。
サンデーサイエンス、漆黒の逆襲者としての第二幕が今始ま────
「おーい、サンデー!悪い悪い、お土産を渡すのを忘れていたよ。ほら、ジャポンで有名な団子だ!
こいつを食べると元気が出るんだよ。何よりうまい。ただ、喉に詰まらせないように気をつけてくれよ?」
いつの間にかサンデーサイエンスの目の前にフジワラが戻ってきていた。
フジワラは手に持っていた容器の中から団子を1串取り出して、サンデーに差し出した。
サンデーはそれを手に取り、初めて目にする団子をまじまじと見る。団子と呼ばれるものは、棒に白い丸い物が3個刺さり、その上にきれいな藤紫色の固形物がソースのようにかかっていた。
「その紫色のソースはな、こしあんって言うんだ。甘くてうまいぞ!さぁ、まずは一番上のやつをガブッとやってくれ。」
サンテーは言われるままに団子を口に運んだ。
「Oh!!デリイィィィシャァァス!!!!」
その瞬間、サンデーサイエンスの全身に力が漲り、思わず感嘆の声が口をついて出てしまった。
口に含んだ瞬間に、ほろりと崩れたこしあんの甘みが口の中に広がり、団子の程よい弾力性のある食感とが奏でるハーモニー。初めて食べたが、その味は素晴らしいものだった。
「なんじゃこりゃあ!?これがジャポンで有名な手土産なのか!?……フ、フハハハハ!素晴らしい!最高だよ、Mr.フジワラ!ジャポンに行く楽しみが一つ増えたよ!」
「喜んでもらえて何よりだ!これから社長とキミの権利のことで契約を交わしてくるよ。それらの手続きが終わったら、一緒に空の旅だ。さっさと片付けてくるから、もう少し待っていてくれ。」
フジワラはその言葉の通り、異常な速度ですべての手続きを終わらせていった。それはまるで初めてのデートに浮かれる乙女のように、楽しみで仕方がない様子が誰の目にも明らかだった。
途中、心無い男から『あんな二流の血統に大金を払うなんてジャポンの人間はもの好きだな』と言われるが、フジワラに取ってはどこ吹く風よ。
むしろフジワラには確信めいた予感があった。
『種牡馬、サンデーサイエンスの購入』が自分にとっての『桶狭間の戦い』であり、織田信長がかの戦での勝利を天下統一の足がかりとしたように、サンデーサイエンスをジャポンに連れ帰ることで、自分の悲願を果たせると感じていた。
ジャポン競馬史の分水嶺となる出来事の中心人物、それが自分であることにフジワラは武者震いが止まらなかった。
◇
フジワラのオッサン、あんな見た目なのに仕事できるんだなぁ。あっという間に契約をまとめて、次の日にはもうジャポン行きの飛行機の中だもんな。
やっぱり人は見かけだけで判断するもんじゃないんだな。
オレはそんな事を考えながら、空港のカウンターで搭乗手続きを行っていた。
今回のジャポン行きはオレの人生の再出発。裸一貫で臨むため荷物はキャリーバッグ1個のみ。
正直言って、新しい挑戦にワクワクしている。絶対にやってやる。待ってろよ、ジャポン!!
「気をつけてな。サンデー。向こうでも頑張れよ。」
今日は社長が見送りに来てくれた。
フジワラのおっさんはアメリカに残って、オレの花嫁候補を見繕ってから帰国するらしい。一人旅は初めてだけど、何とかなるだろう。
「じゃあな、社長。今まで世話してくれてありがとう。ジャポンでオレ頑張るよ!」
オレは社長と最後のハグを交わし、手を振りながら搭乗ゲートを通過した。
産まれてから過ごした故郷を離れるのは、少し感慨深いものがある。だが、そうも言ってられないからな。
搭乗を促すアナウンスが流れる。オレは案内に従い、搭乗口から飛行機内に入って座席を探す。中央エリアのちょうど真ん中にオレの座席はあった。
しんみりした気分を変えようと、オレは雑誌を広げる。そこにはオレの記事が書いてあった。
────サンデーサイエンス、ジャポンに電撃移籍!
