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ラスファーン王子は腕輪の魔法を書き換えたことで、先程までの静かに消え行きそうだった様子とは変わって、苦しそうに身体を丸めながら冷や汗を流して呼吸を荒くして胸元の服を握り締めています。
「ラスファーン殿下に何を?」
後ろから侍従の呆然としたような声が聞こえますが、ちょっと邪魔です。
「黙って。」
そう返してから、腕輪にもう一度手を添えますが、時折暴れるように体勢を変えるので手が外れてしまいます。
『我が君?』
ノワも困ったように問い掛けて来ますが、何もしない訳にはいきません。
腕輪に再び指先が触れたところで、願いと魔力を込めて呪文を口に乗せます。
『もっとゆっくり、落ち着いて優しく魔力を循環させて。』
抽象的な表現で発動するか心配でしたが、滅多にない程慌てて振り返ったノワの顔が霞む程、身体から魔力が一気に抜けて、気付けば床に座り込んでいました。
『何してるんですか!』
ノワの声が聞こえて、やっと何をやらかしたのかに気付きました。
「あ。」
何と、無意識に呪文の言語が古代魔法の言語になっていたようです。
「何ということだ。魔法陣なしで古代魔法を。これ程とは、まさに魔王。」
そんな有り難くない王様の言葉が後ろから聞こえて来ますが、怠くて振り返ってフォローを入れる気力も湧きませんね。
「はっ! レ、イカ?」
大きく息を吸い込む声と共に、ラスファーン王子らしき声が聞こえました。
「ラスファーン殿下?」
侍従さんが慌ててベッドに駆け寄って来ます。
「退け。」
その侍従さんを俺様な感じで振り払って、ラスファーン王子は何とベッドに半身を起こしてこちらを覗き込んで来たようです。
「レイカ? 動けるぞ、これが成功か?」
掠れ声ながらも嬉しそうにそう言ってくるラスファーン王子には疲れた笑みを向けます。
「さあ、どうなんでしょう。後で色々ダメ出しされそうですけど。ラスファーン王子としてはどうですか?」
「まあ疲労感と空腹感はあるが、身体の中が驚く程静かだ。」
それはそうでしょう。
あの勢いで魔力を循環し続けていたなら、それを支える為に身体も無理をしていたのでしょう。
「あの、最後のあれ。持続がどんな条件か分からないので、今のうちに魔力循環を自分でコントロール出来るようになって下さい。魔法使うと良いみたいです。」
そんな微妙な説明をしてしまいましたが、ラスファーン王子はそれには何か納得するところでもあったのか、ベッドから起き上がろうと足を下ろしたようです。
「あの、立ち上がるのはまだ早いんじゃ?」
この世界の人達、昏睡から目覚めた後の回復がおかしくないでしょうか?
バンフィードさんといい。
「そうではない。」
言うなりラスファーン王子はこちらに手を伸ばして腕を引きました。
「レイカもここに座れ。」
弱々しいながらも持ち上げてくれようとしているので、こちらも渾身の力を振り絞って腰を上げると、何とかラスファーン王子の隣に倒れ込むように座れました。
「はあ、死ぬ程怠い。」
「はは。レイカには負ける。いや、誰も敵わないだろうな。」
言って、ラスファーン王子が何と頭を撫でてくれました。
「魔法、か。」
唐突にそう言ったラスファーン王子は、撫でていた手を退かして前に翳すと。
「切り刻め!」
と、かなり物騒な魔法を窓辺のカーテンに放ったようです。
瞬時にボロボロになったカーテンが哀れです。
「あのですね。夜風が冷たかったらどうするんですか? 日の出と共に朝日が眩しいですよ? 部屋の備品を無造作に壊さない。」
つい呆れてお説教口調になってしまうと、ラスファーン王子に鼻で笑われました。
「細かいな。だが、分かった。もうやらない。」
そう言って来た口調が驚くほど柔らかくて、居心地悪くなってきます。
「ラスファーン。」
そこで割り込んで来た王様は、何処か不満げな咎めるような口調です。
「そなた、そちらの魔王よりその身を望まれておるが、従うか?」
その誤解を生みそうな表現、是非やめて頂けないでしょうか。
ラスファーン王子の側に控えてる侍従さんがほら、目を見張ってこちらを見ていますからね。
