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ラスファーン王子の右腕に嵌っている腕輪には、幾つも複雑な呪文が掛けられているようです。
一つずつ読み取っていって、分断してしまって大丈夫か確認します。
体内の魔力循環は、血液循環と似た仕組みになっているようですが、単純に血中に魔力が溶けて一緒に流れている訳ではないようなのです。
この辺りが少し分かりにくいのですが、例えば魔力行使をすると手の平に全身を循環していた魔力が優先して集まって来て、魔法を使う時に放出されて消費されます。
生命維持に必要な魔力は少量なので、保有魔力量が多い人は、普段は無駄に魔力を全身に循環させ続けているということなのかもしれません。
特殊なラスファーン王子の魔力循環を思わず観察してしまいました。
観察の結論、腕輪を外して分断するなら、ラスファーン王子の身体からの魔力排出の出口をまず堰き止めて身体の中に循環するように持っていくことと、循環して戻って来た魔力をしばらく取り込み続けることが出来ると、ラスファーン王子の身体の為になるだろうと思います。
が、その循環回路を改めて作っていくのが素人には難しそうなんですね。
「ノワ先生、呪文で魔力の循環回路組むならどうするべき?」
小声で相談してみると、ノワが難しい表情のままこちらを向きました。
『心臓バイパス手術みたいなイメージですね。魔力の循環路を追加で組み込むなら、新しい回路をどこかから持って来なくてはいけません。双子の片割れ王子の身体から貰うのが一番ですけど、ここにはありませんからね。魔法で作り出すならずっと魔法をかけ続けるか、媒体を置く、もしくは回路を作り出すしかありませんが、作り出すには魔力回路の仕組みと特性がすっかり分かっていなくてはいけません。』
物凄く難しいことを言い出したノワに、顔が引きつります。
「腕輪に仕込まれた呪文の中で、魔力排出の指令をまず消すでしょ? 後は少しだけ時間差付けて完全に腕輪を外す作戦でいって、通常の魔力循環に戻すのは本人さん任せにする? それで、何とかなると思う?」
『さあ、どうでしょうか。生まれる前の胎児の頃から互いに魔力循環をして来た身体ですからね、もしかしたら自己循環の回路が上手く育っていなかった可能性もありますよね。』
そう言われてしまうと、そのもしかしてに引っかかって踏み出せなくなります。
「もう少し身体に余力がある内に切り離しておけば、切り離した後でリカバリーでも良かったと思うけど。身体が死に掛けている状態で、賭けには出れないよね。」
もう一度、ラスファーン王子の身体の中の魔力を眺めてみますが、一度身体から出た魔力しか見えないので、腕輪から魔力が出て何処からか戻って来た魔力がまた腕輪から身体を巡っていくのしか見えません。
「物凄く単純に見てしまうと、腕の辺りで途切れた魔力を腕の巡り始めてるところまで繋いでしまえば良いんじゃないかって思うんだけど。」
『ですから、それならバイパス手術と一緒で繋ぐ回路が要るんですよ。』
短い距離でもやっぱり要るんですね。
「うーん。それなら、いっそこのまま腕輪を通して魔力を循環することにして、飛ばし先をすぐ隣の戻り口に設定してしまうのは?」
『腕輪にかけられた指示呪文の書き換えですね。それなら、我が君なら可能かもしれませんが。いずれにしろ、この王子様長くは生きられないでしょうね。』
ノワのその結論には同意したくない気持ちになりましたが、ラスファーン王子が少しでも自分の身体で生きたい気持ちがあるなら、それでもやってみる価値があるでしょう。
「分かった。とにかくやってみようか。」
という訳で取り付けられた腕輪に目を凝らして、書き換える場所を見付けます。
『我が君、魔力コントロール下手ですからねぇ。前後とか他の指示呪文を消す形で上書きしてしまいそうですよね。』
そのノワの困ったような言葉には、否定の言葉が出ませんね。
「び、微調整お願いしまーす。」
更に小さい声になって頼んでみると、ノワがにこりと笑顔になりました。
『今回、この後も魔力を使った精密作業が続きますから、コルトロールの良い訓練になりそうですね。』
何か不穏な台詞を聞いた気がしますが、きっと気の所為です。
「さて、気は済まれたかな? 死の匂いの漂う場所は離れて、次はマーズリードをご紹介したいが?」
後ろからそんな王様の声が掛かってちょっと焦ってしまいますね。
「いいえ。もう少し私はこちらにお邪魔しておりますので。」
どうぞ気にせず置いていって下さいと言外に込めて返すと、王様は失笑したようでした。
「まさか、これを看取られたいと? それ程お気に召されたか?」
この答えにくい問いはどうしてやりましょうか。
「看取るのは、もっとずっと先に出来るかもしれません。もしそうなったら、彼の残された時間をわたくしに頂けませんか?」
まさかエダンミール王宮に入って一番に出会うのが国王で、いきなりラスファーン王子の身柄をカダルシウスに引き取る交渉を始めなければならないとは思いませんでしたが、何事も鮮度が大事です。
言質を取るなら今でしょう。
「ふむ。そう長いものではないだろうし。程なく死ぬと分かっているものを、何故欲しがるのかは理解出来ないが、貴女には貴女の考えがあるのだろう。尊重しよう、魔王よ。」
「へ、陛下?」
案内してくれた侍従さんが慌てたように何か言い募っていますが、その間に、こちらは始めてしまおうと思います。
一つ深呼吸してから、右手の人差し指を伸ばしてそっと魔力循環の腕輪に触れました。
浮き上がって見える呪文の上書きしたい箇所にそっと細く細く魔力を伸ばして、前の呪文の文字の最後に魔力を流し込んで混ぜて、こちらの意図する文字の形に強制的に変えていきます。
物凄く細く細く魔力を投入しているはずなのに、身体からかなりの量の魔力が抜けていく感覚が来ます。
ノワの小さな手が指に添えられていなければ怖くなって手を離してしまったかもしれません。
『我が君、良いですよ。そっと離れて。』
言われて魔力を流すのをやめて手を引きます。
と、腕輪が唐突にパッと輝いたかと思うと、ラスファーン王子の暗めのオレンジ色の魔力が少々乱暴にラスファーン王子の身体に入って全身を巡っていきます。
「ううっ!」
苦しそうなラスファーン王子の呻き声が上がって呼吸が荒く乱れています。
「ノワ!」
焦って呼び掛けると、ノワが真剣な目でラスファーン王子を見ています。
『元からあっちの王子様に送り込む為に勢いを付けて魔力を送るように組まれていたようなので、このままではこっちの王子様の身体は辛いでしょうね。』
「高血圧みたいな感じ?」
『そうです。腕輪から送り出す時の圧を下げるように呪文の書き換えを。それから、こっちの王子様の魔力循環回路の幅と循環経路を拡張したほうが良さそうですが。』
ここで溜息を吐いてこちらを見上げたノワは、困った顔になっています。
「私の技量では難しいってことだよね?」
『・・・正直に言って。我が君外科医でもなければ、お裁縫も得意じゃないでしょう?』
「う・・・」
言い当てられて返す言葉もありませんね。
えーご乗車のお客様の中にお医者様はいらっしゃいませんでしょうか?ってアナウンスしたくなりました。
『まあ、ご本人を無理やり起こして魔法使って落ち着かせて貰うっていう手もありますけど、身体が弱ってるところにとんでもない魔力負荷が掛かってるので、その前にショック死するかもしれませんね。』
行き当たりばったりの代償ってところでしょうか。
ですが、ラスファーン王子を助けると決めた以上、諦めずに最善を尽くしたいです。




