作家諸氏への啓発
本作をお読み頂きありがとうございます。そして『啓発』などと大仰なタイトルでご不快にさせてしまわれた方がおりましたならば、先に謝罪致します。申し訳ございません。
さて、この度私が筆を執りましたのは思う事があっての事でございます。
ここ最近久方ぶりに『小説家になろう』を開いて幾つかの作品を拝読させて頂きました。ランキングで比較的上のほうにある中で短目のものを数作ではありますが。そこで改めて感じたのが「危機感」と「惜しい」という思いです。と言いますのも、「発想」「ワードチョイス」「ストーリー構成」これ等は良いのに、ある一点が欠けているが故に読み辛く、読むのを止めようかと思ってしまったのです。その一点と言うのが「文法力」です。「文章力」ではなく「文法力」です。
何故文章ではなく文法なのか。それは小学校で習う程度の基礎的な文法が出来ていないと感じた為です。特に「句読点」が正しく使えていない方が増えたように思います。そんなの今更だろうと言う意見もあるとは思いますが。それに苦言を呈する投稿自体は幾つもありますし。
『小説家になろう』は無料で執筆・投稿し、無料で読むと言う性質上多少の誤字脱字は許容して然るべきものと考えております。勿論無いに越した事はありませんが、商業誌ではないのですから。それに加えそういった間違いはケアレスミスであり、分かっている上で起きてしまうといった性質上改善予防は比較的容易です。きちんと推敲して気を付ける。それだけです。仮に起きたとしても、単発なので優しい読者からの誤字報告が来ます。そして「ありがとうございます。気を付けます」の気持ちでポチっと反映させればいいのです。私自身面白いと感じたり、思い入れのある作品で文中にちょっとした誤字脱字があれば「この『話』が終わったら次に行く前に報告入れておこう。あそこだけだし」とちょちょいと報告を飛ばします。場合によっては「まあいいや」と脳内変換で見なかった事にすることもあります。
翻って句読点の間違いはどうなのかと言いますと、これがなかなかに厄介なのです。何故厄介なのかと言いますと、指先の怪我ではなく全身の皮膚に広がった病班の様に広範なものなのに加え、筆者の認識・常識を否定し正そうとする事になる為です。自分の中の常識を否定されて素直に正せる人はそう多くはいません。
今までの十数年、数十年もの間何の疑問もなく常識と思っていたこと。例えば昔授業で習った歴史の年号が新説により変わったり、いたとされていた偉人が架空の存在になったり。それを受け入れたつもりでも、記憶や意識のウェイトは前の情報に傾いているなんて人は多いのではないでしょうか。
ここまで稚拙ながらも説明させて頂きましたが、文法的初歩に当たる句読点の間違いは外からの指摘では直り難いものなのです。そしてそんな直り難いものが「読みやすさ」に大きな影響を与えるのですから、たまったものではありません。
それではどのような句読点が間違っているのか。例文と共に説明させて頂きます。
”その時彼は言った、魔王を許す事は出来ないと、その声には勇者としての義憤だけではない暗い感情が籠っていた、それを表面上は気付かなかった振りをしていたが、心では不安が消えず、楔でも打たれたかのように残り続けた。”
さて、どこがどう間違っているのか分かりますでしょうか。
これを本来あるべき句読点で書き直すと以下のようになります。
”その時彼は言った。魔王を許す事は出来ないと。その声には勇者としての義憤だけではない暗い感情が籠っていた。それを表面上は気付かなかった振りをしていたが、心では不安が消えず、楔でも打たれたかのように残り続けた。”
ついでにもう少しすっきりした文に改変するならば。
”その時彼が「魔王を許す事は出来ない」と言ったその声には、勇者としての義憤だけではない暗い感情が籠っていた。それを表面上は気付かなかった振りをしていたが、心では不安が消えず、楔でも打たれたかのように残り続けた。”
となります。
何故原文が間違っているのか。それは段落中にある本来句点”。”があるべき場所が読点”、”になっており、段落末にしか句点が無いからです。
読点を打つ場所は筆者のセンスに依る所が大きいものの、句点に関しては比較的明確に決まっています。それは文の切れ目及び文末です。原文だって文末ではないかと思う方がいるかもしれません。ですがそれは間違いです。そこは文章末もしくは段落末であり文末ではありません。
すると文とはなんぞやという話になります。
文とは意味を成す文字の一つの連なりであり、文字頭から句点までのものを指します。
では段落、文章とは何か。
段落は連続する文の連なりであり、同一話題のまとまりです。そして文章はその段落が複数集まったものを指します。よって
文章>段落>文>単語
という関係性になります。つまり一マス開けてから続く長い文列の段落中に句点は有って然るべき物であり、段落末まで無いというのは本来あり得ないことなのです。そして一部あるいはかなりの数で勘違いされている方がいるようですが、句点がついたからといって改行しなければいけないというルールは存在しません。
会話文の末、”」”の前に句点を打つべきかどうか。これについては統一されていることを前提に『どちらでも良い』です。商業出版する場合は出版社の方針に準拠するのがベターでしょう。仮に出版社の方針と自身の方針が違っていたならば、折れて合わせるか「これが私の文章スタイルなんだ!」と貫くかを選ぶことになります。
では次に具体的な句点の打つべき場所です。一口に文末と言われても分からない方がいるかもしれません。なので系統別にしたものを見ていきましょう。
