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食堂で昼食後、昼寝を始めたヒヨコちゃんを抱えたまま兵舎の廊下を歩いて会議室を目指していると、通り過ぎる予定の玄関先でちょっとした騒ぎが起きているのが見えました。
「レイナード様に、少しだけで良いんです!」
必死そうな女性の声で名前を呼ばれて、思わず足が緩んでしまいました。
また、トラブルの匂いがしますね。
これは、恐れていた女性問題でしょうか。
女性問題だけは、頑張ってもレイナードの気持ちとか理解出来そうにないので、出来る限り避けて通りたいところだったのですが。
「ロザリーナ!」
と、駆け付けてきて割り込んだこの声は、コルステアくんですね。
あれ? 何だか修羅場の予感が。
「だから、今はダメだって言ったでしょう!」
コルステアくんからのダメ出しに、ロザリーナさんが涙目で睨み返しています。
「だって! わたくしあの時からレイナード様と何もお話させて貰っていないのですよ?」
なになに? 怖くて聞きたくないんですが、その気持ちとは裏腹に気になります。
どうするべきか完全に足を止めて考え込んでしまいますね。
「貴女は、もうあの人の婚約者じゃないでしょう?」
コルステアくんが唸るような声で吐き出した言葉に、目を瞬かせてしまいます。
あれ、レイナードったら婚約者さんが居たんですね。
いやいや、婚約解消おめでとうございます、って感じじゃないんでしょうか?
「でも、だって! わたくしレイナード様から直接婚約解消のお話は貰っていないんですよ?」
「婚約は家同士の問題で、だから今は、僕が貴女と婚約中でしょう?」
力のこもったコルステアくんの言葉で、更にこちらは気まずい気持ちになりました。
因みにやり取りをしているコルステアくんですが、ロザリーナさんを苦々しげに睨んでいて、お世辞にも仲良し故の嫉妬とかでは無さそうですね。
これ、踏み込んだら確実に泥沼なお触り厳禁案件です。
どうやって、玄関を通らずに迂回出来るでしょうか。
と言う訳で、そおっと踵を返そうとしたところで、お約束の一言来ました。
「あ! レイナード様!」
ロザリーナさんの声に、ギギギッと音がしそうな勢いで振り返ります。
「あ! ダメだロザリーナ!」
中に入れないように止めてくれていた様子の第二騎士団の人達を振り切って、ロザリーナさんがこちらに向かって来ようとしています。
「あ、待ってロザリーナさん? 俺、今魔獣の雛を託児中なので、近寄ると物凄く危険です。そこで止まって。どうしても話したいならこの距離で話しましょうか。」
仕方ないのでそう声を掛けると、ロザリーナさんが驚いた顔になってポカンと口を開けたまま立ち止まりました。
「レイナード、様?」
怪訝そうなこの呼び掛けには、大分慣れましたよ?
「はい? 記憶喪失で貴女の事も、弟のコルステアくんの事もその他諸々全て綺麗に忘れてしまってるレイナードですが?」
そろそろこの説明、省きたいんですが、誰かレイナード記憶喪失の噂、周り切るように広めて貰えないでしょうか。
「記憶喪失?」
「そう。それで、貴女はどなたでどういったご用件でしょうか?」
面倒くさそうなロザリーナさんのご用件は、サクッと済ませてしまいますよ。
「わたくしの事、覚えていらっしゃらないの?」
「ええ、全く?」
呆然としたロザリーナさんにはお気の毒ですが、サクサク行きたいので、話しを進めますよ?
