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平和な給餌行動が行われているのをみると、しみじみ、和みますね。
本当に、今日一日色々ありましたから。
思わず出てしまった溜息に、ヒヨコちゃんが小首を傾げてこちらを向きます。
それににこりと笑みを作ってみせてから、もう一度溜息を溢します。
「何でこう、ただ生きてるだけの事がしんどい時があるんだろうね。どうしようもない事とか一杯だし、割り切るべき事を割り切りたくなかったり、もどかしかったり、やりきれなかったり。それでも、いつかここで生きてて良かったって、思える日が来るかな?」
呟きながらヒヨコちゃんの頭を撫でていると、唐突にその腕にしがみ付く指人形の姿が見えました。
「我が君! 私めがそんな我が君をお慰め申し上げます! ですから、今すぐ契約を! そうしたら、大きくなれますから!」
またややこしい事を言い出す指人形に、引きつった笑みを向けます。
「あのね。何で堂々と出て来てるの? それに、あなた何?」
そろそろ指人形の正体も真面目に聞いてあげる頃合いでしょうか。
取り敢えず、魔王とは無縁に生きられそうなので、指人形の正体も最初浮かんだ想像とは違ったもののはずです。
「人間は、魔人と呼びます。我が君のように強い魔力のある人間や魔獣と契約してその魔力を分けて頂く事で、人と似た姿を取る事が出来るようになります。契約すべきご主人様が見付かるまでは力無き小さき存在ですが、移動する事と姿を消す事は自在に出来ます。」
「ん? 魔力を食べると巨大化するサークマイトと少し似てる?」
コルちゃんを思い浮かべながら返すと、指人形はキッパリと首を振った。
「まさか、あんな礼儀知らずな獣と一緒にしないで下さい。あれらは、ご主人様から勝手に魔力をご馳走になるのです。しかも、巨大化してもご主人様にお仕えする訳でもない。」
指人形的には一緒にされて何か不本意だったようです。
「へぇ・・・。まあ私、契約する気ないけどね。」
そこははっきりと強調しておくと、指人形は両手を握り締めて涙目になります。
「どうしてですか? 我が君の身体の主も契約していたじゃないですか。魔王の魔力を与えられて、でも恐らくご主人様の意向で黒い蝶の姿をしていたでしょう? ご主人様が居なくなってしまって、力を使い尽くして消えるのを待つ身になっても、ご主人様の身体に宿った我が君を守っていたのは、きっとご主人様の意を汲んだのでしょう。」
何気に、黒いアゲハ蝶の謎が解けましたよ?
レイナードは魔人に魔力を与えて契約していたんですね。
それに、レイナード命の危機で出て来たレイナード先生は、黒いアゲハ蝶の魔人さんだったって事ですね。
レイナード本人が助けに来てくれた訳じゃなかった事は、何というかちょっと、もやっとしてしまいました。
「黒いアゲハ蝶さんは、レイナードに付いてあっちに行く事は出来なかったの?」
「ええ。身体の主が中身だけの入れ替えに切り替えてしまったので、元から力の無い魔人では魔力の供給が絶たれれば、辿って行く事が出来なくなるんです。」
その説明には、黒いアゲハ蝶さんが可哀想に思えてしまいました。
これで最後と言った黒いアゲハ蝶の魔人さんは、あれで消えてしまったんでしょう。
「そうなんだ。契約してしまうと、持続的に魔力供給が必要で、その魔力が強かったり多かったりすると、出来る事も多くなるってこと?」
「うーん。まず、魔力供給の事ですが、ご主人様の側に居れば、余剰魔力を自然供給出来るので、特に与えて頂く形を取る必要はありません。」
そう言われるとやはりサークマイトとの共通点に見えてしまいますが、そもそもこの世界ではそういう余剰魔力の活用法として、そういう能力を持つ魔物への進化とかがあるのかもしれません。
「それから、魔人は魔力の量よりは質に大きく左右されます。例えば、身体の主殿は、魔王の魔力でしたから魔法に置き換えやすく、ですから黒い蝶の魔人は魔法が非常に得意だったようです。」
成る程、その魔法の力には何度もお世話になったので、素直にお礼を言う事にしようと思います。
