430
パドナ公女が何処か深刻な表情でこちらを向いた。
「・・・・・・シルヴェイン王子殿下。あの腕輪は特別なものなのです。魔力織の能力を受け継いだわたくし達は、一生に一度だけ伴侶となる方に特別な腕輪を織ることが出来ます。お相手の魔力を愛する気持ちを込めて織り上げ、それに自らの魔力を一筋沿わせる。これをその方が身に付けると、わたくし達はその方以外を愛せなくなる。そしてその方はわたくし達と想いを通わせることで魔力強化を受けられるそうです。」
御伽話の一種のような話だが、詳しい仕組みはともかく、魔力強化は事実なのかもしれない。
フィーが魔法を使う時その腕輪を触っていたのは、それがあったからなのだろう。
「ミレニー様は、エダンミールで王太子に気に入られないようにして、いずれ帰して頂くつもりでおられましたし、私もそれとなくお側でそんなミレニー様をお守りするつもりでした。ですから、このようなことになるとは思ってもみなかったのです。」
王族の縁談を甘く見過ぎだと思ったが、エダンミールの王家が特殊過ぎることは、間違いない。
少しは同情の余地があるかもしれない。
「ですが、もしもミレニー様と共に祖国に戻ることが叶うのでしたら、ミレニー様には今後は決して呪詛織をさせません。それでも信用出来なければ、私に魔法契約をかけて頂いても構いません。」
ここでミレニー公女に魔法契約をと言わない辺り、フィルメンは彼なりにミレニー公女を大事に思っているのだろう。
「シルヴェイン王子殿下、それに加えてこれからわたくしからさせて頂く提案をお飲みいただければ、カダルシウス側から今後メルビアス公国に対する牽制の役に立つかと思います。」
後を引き取ったパドナ公女が遂に本題に入るようだ。
「シルヴェイン王子殿下、わたくしと恋仲を装って、婚約して下さいませんか?」
真面目な表情で切り出したパドナ公女は、冗談を言っている訳でもなく、甘い空気を出している訳でもなかった。
「・・・それは、契約婚約ということか?」
こちらもつい冷たい表情で返してしまった。
「ええ。期間は2年程度で構いません。その報告の為にわたくしと一緒にミレニーを訪ねて頂き、そしてエダンミール王家にはわたくしがカダルシウスに嫁ぐ都合でミレニーを国に戻して欲しいと願うつもりです。」
「・・・それは、メルビアス公王も承知の上でのことか?」
王族の婚約は、本人同士の合意だけで決められるものではない。
特にそれでエダンミール王家にミレニー公女の返還を求めるなら尚更だ。
杜撰な計画では頓挫して、互いの国に痛手を与えることになる。
「貴方の合意が貰えれば。お父様に許可を貰います。ミレニーを救い出す為ならば、お父様もすぐに承諾して下さる筈です。」
「・・・私の方は、恐らく許可が降りないだろう。カダルシウスとしては、今回の補償としてエダンミールの王女の身柄を求めるつもりでいる。つまり、その引き受け先が私だ。」
向こうも手の内を晒している以上、こちらもこのくらいは話しておくべきだろう。
「え?待って。それじゃ、レイカ様は? わたくしとなら契約婚約で済むけれど、エダンミールの王女を望んでは、レイカ様とは・・・。」
それ以上言わずに言葉を切ったパドナ公女は、こちらの様子から事情を察したのかもしれない。
「・・・駄目だったの? レイカ様とのことは許されなかったのね?」
眉を下げたパドナ公女に、こちらも口元を苦くして笑った。
「この手の中に出来なくとも、兄妹として見守ることは出来る。それで我慢するしかない。」
何とか口にすると、何故かパドナ公女の方が泣きそうな顔になっている。
「可哀想。あんなに慕って心配して泣いて。せっかく貴方を救い出せたのに、許されないなんて。」
その言葉には虚を突かれたような気がした。
「・・・レイカが?」
「そうよ? 何故だかずっと貴方のことは自分の所為だって気にして、何としても救い出すって誓って、強がって。痛々しい程だったわ。」
少し落ち着いた筈の心が奥底から波立つように騒ついた。
だが、グッと抑えつけるように堪える。
「それでも、私は王子として上の決定に従う。レイカには、他に憎からず想う者がいる。その男と幸せになった方が良い。」
ギュッと胸が締め付けられるような気持ちになりながらそう何とか口にする。
「命懸けで守ろうとするのに?」
「当たり前だ。レイカのことは大事だからな。」
虚勢混じりに、だが本音を語ると、パドナ公女も目を伏せて痛々しい表情になった。
「・・・では、今ここでレイカ様を救う為に、エダンミール王宮に足を踏み入れる手段を持つわたくしの手を取るか、レイカ様がどうなろうと指を咥えて見ているしかない状況で甘んじて、結果がどうであれエダンミールの王女を迎えるか、どちらが良いのか上の方に聞いて頂戴。わたくしなら、考える間でもなく今を取るけれどね。」
確かにそう言い募られると、クリステル王女を何としてでも手に入れる必要があるのかと、考えが揺らぐような気がする。
レイカの作戦が上手く行けば、エダンミールからはラスファーン王子を連れ帰ることになるかもしれず、そうなれば本当の意味での補償になる彼で構わないという結論に落ち着くかもしれない。
ただ、ラスファーン王子はかなり病弱だそうなので、いつまで生きられるかとなるなら、実益はともかく人質としての価値は低いかもしれないが。
これは、確かに父上や叔父上に判断を仰いでも良い話かもしれない。
「クイズナー、父上に特級保護付きで送れるか?」
「・・・そうですね。ここからとなるとそれでも傍受の心配はありますが、内容に気を付ければ何とか送れるのではないかと。」
追跡と傍受防止で各種保護を施した伝紙鳥はかなりの魔力を使う。
だが、パドナ公女との話の表向きの部分だけならば、内容を複製傍受されたとしても、婚約の許可を願うだけの文面になる。
それならば、漏れても困ることではない。
後は、その裏を叔父上ならば察してくれるかもしれないと期待するしかない。
「では、代筆と送付を頼む。」
自分が触れば、移った魔力から追跡されるかもしれないが、クイズナーの魔力までは敵方も把握していない筈だ。
「畏まりました。」
頷いたクイズナーに伝紙鳥は任せることにして、これからのことだ。
「シルヴェイン王子は今夜はこの部屋に泊まって貰って構わないわ。わたくしとフィーは隣の部屋にいます。わたくしの方も今夜お父様に伝紙鳥を飛ばして許可を取ります。明日の朝一番に互いの結果を確認して、整えば王宮に入りましょう。」
パドナ公女も、自分との婚約が妹姫を助ける切り札になる。
パドナ公女とは妙な縁が出来てしまったが、これがどう転ぶのか。
もしこれが叶って、2年の猶予期間が出来たとして、レイカはその間に誰かのものになるのだろうか。
余計なことを考え始めてしまいそうになる自分を、首を振って制する。
もう、心は決まっていた筈だ、今更ぐらつくなと。
「恋仲のふりというのは、どういうものだろうな。」
溜息混じりに溢してしまうと、あちらも深く考えていなかったのか、パドナ公女は目を瞬かせてから、急に真っ赤な顔になった。
「え? そこは、経験豊富そうなシルヴェイン王子に色々お任せしたいわ。」
早口になって言い放った真っ赤な顔のパドナ公女には、期待出来そうにない。
だが、妙に手慣れている女性相手よりは良いかもしれないと気持ちを切り替えることにした。




