437
「レグミール。」
我ながら気持ち悪い程の猫撫で声が出た。
ただし、表情は凍るように冷たく保つ。
「貴様は、何故エダンミール王宮にレイカが滞在していることを知った?」
「あ、はい? エダンミール側から問い合わせが入りました。王太子殿下御自らお呼び出しがあり、王女殿下のご滞在を伺った次第でして。」
予想通りの答えに、冷たい笑みが深くなってしまった。
「ではお前は、レイカから直接詳しい経緯を聞いたのか?」
「は? ・・・いえ。しかし、状況は王太子殿下からご説明を受けておりましたから、王女殿下も困った方だと。」
未だに質問の真意に気付けないレグミールには、それこそ残念という言葉しか浮かばない。
「レグミール、お前のその足りてない脳みそをフル稼働させてよおく聞け。お前の国は、何処だ?」
「は? シルヴェイン王子殿下、幾ら何でもお言葉が過ぎますぞ? 私はカダルシウスの子爵位を頂いております。正真正銘のカダルシウス人です。」
ムッとした表情で返して来るレグミールに、今度は僅かに温度のある笑みを返してやる。
「そうだな。私もそのように認識していた。だが、そのカダルシウス人のお前が、何故自国の王族ではなく、他所の国の王太子の話を間に受けて裏も取らなかったのだ?」
ゆっくりとそう落とし込んでやると、レグミールがカッと顔を赤くした。
「それは、王太子殿下の話を受けて本国へ伝紙鳥を送っております。」
何かを堪えるように瞳を強くして言い返して来るレグミールに、やはり失笑が浮かぶ。
「本当に物分かりが悪いな。それでも大使か? エダンミール王宮にいる自国の王女殿下から、何故詳しい話を聞き出さなかったのかと聞いているのだが?」
そこで最大限威圧するように睨み下ろしてやると、レグミールは一瞬顔色を白くしかけたが、瞬時に赤黒く色付く。
「お言葉ですが王子殿下、あの方は王女殿下とは言っても元はただの寵児でしかないと聞いております。この世界の常識も決まり事も知らないような者では、まともな会話も成り立ちません。特に他所の国の王宮でその王族に失礼を働くような者です。勘違いも甚だしい。」
「勘違いも甚だしいのはお前だ。レイカがただの常識知らずの寵児? 今そんなことをカダルシウスの王都で溢せば、お前ただでは済まないぞ? 五体満足で済めば奇跡だな。まあ、ここで今から私が不敬罪でお前を斬り捨てても良いのだが。レイカは優しいからな、そのような話を聞けば心を痛めるだろう。」
レグミールは言われた意味が分からなかったのだろう、動揺したように目を泳がせている。
「レグミール、エダンミールとはこれから先般のカダルシウス王都での事件への王族の関与の追求と賠償の話をしなければならないのだ。王太子は、必死になってあの手この手を使ってでもレイカを手に入れようとしているようだが、カダルシウスはくれてやるつもりは全くない。あのレイカをエダンミールの王太子に? 勿体無くてエダンミールには天罰でも降るのではないか?」
はっきりと突き付けてやると、さしものレグミールも黙った。
「キースカルク侯爵が到着するまでは待ってやるつもりでいたが、駄目だな限界だ。クイズナー、伝紙鳥を父上に送ってくれ。エダンミール駐在大使の退任命令書を送って欲しいと。」
「畏まりました。」
しばらく静かだと思っていたら、クイズナーが既に伝紙鳥の紙を畳み始めている。
どうやら父上への報告書は話している間に記載済みだったようだ。
「ま!」
待って欲しいと手を伸ばし掛けたレグミールだが、一声上げ掛けたところで伝紙鳥は飛んで行ってしまった。
「さて、こんなことになるとは思いもよらず、不法侵入をしてしまったが、お前の身柄を拘束そして更迭する為には、人を呼ばねばならないな。」
「では、防音結界は解除いたしましょうか?」
クイズナーと和やかにそんな会話を交わし始めたところで、レグミールが落ち着かなげに視線をキョロキョロし出した。
この後に及んでまだ悪足掻きを企んでいるのだろうか。
だが、ここは見逃さずにトドメを刺しておくことにしようと思う。
クイズナーに目をやると、こくりと頷き返された。
「殿下、私は最近リーベン殿に例の拘束用腕輪の生成方法を教わったのですが、これが中々難しく。土魔法で一から構築するのはかなりの難易度でした。そこで、その前段階としてリーベン殿が試されたという、鉄製品を加工して用意する腕輪までは出来るようになったのですよ? 折角ですのでご披露致しましょう。」
中々長い前置きの後、レグミールがこそっと手の中に握り込んでいた鉄製の短剣に魔法を掛けたようだ。
形を失って伸ばされた短剣がクルリと円を描く対の腕輪に生成しなおされて、レグミールの両手首に巻き付いた。
「な! いきなり何を!」
レグミールは突然手の中から消えた短剣と、嵌められた腕輪に動揺したように立ち上がろうとした。
最後の仕上げにと腕輪を繋ぐように両側から生成されていく鎖が、程なくして繋がる。
「ななな!何をなさいますか! まだ陛下からお返事は来ていないというのに、いきなりこのような拘束をされる謂れはございません!」