「仮に我が君が契約をして下さった場合は、僕は純粋な混じり気のない魔力を頂くので、癒しや直しといった修復の力を使えるようになる上に、我が君が極めて行かれる魔法も扱えるようになる筈です。」
嬉しそうに語り切った指人形に、口の端を歪めて微妙な笑みを向けてしまいました。
これは、ますます迂闊に契約なんてしない方が無難なお話ですね。
「ふうん。ますます契約には慎重にって言葉が頭に浮かんだわ。色々説明有難う。でも、契約は取り敢えず無しの方向で。」
「えええ? そんなぁ。」
また来たウルウルのお目めからは、さっと目を逸らしておきます。
「まずは、この世界のことしっかり勉強しなきゃね。その上で、私が納得出来たら契約に応じるかも。それまでは、付き纏っても無駄なので、何処か行ってて下さい。」
今言える譲歩はここまでです。
はっきりと言い切ったところ、指人形がガックリと項垂れました。
可哀想な気もしなくもないですが、この魔人さんを飼うのは、ペットを飼うような感覚では危険です。
魔人って言われるだけあって、中々厄介な生き物のようですね。
下手をすると自分のコピー人間的なものが作れてしまうかもしれないってことです。
ちょっと寒いかもしれません。
とここで、お母さんが首を伸ばして腕に頭を擦り付けて来ます。
どうやら、餌やりの時間は終わりのようですね。
無事に終わった事にホッとしながら、笑顔を向けてみせます。
「それじゃお母さん、またね!」
そう声を掛けると、お母さんは小さくピュルルと鳴いて首を引っ込めると、少し離れて離陸体勢に入ります。
こちらも少し下がってヒヨコちゃんに向けて両腕を広げると、トトトッと寄って来たヒヨコちゃんが足を少しだけ曲げて、トスっと腕の上に飛び上がりました。
まだ風切り羽は生えていないので、飛んだのではなくジャンプなんでしょうが、少しだけ成長を感じてほっこりしましたね。
バンと一つ風圧を残してお母さんが上空へ上がって行ったのが確認されると、玄関から第二騎士団の皆さんがわらっと出て来ました。
「レイカ殿。大丈夫だったか?」
真っ先に声を掛けてきたのはシルヴェイン王子です。
その顔が真剣過ぎて、ちょっと身が引けます。
「あーえっと。私は大丈夫ですよ?」
及び腰に答えると、ふうと露骨に安堵の溜息を吐かれました。
「あれが、ハザインバースの親鶏か。」
いつの間に追い掛けて来ていたのか、父がシルヴェイン王子の隣から話し掛けて来ます。
「羽の中にお前が包まれた時は、どうなる事かと思ったが、何事も無さそうで良かった。」
じっとりとしたこの言葉は、苦い口調のトイトニー隊長です。
「あれって、お母さんの中で私ってどんな認識なんでしょうね? うーん、やっぱり都合の良い託児係なんでしょうか。」
ポツリとこちらも返してみると、何故か皆の目が言いたい事を飲み込んだような微妙なものになりました。
「あ、今の、予測の答えとか欲しくないので、聞き流して下さい。」
世の中、色々はっきりさせない方が精神衛生上良い事って一杯ありますよね?
とか考えていたところで、ふうと溜息と共に、ぎこちなく上がったシルヴェイン王子の手がそっと頭を撫でてくれました。
やっぱり見た目の所為でしょうか、中身28歳だって言ったのに、年下の女の子扱いですね。
「ちょっと殿下! 小さい子じゃないんですから、頭乱れるじゃないですか。」
少しむっとして抗議してみると、慌てて手を離されました。
「あ、済まない。つい。」
「つい、ではありませんぞ、殿下。年頃の娘に勝手に触らないで頂きたい。」
そこですかさず言葉を挟んだのは父で、すっかり年頃の娘を持つ父親の顔が出来上がっています。
ふと、この人流石はレイナード兄弟の父親だなって思ってしまったことは内緒です。
兄弟それぞれの微妙に面倒臭いところ、間違いなくこの人が出所ですね。
「分かった、だから済まなかったと謝っている。」
弱り切ったシルヴェイン王子と意外に粘着質にくどくど言い出す父からそっと目を逸らして周りに目を向けることにしました。




