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「殿下、そろそろお支度を。」


 クイズナーの言葉で書類から目を上げると、いつの間にかかなり日が高くなっていた。


 昨晩はエダンミール駐在大使のレグミールを更迭してから、大使の執務室で書類を軽く捌くつもりで目を通し始めたが、途中から熱が入ってしまい、仮眠を挟んで早朝からまた再開していた。


 この後、大使館に招いたパドナ公女と話し合って話しの擦り合わせと求婚をしてから、エダンミール王宮に乗り込む予定だ。


 クイズナーに手伝われながら正装に着替えて身支度を整える。


 それから程なくパドナ公女の来訪を知らされた。


 お茶を用意させつつ執務室で待っていると、あちらも盛装のパドナ公女が静々と入って来て礼を取る。


「シルヴェイン王子殿下、お招きありがとうございます。」


 それに侍従姿のフィーが続く。


 元騎士だとしても、エダンミール王宮で主に仕えるなら侍従でなくては許されなかったのだろう。


「パドナ公女、よく来てくれた。どうぞこちらへ。」


 精一杯の優しい声を心掛けて応接テーブルへ導く。


 向かい合わせに座ると、大使館職員が用意してくれたお茶と茶菓子が2人の前に並べられる。


「パドナ、どうか力を抜いてもう少し気楽にして欲しい。」


「そ、そうですね。わたくし達、想い合っている恋人同士を演じなければなりませんでしたものね。」


 それでも緊張を抜き切れない口調で話すパドナ公女にはふっと苦笑が浮かぶ。


「済まない。私も物馴れていなくて上手く装えないかもしれないが、なるべく上手く取り繕うから、必要以上に意識し過ぎなくて自然にしていて欲しい。」


「わ、分かりましたわ。」


 これまた硬めに頷き返して来るパドナ公女は、あんな提案をして来た割には不器用な性格のようだ。


 それは何となく悪くないと思える。


「その上で、一つ提案があるのだが、良いだろうか?」


 また少し緊張に顔を強張らせつつ頷くパドナ公女に、ふっと笑い掛ける。


「昨日の貴女の提案では2年程の契約婚約という話だったが、これを一部撤回したい。」


 途端に不安そうな顔でこちらを見返して来るパドナ公女にまたふっと笑い掛けると席を立ってパドナの方へ回り込む。


 側に立つフィーがこれには鋭い目を向けて来るが、それにも余裕の笑みを返しておく。


 パドナ公女の側まで来ると、さっとその場に跪いてその手を取った。


「パドナ公女。契約婚約ではなく、私と本当に結婚して欲しい。」


 改まってそう告げると、パドナ公女の目が見開かれる。


「・・・え? 契約婚約じゃなく、契約結婚、とか?」


 首を大きく傾げながら問い掛けて来るパドナ公女には少しだけ苦味の乗った笑みを返す。


「契約結婚でもなく、本当に私の妻になって頂きたいのだ。」


 我ながら無茶な頼みをしているのかもしれないと思わなくもないが、自分の立場からの精一杯誠実な申し出だと思っている。


「待って! だってシルヴェイン王子はレイカ様を好きなのよね? レイカ様もそうなのでしょう? 国からレイカ様とのことを許される為の猶予期間としての2年という話ではなかった?」


 パドナ公女は昨日そんなつもりでこちらに話を持ち掛けていた。


「ああ。だが、事情が変わった。私とレイカは、2人して立場を捨てない限り結ばれることはない。そして私は、今の立場を捨てられないし。全てを捨ててもレイカを幸せに出来ると思える程の自信もない。」


 これはかなり情けない話ではあるが、冷静に考えて、あの特殊な能力者のレイカを守り幸せにするのに、国の権力なくしては不可能だという答えが出てしまっている。


「・・・でも、それじゃレイカ様が可哀想だわ。あんなに貴方のことを想っていたのに。」


 そう言われると心が波立つ気がしたが、それは都合の良い妄想で、レイカがそう想っているように見えたというだけのことだ。


「レイカの内心は、未だ複雑で何かが定まっている訳ではないようなのだ。だが、この話が進めば彼女を傷付けることになるのは間違いない。その責めは、全部私が引き受ける。」