「ええと? コルステアくん、説明して貰っても良い?」
多分、話の流れ的にコルステアくんには楽しい話じゃないんでしょうけど、こちらも色々と忙しいので、お願いしますよ。
案の定、コルステアくんがら返ってくる深々とした溜め息。
「こちらはキャニング伯爵家のロザリーナ嬢。あんたの元婚約者だ。あんたが問題を起こしてから、婚約は俺と結び直してる。」
本当に必要最低限、簡単な説明が来ました。
「わたくしは! そんなの納得していませんわ!」
すかさず来たロザリーナさんの否定も、ちょっと理解に苦しみます。
「ええと、ちょっと良いですか? ロザリーナさんは、あのダメ男認定取得公害災厄級問題児のレイナードとの婚約が解消されて、精々してないんですか?」
ついそんな突っ込みを入れてしまうと、留めていた同僚の皆さんやコルステアくん始め、居合わせた皆さんから怪訝そうに目をパチパチされました。
「ちょっと! い、幾らレイナード様でも、ご自分の事をそんな風に仰るなんて、わたくし許せませんわ!」
ん?
えーと、何でここでロザリーナさんに怒られてるんでしょうか?
「えーと? ロザリーナさん、実はかなり面食い? 確かにこの男顔面偏差値だけなら、敵なしかもしれませんけど、皆さんに聞いてるともう、凄いやな人でしたよ?」
そこは正直に返してみると、ロザリーナが拳を握ってプルプル震えてます。
あれ、怒ってますよね? やっぱり。
「そんな、知りもしないアカの他人様の言う事だけ信じるんですか? レイナード様!見損ないました!」
いえいえ、何だか物凄くややこしい事になってませんか?
「レイナード様は! 本当は凄く優しい方なんですのよ? 面と向かっては、まともに口も聞いて下さらないし、贈り物も頂いたこともないし、従者を通して何とか外出の約束を取り付けても結局来てくださらなかったりでしたけど。わたくしがそれで傷付いた時には、必ず贈り主不明の贈り物が届くんですわ。」
物凄くダメ男道まっしぐらな扱いを受けているのに、不透明な懐柔作戦に引っ掛かってる気がします。
「ええと? その贈り主、普通に俺じゃなかったんじゃ? 気の毒に思った周りの誰かがこそっと埋め合わせしたみたいな。」
酷だとは思いますが、そこははっきりさせた方がロザリーナさんの為じゃないでしょうか。
「違いますわ! だって、わたくしが面倒臭そうに流してらっしゃるレイナード様に無理やりお聞かせした好きなお花の事だとか。どちらかと言うとこっちが好きって誰にも話した事がないような二択をしっかり押さえてあったりしたんですよ?」
「うーん。ほらそれ、周りの誰かが偶々聞いてたかもしれないでしょ? 俺の従者とかが見兼ねて、みたいな。密かに健気なロザリーナさんを不憫に思いつつ想いを寄せてたとか? だからこっそり誰か分からないように贈ってたみたいな。」
何だか、平行線な言い合いになってきたような。
「それは違います!」
唐突にそこに割って入ったのは、何とハイドナーですね。
偶々通り掛かった風に階段を降りて来ましたが、もっと面倒な事になる予感がしますよ?
「ロザリーナ様が仰る通り、レイナード様は本当はとてもお優しい方なのです。私の読みでは、究極の照れ屋さんなだけで。」
そこ、うっとりした目で言うの止めましょう。
事実はどうあれ、恥ずかしくて闇に葬ってやりたくなりますからね。
「はあ、なんか面倒な話になって来たなぁ。取り敢えず、皆さん巻き込むのも何なんで、コルステアくん、そのお嬢さん連れて面会室行こうか。幸い、ヒヨコちゃんも大人しく寝てるし。次のお母さん襲来までね。」
そう言って玄関からほど近い面会室に向かう事にします。
「ハイドナーは、悪いけどカルシファー隊長に事情説明してから来てくれる? もう色々面倒だから、話聞いて納得して貰うから。」
それには、その場に納得の空気が広がったので、誰の許可もないですけどそういう事にしちゃいますよ?
こちらも過去のレイナードと向き合う必要性を感じてますから。
そういう訳で、ヒヨコちゃんを抱えて歩き出すと、玄関先も解散の空気になって、コルステアくんとロザリーナさんが少し離れて付いて来ます。
トラブルって、起こる時は立て続けって言いますけど、レイナードになってからのこれは、もう異常事態です。
平和って何だろうと現実逃避したくなりました。




