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夕方着いた街の宿に向かって歩いていると、すっとクイズナーが寄って来た。
「シル、何かありましたか?」
そっと問い掛けて来るクイズナーは、自分の行動がらしくないと気付いていたのだろう。
「彼女を諦めろと。」
「・・・リーベン殿ですか? そして、受け入れざるを得なかったと?」
クイズナーは流石にこちらのことをよく分かっている。
「あちらでのそんな動きは知っていたのか?」
「まあ、それでも決めるのは貴方だと。」
確かに、リーベンに何を言われても受け入れないという選択も存在した。
だが、それをしたら確かに国を捨てるしかなくなる。
リーベンが言うことは正しい。
そして、父王や叔父上が国の為にその結論に至ったのも冷静に考えれば理解出来る。
レイカは根底で自己評価が酷く低い傾向にあるが、外面は強気で周りを振り回す。
考えなしな訳でも周りの平穏を壊そうとしている訳でも決してなく、どちらかと言うと見えるものが多いから、結果として先に手を回し過ぎてしまって周りに理解されづらいのだろう。
だが、国を動かすならじっくりと時間を掛けて根回しがいる。
全てをすっ飛ばして物事を先走って動かし始めてしまう存在は、非常時ならともかく、常からではある意味脅威だと感じる者が出て来てしまう。
とにかく万人には理解されづらいのだ。
国家として手放したくないが故に、目隠しして縛っておきたい気持ちになるのは無理ないことかもしれない。
上手に方向性を誘導しながら留めておく存在になれれば良かった。
いっそこれ程本気にならずに保護者のような立ち位置で余裕をもって側に付いていられたなら、彼女を傷付けずにいられたのかもしれない。
ただ、それではレイカが無自覚に心の内で望んでいる本当に誰かと想い合い愛し合うという間柄にはなれなかっただろうと思う。
過去のクズ男やレイナードやエダンミールの奴らや、自分達の都合で陥れ利用した者達に散々傷付けられたレイカを、ただ抱きしめて愛してあげたいと、疑うことなくこの腕の中にいて良いのだと言ってやりたかった。
「許せクイズナー、私はあの子を愛し過ぎてしまったようだな。」
「それが貴方の結論ならば、何も申し上げることはありません。」
そう返して来たクイズナーだが、口調がやはり少々冷たくはないだろうか。
「怒るな。その代わりに、あの子に相応しいきちんと愛し合える相手を用意する。」
「・・・左様ですか。まあ、あちらでは皆が早急に彼を鍛え上げ叩き上げる画策を始めたようですが。」
全くウチの部下どもは、何も言わなくとも分かっているではないか。
「厳しくだ。」
「それは勿論、ああ見えてあの短時間でウチのお姫様は皆に愛される下地を作り上げていますからね。」
それにはジンと目頭が熱くなる。
「全くだ。アイツは何処でもかしこでも無自覚に引っ掛けて来て・・・。良いご友人の座を手に入れて満足してしてる何処かの間抜けは精々嫉妬の嵐に晒されれば良い。」
「・・・シル。負け惜しみが醜いですよ。それより、エダンミール王都での動きが少々きな臭いようです。“王の騎士”を余り当てにしすぎない方が良いかもしれません。」
冷や水を背中に流し込んでくれたクイズナーに一つ半眼を向けてから気持ちを切り替える。
「“揺籠”か?」
ボソリと呟くと、それを辛うじて拾ったクイズナーが頷き返して来た。
「パディ殿ですが、妹君と無事接触出来たようです。そこから、何故かこちらにフィーが言伝を。取引きするなら手引きすると。」
「・・・どういう意味だ?」
あちらも詳しくは勿論伝えることが出来ないのだろうが、暈され過ぎていて主旨が分からない。
「王都に入れば結び付くことがあるのか。裏を取らせていますが、何処まで拾い切れるか。ただ、エダンミール王宮には密やかに囁かれ恐れられている化け物が棲んでいるのだと。」
「まあ、正体不明な怪しい“王の騎士”が王の側にいたり、魔人が飼われていたりするくらいだからな、何が出て来ても不思議ではないが。」
何を何処まで警戒する必要があって、何に何処まで関わるべきなのか。
レイカは“王の騎士”に招かれてかなり深い場所まで連れて行かれそうになっているが、それを見守るのはミーア達の元にいれば可能なのだろうか。
もしかしたら、だからパドナ公女はこちらに取引きと引き換えの入場券を送って寄越したのではないだろうか。
「パディの妹君は、王太子の婚約者候補だったか?」
「ええ。やけに綺麗な通り一辺倒な評判しか流れて来ない王太子殿下の。」
それはもう、怪しいしかないのではないか?