「はは。そうですね。それが彼女の望みならばこの身を如何様にも捧げましょう。」
芝居がかって返すラスファーン王子も王子ですが、その話は取り敢えず後です。
「あの、死ぬ程怠いんですけど、ちょっと休ませて貰えませんか?」
残念ながら、ちょっと寝ないと動けないし、頭も働きそうにないです。
「そうだろうな。無茶をする。」
と、そこで割り込んで来た声は聞いたことのないもので、ただ、優しげな声音とは裏更に、寒気がする程ヒヤリとする空気を孕んでいる気がしました。
見上げた先で見えた魔力に、目眩がするかと思いました。
「あーお会いしたくなかったですね。特に今は。」
ついボソリと溢してしまうと、ふふっと口の端を上げて笑われました。
「それはそれは。一目でそこまで見通して頂けるとは光栄だ。貴女のその美しい澄んだ瞳に私はどう映っているのか是非解明してみたいところだが。」
優雅に小首を傾げて距離を詰めて来るのは、この国の王太子マーズリードさんで間違いないでしょう。
彼の魔力が色んなところにほんの少しずつ混ざり込んでいたのが分かりましたからね。
どうやってるのか分かりませんが、相当手広くそしてさり気なく様々なところにもぐ込んで操って、この国を支配しているようです。
王様やラスファーン王子も例外なくですから、助けにはなってくれそうにないです。
これ、ツミに近いんじゃないでしょうか?
動けずにいる内に、目の前まで来たマーズリード王太子がこちらに手を伸ばして来ました。
今こそ、イメトレの時間ですよね?
私は無敵だ、でしたっけ?
頬に触れてからその指先が目元に来ます。
全身にびっしり鳥肌が立っています。
「ふふ、綺麗な目だ。えぐり」
「出しても映像認識するのは脳ですからね! 目が特殊仕様ではありません!」
大急ぎで怖い発言を遮ると、途端にククッと笑われました。
「そうか。ではこの小さな頭に爪を立てて脳を取り」
「出しちゃダメですって!」
するりと撫でるように頭頂に移動する手をブルブルと頭を振って払い落としつつ遮ります。
「まあ、それでは大事な魔王を損なってしまうから、やらないが。一つ一つ貴女に触れながら想像してみるのは楽しそうだ。」
「はあ。ノワより上手が居たわ。そういうのは、是非ご自分の腐った脳内だけでお楽しみ頂くとして、言葉にせずに顔にも出さずに、そして触らずにお願いしますね。」
最低限どんな特殊な趣味の方でも、脳内でお楽しみ頂くのはもう、個人の自由ってことにしときましょうか。
ただ、他人様に迷惑かけちゃダメです。
「ふふ、そうだろうか? 世の中、境界線が曖昧な物事だらけだ。何処までが許されて何処からが許されないのか、是非教えて欲しいものだ。貴女のこの身を使って。」
「い、や、ですから。謹んでご遠慮致します。」
勢い込んで言い切りましたが、途端に頭がクラリとして、ベッドに手をついて身体を支えることになりました。
「さて、強がりもそこまでとして、王の塔に連れ戻って差し上げよう。」
王の塔というのは、侵入して王様と鉢合わせたあの塔のことでしょうか。
「これにかけた魔法を維持してあげるなら、ここでは貴女の魔力は戻らない。ずっと消費し続けるだけで、辛いままだ。」
古代魔法ですね。
やっぱり維持し続けてるってことですね。
「貴女が魔法陣を起動した王の塔の魔法陣の中であれば、此奴にかけた魔法くらいなんということもないだろう。さあ、私に貴女を抱き上げて運ぶ許可を頂けるかな?」
「えっと、運んで貰えるなら他の方にお願いしたりとか、してもらえると。ほら、王太子殿下にわざわざ運んで貰うとか、恐れ多いので。」
必死に言い募ると、マーズリード王太子の瞳が物騒に光りました。
「成程、それなら私は、貴女を運ばせた者の腕をその後切り落とせば良いのかな?」
「な、何でそうなる?」
どん引きの目で見て問い返すと、マーズリード王太子は目を細めてふふっと笑いました。
「それは、私が気に食わないから。私のモノに触れることなど許せない。」
「はい? 違いますけど?」
副音声でモノの辺りがオモチャって聞こえた気がしますし、ここははっきり言い切っておきますよ?
