5
妙な空気になってしまった病室で、深々と溜息を吐いてみる。
「あ、なあレイナード。そういう顔、止めような。」
慌てて何か取り成すように言い出した中年男に、おじさん先生が軽く体当たりで割り込む。
「やだぁ〜。レイナードくんたら、記憶失った途端に色気垂れ流しとか、駄目よぉ。貴方そっちの気はないんでしょう? おじさん達に襲われちゃうわよぉ?」
あ、それ無理です。
そこは素直に、あざとい顔やめときます。
「もう〜。カルシファー隊長だって、さっきのはやばかったはずよぉ。必死で奥さんの怒った顔思い浮かべて耐えてたんじゃないかしらぁ?」
「リムニィ〜。頭の虫を追い払え!」
カルシファー隊長が低い声を出して、おじさん先生リムニィはてへっと小さく舌を出した。
似合ってない、ていうか寒い。
「さあて、それじゃ真面目に戻ってぇと。何を覚えてて何を忘れたのか、整理始めましょうか。」
リムニィがにへらとした笑みの浮かぶ顔を少しばかり引き締めてこちらを向いた。
「貴方の名前は?」
ここはしれっと知らないフリから入りまーす。
「えーと、記憶にない。さっきから呼ばれてるレイナードっていうのが、俺の名前?」
ここは、憧れの俺呼びで行こうと思います。
ダメ男くんは、間違いなく私とか気取って言ってそうなので、そこは記憶を失った所為で、色々違和感満載に仕立てておいて、この世界の常識がない違和感を埋没させる方向で。
「オレ??」
途端にリムニィが訝しげに突っ込んで来るが、しれっと無視です。
「うん、と。ご両親と兄弟の事は?」
咳払いして続けるリムニィに、目を瞬かせて小さく小首を傾げておこう。
「はあ。そこ可愛らしく無言で首傾げないのよ。分からなかったら素直に言いなさいよぉ。」
「記憶にありません。」
何処かの政治家みたいになってきた。
ホント便利な言葉ですね。
「ここが何処かは?」
「全然、分かりません。」
「好みの女性のタイプは?」
「・・・さぁ。」
てゆうか、それ何かに関係ありますか?
ツッコミたいのを我慢で、そらっとぼけます。
「酷いわぁ。私のこと結構好みって言ってくれたこと、忘れたのぉ?」
と、吹っかけてきますが、この人ホントに怖いです。
「それはないと思います。」
そこだけ素直になっておくと、少しばかりむっとされました。
「ああそう。で? 年は? 一番最近付き合ってた子の名前は?」
段々と質問に脈絡が無くなって来た。
「・・・」
「おいリムニィ。良いから、代われ。」
遂にはカルシファー隊長に交代のようです。
「で? 本当に何一つ思い出せないのか?」
真面目な顔で問うて来るカルシファー隊長に、本日貴方に教えて貰った事以外は、と心の中で懺悔しつつ頷き返す。
「リムニィ、こんな完全に全てを忘れるなんて事は有り得るのか?」
カルシファー隊長はリムニィ先生に詰め寄ることにしたようだ。
「うーん。精神的に物凄く負荷が掛かる出来事があったり、頭を酷くぶつけた場合なんかには、有り得る話よ。」
「しばらくしたら無くなった記憶は戻るのか?」
「少しずつ戻るとか何かがきっかけで戻ることもあるけど、残念ながら全く戻らない場合もあるわ。」
語り合った2人がこちらになんとも言えない顔を向けて来るのには、困ったように小首を傾げるしかない。
実際、寝ても覚めない夢に、こっちの方が物凄く困ってますから。
無言の見つめ合いに、結論など出る筈がありませんでした。