X年のケンタッキーダービーとブリーダーズカップの覇者、サンデーサイエンスがジャポンで種牡馬に。移籍金は1000万ドル超か?その背後にジャポンの敏腕経営者F氏の存在が!
────
ふんっ。まだゴシップ記事に載るくらいの需要はあったんだな。オレは鼻で笑って続きを読んでいった。
そこには怪我による電撃引退から種牡馬落第と呼ばれるまでの話、そしてそんな馬を大金で買っていくF氏のことを嘲笑するような内容が玉石混淆に書かれていた。
『アテンションプリーズ!まもなく当機はxx空港を飛び立ちます』
ハッとして顔をあげると、いつの間にかシートベルト着用サインが点灯していた。オレは慌ててシートベルトを身につける。
ほどなくして急激に飛行機が加速し、直後にフワッとした浮遊感がやってきた。
オレは座席にしがみつき浮遊感に耐えていると、徐々に揺れが少なくなって安定飛行に入ったようだ。
(フジワラはロサンゼルスの空港に着くまで5時間くらいだから、くつろいでおけばいいって言ってたな。雑誌の続きでも読もうかな。)
再び雑誌をペラペラめくるが、ふと圧迫感を覚える。座る位置を整えるフリをして左右をチラ見すると、自分の両隣にスモウレスラーの様な巨漢のおじさんが座っていた。
……まじかよ。あ!おい、オレの席の方に足はみ出すなよ!え、反対側のおじさんも?うそ、オレ巨漢のおじさん達に5時間も挟まれたまま過ごすの??
嫌すぎるぅぅぅーーーー!!!!
◇
『まもなくロサンゼルス・xx空港に到着します。当機はこれより着陸体勢に入りますので、座席にてシートベルトを着用してください。』
着陸の瞬間、機体に衝撃が加わり座席が揺れる。5時間の空の旅が終わり、乗り換え便の待つロサンゼルスの空港に着いた。サンデーサイエンスは周りの乗客の波に混ざりながら、機体を後にした。
「くぅぅう、あぁぁー!」
エントランスに降りてきたサンデーは、大きく背伸びをした。空にいた5時間の間、巨漢のおじさんに挟まれたまま席も立てずに、その窮屈さと闘った。勝ち負けこそ不明だが、頑張って耐えたと言える。
サンデーは欠伸をしながら預け荷物の受け取り場所に向かった。大小様々なキャリーケースがレーンを流れてくる。
サンデーは自分の荷物を探したが、なかなか出てこない。その間にレーンを回っていたキャリーケースが一つ消え、二つ消えと数を減らしていくが、ついにサンデーの荷物が出てこなかった。
「は!?オレの荷物が無いんだが!?あ、すみませーーーーん!!」
サンデーは慌てて近くにいた空港の人に荷物が出てこない事を訴えた。
「荷物がない?あぁ……違うレーンに混ざってしまったのかもしれないねぇ。どこまで行くの?ジャポン?じゃあ見つかったら連絡するから後で取りに来てくれる?あっちのカウンターで手続きできるから。良い空の旅を!」
空港の人は自分の仕事が忙しいのか、ささっと消えてしまった。
いわゆるロストバゲージというやつである。
決意新たにジャポンに向かって旅立ったサンデーサイエンスだったが、巨漢に挟まれたり、ロストバゲージにあったり……。その出鼻を挫くように、さっそくの逆風にさらされていた。
彼の人生は『逆境との闘い』が強いられる運命なのかもしれない。頑張れ、サンデーサイエンス!
「いやいや、勝手にいい感じにまとめるなよ!こんな逆境、嫌すぎるわ!あぁー、手続き面倒くせーーー!!くそぉぉー!オレは、絶対に負けねぇぇ!!!!」
サンデーサイエンスは改めて、ジャポンでのし上がって行くことを強く誓った。
さっそくの逆風。サンデーサイエンスは果たしてジャポンで無事に過ごせるのか笑
次回、ダービー馬のジャポンでの生活。
更新は10/4(金)21:20を予定しています
お楽しみにー(ФωФ)