「ああ済まない。言い間違えた、私の妻だ。」
「なりませんけど?」
即答で拒否しておくと、黙ってこちらを見下ろされました。
しばらくそのままなのでちょっと怖くなってチラッと見上げると、何処か恍惚とした表情のマーズリード王太子が目に入ってギョッとします。
正体不明の寒気と震えは、本能的な拒否感でしょうか。
この人間違いなくこれまで出会った人の中で一番ヤバい人です。
「ああ、魔力切れを起こし掛けているなら、寒気もするだろう。さあ、我儘を言わずにおいで。」
にこりとそれは優しげに笑って手を広げて下さいますが、絶対にいきたくないです。
フルフルと本能的に首を振っていると、隣から手が伸びて来ます。
「兄上、それなら私が手を貸して連れて行きます。その後、私の手を落とせば良い。」
「ちょ、ダメですよ! そもそも病み上がり舐めすぎなんですって! ラスファーン王子は動いちゃダメ。」
必死に言い募ると、マーズリード王太子の顔がずんと不機嫌そうになりました。
「ふん。魔王の治療のお陰で、支配力が低下したか。口を出すな、死に損ないが。」
これが素なんでしょうが、本当に怖い人です。
「いいえ。魔王になれなかったことは貴方も私も一緒だ。貴方が彼女を独占する権利はない。」
何やらはっきり言い切ったラスファーン王子ですが、こんなこと言って大丈夫でしょうか?
こちらがハラハラしてしまいます。
「レイカ、これを。」
小さな小瓶をこちらに差し出して来るラスファーン王子ですが、何でしょうか?
「魔力の回復薬は存在しないが、魔力生産を一時的に無理矢理上げる薬は存在する。これを飲んで自力で王の塔へ。」
確かに、理論的にはこれで動けるようになるかもしれないですが、それってとんでも副作用があったりするんじゃ?
「貴女とアイツがこの部屋を出たら、腕輪を外す。そうすればかけた魔法も解ける筈だ。」
「え? ダメですよ。せめて身体の方が回復するまで待ってから。」
「待てない。何とかして腕輪なしで魔力循環を落ち着かせるから、案じるな。貴女はアイツからなんとか逃げ切っていてくれ。なるべく早く助けに行く。」
この会話、マーズリード王太子の目の前でコソコソ交わされている訳で、チラッと見上げると、マーズリード王太子の目が冷ややかに笑っています。
「さあ早く。」
小瓶をこちらに押し付けて来るラスファーン王子ですが、チラッと見上げた先でマーズリード王太子がふんと鼻を鳴らしました。
「魔力生産を一時的に上げる薬? そんな怪しげなものを疑いもなく飲むのか? ソイツこそ貴女を手に入れる為に策を弄しているのかもしれないとは思わないのか?」
あーもう、どうしてやりましょうか。
途方に暮れ掛けたところで、チラッと視界の端に映り込みました。
「はあ、それじゃ皆様こんな夜更けにお集まり頂いてありがとうございました。今夜は王の塔の適当な一室をお借りしますね。お休みなさい。」
言い切ったところで、こちらを中心に周囲に放射状に突風魔法が拡がって、マーズリード王太子と、病人に申し訳ないですがラスファーン王子も後方に吹っ飛びます。
そして目の前に着地したジャックはいつもより身体が大きくなっていて、ヒョイっとこちらを抱え上げると走り出しました。
部屋から廊下へ出て、階段を駆け降りるんですが、途中から風圧が凄くて目を開けて居られなくなりました。