「そんなの! ・・・ごめんなさい。わたくしが悪かったわ。わたくしの偽装婚約相手は他を探すわ。」


 そのまま立ち上がろうとしたパドナ公女の手を掴んでもう一度着席を促す。


「貴女との婚約がなくなったところで、私にはエダンミールのクリステル王女か、自国の適当な貴族令嬢との結婚が待っているだけだ。」


「だからって! レイカ様の気持ちはどうなるの? それに貴方だって、レイカ様を想う気持ちは簡単には捨てられないでしょう?」


 昨日は強気にあんな契約を持ち掛けて来たパドナ公女だが、こんな風に自分やレイカを慮ってくれる心優しい女性ひとだと知れて、更に気持ちが固まる。


「私のレイカに対する気持ちは、いずれ必ず家族の愛に昇華させる。貴女と婚約引いては結婚したら、貴女を妻として出来うる限りで大切にすると約束する。」


 精一杯真面目にそう宣言すると、パドナ公女が黙って潤んだ目でこちらを見返して来る。


 その瞳に恨めしいような悲しいような様々な色を浮かべてから、パドナ公女は目を伏せた。


「パドナ公女は、レイカがファデラート大神殿を訪ねた時しばらく一緒に居たのなら、同行者の中にケインズという男が居たのを知っているだろう?」


 本当は癪でこの話はしたくなかったが、これから長く一緒に過ごすことになるパドナ公女にはいずれ知られることだろう。


「あ、ええ。レイカさんが好きですって真っ直ぐに向かって行く人よね? レイカさんも戸惑いつつ何となく受け入れている感じの、微妙な。」


 本当に微妙な感想が返って来て、口元が一気に苦くなった。


「そうだ、そのケインズだが。レイカは多分、私よりもケインズと居る方が安らぐし、やはり好きなんじゃないかと思う。一緒にいる時のレイカの表情が違うらしい。」


 ついそんな嫉妬混じりな言葉が出てしまった。


「え? それって物凄く微妙な話じゃないかしら? なんていうか、惚れるか惚れられるかどちらが幸せかみたいな話ではない?」


「・・・そうかもしれない。だが、それでケインズがレイカを幸せに、安らいだり心からの笑みを浮かべたり出来るのなら、譲る価値があるのではないかと思ったんだ。ケインズと結婚しても王女のままのレイカは国に守られるし、私も兄の立場としてなら守ることが出来る。」


 正直に内心を語ると、パドナ公女は考える顔になった。


「そうなのね。そこまで考えているのなら、悪くないのかもしれない。わたくしなら、ちょっと行き過ぎた妹愛でも、兄妹愛の域を出ないならまあ容認出来そうだけれど。元から政略結婚だと思えば良いし。でも、最終的にはレイカさんの気持ち次第だと思うの。だから、このお返事は今回のエダンミールでのことが綺麗に片付いてから、レイカさんと話してみてからにしても宜しいかしら?」


 パドナ公女から返ってきたその答えには何とも苦い気持ちになるが、感触は悪くないと思っておこう。


「分かった。だが、もう一つ分かっていて貰いたい。私はもう既に父上から貴女との婚約の許可を貰っている。それに、カダルシウスからメルビアス公国への婚約打診の申し入れを即刻行うと言われている。契約だろうが本当だろうが私と貴女の婚約が遠からず正式に整うだろう。その後で破棄ということになったら、貴女の方に瑕疵が付いてしまう。その状態で私は貴女を放り出したくはない。」


 真面目に最後の理由を語り切ると、パドナ公女の目が揺れた。


「それは、わたくしの方から申し入れたことだし。仕方のないことじゃない。」


「仕方ないで済ませたくないと言っているのだ。実際貴女の申し出は私にとっては渡りに船だった。どうしても踏ん切りが付かないのなら、私の方からの恩返しだと思って貰えないか?」


 そうもう一押ししておくと、俯きがちだったパドナ公女がパッと顔を上げた。


「ちょっとシルヴェイン王子? 貴方もしかしてわたくしの事を口説き落とそうとしているの?」


「・・・それはそうだろう? 最初からそのつもりで話しているが?」


 何を今更と呆れ顔で見返していると、パドナ公女の顔がパッと真っ赤になった。


「ちょ! はい? シルヴェイン王子貴方実は物凄く不誠実な人? 女の子と見たら直ぐに口説く人とか?」


「は? そんな訳ないだろう? 生まれてこの方、女性を口説くのは貴女で2人目だ。」


 パドナ公女が動揺したように目の前でコロコロ表情を変えているのは、見ていて中々面白い。


「まあ、今直ぐ答えるのが難しいのなら、レイカを無事に取り戻してエダンミールから何らかの賠償をもぎ取ってからでも構わないが。私としては、今日も本音で話してみて、貴女と歩む未来も悪くないと前向きに考えられた。なるべく早く諦めて受け入れて欲しい。」


 押し切り型で締め括った話を受けて、パドナ公女は呆気に取られていたようだが、そこでそろそろと口を挟んだクイズナーに頷き返してから、パドナ公女の手をそのままそっと引いて促す。


「さあパドナ。妹姫に私達の喜ばしい報告をしに行こうか。」


 笑顔でエスコートするこちらに、パドナ公女が苦い顔と恥ずかしそうな赤い顔をコロコロと入れ替えているのをこっそりと楽しみつつ、大使館の玄関に向かった。

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