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夢のもつれ

作者: 日向 葵

 メロスは激怒した。そうして、かの邪知暴虐の王を改心させる不滅の偉功を立てることに成功した。

 シラクスに現れた勇者の噂は十里の距離をものともせず、オリーブ馨る風に乗って彼の故郷にも時を置かず運ばれた。

 すると瞬く間に命がけで信実を貫いた正義漢を一目見ようと大勢の人がメロスの自宅を訪ねた。態々自分を誉めそやしに来た客人を、この善良な若者も無下に扱いはしなかった。酒に食事に歌にと、気持ち良くもてなした。

 妹は正義感溢れる兄を今まで以上に心から尊敬し、その婿は純然たる人倫の結晶のような素晴らしい人と身内になれたことを心から誇りにした。セリヌンティウスとの友情も、これまで以上に篤いものになった。

 何もかもが、順調だった。しかしそれも、長くは続かない。

 ややもすれば誰も彼もメロスへの興味を失った。人の噂も七十五日とはよく言うが、ひと月ももちはしなかった。メロスの偉業を忘れてしまったわけではない。ただ、改めて口に出すほどの鮮度はもはや失われた。村人の関心事なら、今年の葡萄の出来の如何と、メロスの妹が早々に離婚するかどうかに既に移ろいでいた。

 メロスは嘆息した。どうしたら新鮮な注目を今一度集められるだろう。寝ても覚めてもそればっかりで、大事な羊の番もとうとう疎かになった。

 忘れられなかった。周りが己に向けた熱賛の言葉、拍手、憧憬の眼差し、そのなにもかもが。

 それまでのメロスは、ただの牧人だった。邪悪に人一倍敏感で、生まれた時から正直というゼウスの前に立っても恥ずかしくない立派な青年ではあったものの、無名であった。きっと朝から晩まで羊の世話をしていたところで、名を残すことはなかったろう。今となってはその私益を求めない性質が仇となり慣れない称賛の嵐が齎す快感にまるで病みつきで、葡萄酒を陽気に飲み乾したように贈られた言葉を反芻しては惑溺の心持ちだった。それ故今の待遇は少々、いや、大分、不満だった。

 メロスは思案した。どうやって人々の気を惹こうか。どうやってもう一度有名になろうか。メロスは単純であったが馬鹿ではなく、悪事を働くなんて不道徳なこと、とても思い付きはしなかった。それが不幸の緒であったかもしれぬ。

 何日も何日も考えに考え抜いて、そうしてやっと、妙案がメロスの頭上に舞い降りた。

 メロスは実行した。そうして念願果たし、一躍時の人となった。



「やァお前さん。今度の話は、もう聞いたか」

「もちろんさ。お蔭で昨日っから、行く先々その話題でもちきりだ」

「そりゃそうさ。誰もこんなこと、予想できやしなかったろう」

「妹もセリヌンティウスも、とても信じられぬ、と」

「一体あの勇者さまは、何をお考えになったのやら」

「分からんよ、俺たち凡夫には」

「しっかしネェまさか……」



 メロスが自殺するとは。

自殺志願者メロス。

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