・断定形の「~だ」
・推定形の「~だろう」
・過去形の「~だった」
・万能形の「~い」「~か」
・敬語形の「~です」「~ます」「~しょう」「~ません」
・口語形の「~な」「~ね」「~よ」「~の」「~わ」
・系統外の体現止め
おおよそこんな所でしょうか。もっと言えばあるんでしょうが、とりあえずはこの辺にしておきます。基本的にはこれ等が文末になることが多く、細かな例外を除けば、これ等がきたら句点を打っていれば安牌と言えるでしょう。
次に読点です。前述したようにこれは筆者のセンスに依る所が大きいです。ですがそれでもある程度の基準や定型があります。小学校では息継ぎする所に読点をつけましょうと教えるケースが多いようです。確かに普段会話をしていたら、区切りの良い辺りまで喋ってから息継ぎをしているかもしれません。ですが文字で書いていると「声に出している訳ではないから何処で息継ぎしているか分からない」や「黙ってる時の呼吸リズムで読点を打つ」等という事が起きてしまう可能性があります。毎度音読しなくてはいけないのか?そんなことはありません。きちんと法則性や技術を学べば解決出来る問題です。
さて、読点を打つ際の法則性ですが、これは絶対的な物ではないと先に述べさせて頂きます。その上であくまで参考にして頂ければと思います。先ずいくつか列挙するならば
・反論/否定 「~だが、~」「しかし、~」
・追加/接続 「~で、~」「~か、~」「~と、~」
・想定/仮説 「~なら、~」「~であれば、~」「もっとも、~」
・承認/肯定 「ああ、~」「うん、~」「そう、~」
・列挙/体現止め 「○○、○○、○○~」
等が読点を打つ場所の基本的に不変なものになります。句点同様にこれ等はほんの一部であり、本来はもっと多いのですが、全てを記載していてはキリがないので省略させて頂きます。
本来読点というのは文を読みやすくする為に打つものです。なので読点がありすぎてもいけませんし、逆に無さすぎてもいけません。なので読点を打つ際は、多くとも四つまでに抑えるのが適切ではなかろうかと私は思います。平均では二つ前後でしょうか。
それでは次に具体的な読点の打ち方、及び考え方に移っていこうと思います。
先ずそもそも読点は何処に打っても良いという訳ではありません。当たり前ではありますが、単語や品詞の途中で分断する様に打ってはいけませんし、句点とならべて打ってもいけません。例外的に正しい単語や品詞の分断として、『動揺』『焦燥』『疲労』『恐怖』等の感情・状態の際に言葉が詰まるという表現もありますが、そうでない場合は基本的に分断してはいけません。
次に意識するのは一つの文の中で意味・効果が変わる際の区切りに打つという点です。前述した反論/否定型をはじめとした型を今一度見て頂ければ分かると思いますが、読点の前後で同じ内容でありながらも意味が違う物になるのです。反論/否定型であれば、前だけならただの肯定する文でしかありません。そして後の文はただ事実や思ってることの提示です。これに反論/否定型をもって繋ぐと、状況や相手の言い分に理解を示しながらもそれを否定するといった文になります。
例)彼の言っていることは正しくはある"のだが、"正しいだけでは人はついていかない。
このように全体で一つの言いたいことを示す文の中で、区切ることでそれぞれに独立した意味を持つ短文になるような場所に読点を打ちます。
句読点には区切る効果の他にも『拍/間』をつける効果もあります。ゆっくりと音読した際に句点はおおよそ二拍、読点でおおよそ一拍に相当します。そしてこの”間”を設けることで思考の間隙や意識の切り替わりを演出する効果もあります。
ここまで説明して来ましたが、ご理解頂けましたでしょうか。これ等の法則は絶対ではありませんが、文法上基本の物になります。これを理解した上であえて崩し外すことで感情や情景を表現する手法もあります。ですがそれもきちんと理解しているからこそ効果的に作用するのです。そして今回説明させて頂いた句読点の法則は地の文限定ではなく会話文、「」の中も対象です。「」の中だから長文でも最後まで句点は使わない、ないしはそもそも句読点を使わないというのは間違いです。
最後に、これまで私は小説家になろうを通して幾つもの作品に触れて来ました。追いかけていた作品が書籍化し完結したこともあれば、諸事情によりエタってしまい続きが読めなくなってしまった作品もあります。その他多くの作品の中には文法を正しく使えている物もあれば使えていない物もあります。そして私が知る限り、大成した作品・作家は文法を正しく使えている側です。勿論正しく使えたからと言ってヒットする訳ではありません。ですが累計総合ランキングの上位にある作品で殊更おかしな文法で書かれた物はありません。読者の読みやすさに配慮した『短文構成』や『小段落毎の空行』はあっても、上述した断定形を始めとした、句点を打つべき場所で打たれていないなどということは無いのです。であるのであれば、ヒットさせる第一歩として先ず『句読点等の文法を正しく使う』というのは必要な事なのではないかと私は思うのです。
最初に述べたように句読点に関しては本来小学校で習うものです。私が今回述べさせて頂いた内容に疑義があるようであれば、一度学校の教科書を開いてみてください。国語でも社会でも理科でも何でも構いません。それかプロの作家が書いた一般文芸書を開いてみましょう。そこに記載されてる文を読んで頂ければ分かるかと思います。
あなたが普段書いて投稿している文と比較してどう思いましたか?