「このエダンミールで王太子の座に座っていて身綺麗? どれだけ情報統制されているのやら。どうやら相当力のある王太子殿下のようだな。」
「ええ。これはもうほぼ確ではないかと。」
諸々の黒幕のことだ。
「そうか。ミーア達とももう少し話しておいた方が良さそうだな。あちらのことも聞きたいしな。」
こちらの暫定的味方を主張してくれたミーア達の事情も、もう少し引き出しておきたい。
「そうですね。では、夕食はミーア殿達と一緒に?」
「ああそうだな。だがその前に、声を掛けて来る。」
視線の先で、レイカがリーベン達に囲まれて、ファラルやラスファーン王子と一緒に移動している。
相変わらず少々騒がしい集団になっているが、レイカはそれで良いと思う。
多くの人に囲まれて、寂しくないように、時にはそれに割り込んで近寄ることを許されるなら、その目が一番に自分を見ていなくとも我慢するしかない。
「カディ。」
急いで歩み寄りながらそう声を掛けると、ふっと微笑むレイカに心臓を掴まれるような気がする。
まだまだ今は愛おしいの気持ちを変えることは出来ないが、いつかは離れていてもレイカの幸せを一番に考えられるように切り替わっていけば良いと思う。
「バンフィード、何だその手は。」
レイカの右手をはしっと掴んだまま歩くバンフィードに低い声で告げるが、バンフィードは涼しい顔のままだ。
「私は、カディ様から毎月支給制の握手券を頂いておりますので、悪しからず。」
しれっとそんな台詞を返して来たバンフィードには眦が吊り上がってしまった。
「その握手券のカウント、おかしくないですか? 今月分はもうすっかり使用済みだと思うんですけど?」
「何を仰るかと思えば、長期遠方出張の支給手当をお忘れでは?」
「はあ? そこで足元見て来るとは流石バンフィードさん。ここはキースカルク侯爵を交えてしっかりお話しましょうか?」
「良い大人が脅迫で契約不履行を通そうというのは、余りにも不誠実では?」
全くよく分からない展開になっているが、このやり取りを何だかんだと二人とも楽しんでいるように見える。
「カディ。護衛でも魔物ペットでも躾は始めが肝心だぞ? 背中に張り付いてるそれは、ずっとそうなのか?」
よく見ると、盛り上がった背中からチラッと顔を覗かせているクワランカーをレイカは全く気にも留めていないように見える。
「あー、うん、なんかもう段々と諦めて来たというか。無害なら良いかなとか? そういう流され方って良くないですか?」
問い返して来たレイカは少しばかり疲れたような顔だ。
「我が君!」
唐突にレイカの肩の辺りから魔人の叫び声が上がって、同時に上空から黒い影が差して叩き付けるような風が吹きつけて来る。
ハザインバースどころではない、もっと大きな竜種がこちらに向けて真っ直ぐ降りて来る。
「レイカ下がれ!」
昨日に引き続きの襲撃なのか。
だが守護領域内に、かなり小ぶりのようだが竜種が降り立つなど、普通なら有り得ない。
レイカの護衛達と共に剣を抜くが、離れて欲しいレイカはその場から動かず、魔人なのか誰かと何かを話している。
「そんなの選択肢なんかないじゃない!」
一体誰と話しているのか、嫌な予感しかしない。
「レイカ!」
その叫び声を掻き消すように吹いた突風に身体が弾き出される。
足が地面を見失って、何処かに叩き付けられた。