何とか怒鳴り返して来たレグミールだが、クイズナーと共に白けた顔をしておく。
と、その間にもパタパタと伝紙鳥が飛んで来た。
「エダンミール駐在大使ルッツ子爵レグミール、王族不敬罪及び職務怠慢の為更迭する。取り調べの為、第二王子シルヴェインにはルッツ子爵レグミールの拘束を命ずる。」
クイズナーが受け取った伝紙鳥を広げて読み上げ、レグミールにも書面を見せて確認させる。
「さてクイズナー、防音結界を解いて大使館の者達を玄関フロアに集めるように。」
頷き返したクイズナーが防音魔法を解いた途端、扉が外からかなり激しく叩かれていたようだ。
「レグミール大使! 開けて下さい!」
中のやり取りに気付かれた訳ではないだろうが、別件で何かあったのかもしれない。
クイズナーが鍵を開けるなり大使館職員が飛び込むような勢いで部屋に入って来て、中の様子に固まったようだった。
「大使館職員か? 私は第二王子シルヴェインだ。丁度良かった。皆に大事な通達がある。玄関フロアに職員を全員集めるように。」
「は! はぃ〜」
深々と頭を下げた職員がこれまた慌てて部屋を飛び出して行った。
その職員を追い掛けるように腕輪を繋ぐ鎖を引っ張りながら、大使を部屋から連れ出す。
「で、殿下、何卒皆の前にこのような姿でお連れ頂くのは。」
何とか抵抗しようとするレグミールに、ふっと優しく微笑んでやる。
「何を言うか、他にも不届者がいないかしっかり確認して、知らしめなければならない。手間を取らせるな、大人しく従え。」
言葉としては冷たく言い放つと、大使館の中央階段を大使を連れてゆっくりと降りて行った。
玄関フロアには大使館職員達が続々と集まり始めていて、開いていた玄関扉の向こうに、リーベンとバンフィードの姿が見えた。
先程の職員が慌てて大使を呼びに来た理由は、恐らく彼等のことを知らせる為だろう。
降りて行きながら2人に声を掛ける。
「リーベン、バンフィード。ご苦労だった。今、入れたところか?」
こちらに気付いた2人が慌ててこちらに駆け寄って来る。
「シルヴェイン王子殿下。先にお入りでしたか。」
リーベンの言い草から、王都への入場に手間取ったのだろう。
「2人共こちらに合流しろ、明日メルビアス公女と共に王宮を訪ねる際に、レイカとの接触を試みる。」
「畏まりました。殿下に従います。」
直ぐに膝をついて頭を下げた2人に鷹揚に頷き返す。
「さて、大使館の者達は揃ったか?」
階段を降り切らずに上段で立ち止まって見渡すと、大使の様子を見ながらオドオドとこちらを見る者達の中から、恐らく次官らしき男が進み出て来た。
「粗方揃ったかと存じます。」
「ご苦労だった。さて、エダンミール駐在大使館職員の皆に通達がある。よく聞くように。まずは、この顔を知らぬ者もいるかもしれゆ故、名乗っておこう。私は、カダルシウス王国第二王子のシルヴェインだ。所用で大使を密かに訪ねたのだが、大使に看過できない不敬罪と職務怠慢が認められた為、国王陛下に報告して更迭命令を頂いた。こちらである。」
隣で命令書を広げて職員達に見えるように掲げたクイズナーに、ザワザワとフロア全体が騒つく。
「これより、キースカルク侯爵が到着するまでの数日は、大使の決裁が必要な急ぎの案件は、私が代行対処する。」
この宣言にも職員達が騒つくが、構わず声を張り上げて必要最低限の決定事項を通達すると解散を命じた。
レグミールの身柄も捕らえておくようにと命じて警備担当に引き渡した。
「リーベン、これから言う宿に今夜は泊まるように。隣室にメルビアス公女がおられるが、失礼がないように訪ねて、明日は予定よりも少し早めにこちらにお連れして欲しい。」
「パドナ公女でしょうか?」
バンフィードが口を挟むのに頷き返す。
そういえば、前の旅でバンフィードもパドナ公女とは面識があるのだった。
「そうだ。明日、妹姫を通してレイカへの繋ぎを取って貰う予定だ。」
これに2人は大きく頷き返して来た。
「明日、少々予想外のことを知ることになるかもしれないが、黙って聞いているように。」
パドナ公女との婚約の話を聞いたら、2人は何と言うだろうか。
読めないが、どう言われようが思われようがこれは決定事項で、その後のレイカをこの2人に任せるしかない。
2人を見送って大使の部屋に戻ることにした。
今夜はまだまだやる事が出て来そうだ。
「シル、部屋を用意させますので、少しお休みになりますか?」
「いや、出来る下準備は漏らさずしておきたい。」
マーズリード王太子、やはり油断ならない人物だ。
レイカのことがますます案じられるが、今は考えても仕方がないと思考を散らす。
「正装の準備も必要でしたね。しばらく外します。」
言ってクイズナーが離れて行ったので1人で大使の部屋に入る。
と、クイズナーが気絶させた筈の女性の姿が消えていた。
気が付いて密かに逃げて行ったのか、気絶を装っていた密偵の類だったのか。
それはともかく、エダンミールは随分前からカダルシウスの内側に支配域を広げていたと、ここでも証明されたようだ。
苦々しく溜息を吐くと、ソファに身を預けて少しだけ目を閉じた。




