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早朝、集落表の守護の木を見に行くと、村の人々が既に集まっていて、その木を見上げて拝み倒さんばかりの様子の者達もいた。
村長には昨晩の内にミーアやラチットとヘイオス隊長が守護の木の説明をしたのだそうだ。
守護の装置の代わりをしてくれる木だと簡単な説明に留めたそうだが、魔石が手配されて装置が修復するまでは、木を絶対に枯らさないようにと言い含めている。
それを用意したのがレイカだという話は伏せたが、昨晩見てしまった者もいたので、広まるのも時間の問題だろう。
ここでもレイカは聖女様扱いになるのではないかと思っていたら、彼らの口から飛び出して来たのは、魔王様の再来だった。
エダンミールの建国史は詳しくは知らなかったが、どうやら魔王が拓いた国だったようなのだ。
だからあれ程魔王にこだわるのかと思っていたが、集落を出て進み始めた道中で隣になったラチットから聞いた話で納得してしまった。
「建国は確かに魔王と呼ばれた程の偉大な魔法使いが行ったんだけどな、今の王家はその血を継いでない。なんでかって言うとな、建国王は建国3年で暗殺されてるんだよな。つまり、子孫を残せなかった。今の王家は建国王の跡を継いだ女王の子供達だ。」
「態々僻地を開拓して建国した魔王を暗殺するって、何処の誰だ? 結局エダンミールは潰れなかった訳で、それは跡を継いだ女王の功績って訳か。」
「まあ、そうは言われてるな。」
何かを飲み込んだようなラチットの言葉に軽く首を傾げつつ、そこは追求してもこれ以上話すつもりはないだろうと諦めた。
「それで? 初代に焦がれて魔王を求め続けるのか? いい加減、建国魔王に拘らずに他に目を向けることは出来なかったのか?」
「はは。それを言う? エダンミール人の存在意義の根底を覆すよその発言。」
ラチットは笑って済ませたが、この発言は確かにエダンミール人を怒らせるかもしれない。
「ま、何処がって、一番王家が魔王に拘ってるんだけどな。それはもう病的なまでにね。」
それは割と子供の頃から接して来たサヴィスティン王子やクリステル王女からも感じている。
魔力に拘りが凄すぎる。
実は、自分に来ていた縁談の中でもクリステル王女との話が一番有力な候補に上がっていた。
クリステル王女は、王族としては珍しい聖なる魔法の使い手だ。
聖女と呼ばれて神殿に招かれてもおかしくないような能力者だったが、エダンミール王家は当然のことながらクリステル王女を神殿には渡さなかった。
カダルシウスでもクリステル王女を第二王子の自分の妻に迎えることに前向きだったが、エダンミールはクリステル王女の夫としてエダンミールに入婿することを望んだ為、縁談はそれ以上進まず止まっていた。
その折に寵児のマユリがカダルシウスに降り立って兄の王太子と恋仲になった。
紆余曲折を経て、2人が婚約した為、桁違いの聖なる魔力を持つマユリを得たカダルシウスとしては、クリステル王女との縁談はなかったことにしたかったようだ。
因みに、クリステル王女がカダルシウスに外交に来ていたのは自分との縁談の為で、サヴィスティン王子はあくまでも付き添いだ。
「ふうん? ところで“王の騎士”っていうのは、実際何なんだ?」
レイカと何か取り引きめいたことをしているファラルという男は何というか掴みどころのない妙な人物だ。
「・・・代々の王の傍らには必ずその姿が在って、王に次ぐ全権を与えられている。何者なのかは誰も知らず、追求することも許されていない。が、恐らくただの人よりも遥かに長く生きていて、その記憶を次代に受け継いでるんじゃないかと言われてる。」
そう隠さず明かしてくれたラチットに、感謝しつつも顔を顰めてしまう。
「王の傍らで、何か王以外の誰にも明かせない役割を担って来たんだろうな。」
今分析出来るのはこのくらいだろう。
後は、何か知っている様子のレイカがどう考えているかだが、レイカにそれを聞く時間は中々取れそうにない。
「シル坊。お前の彼女ちゃんな、王都に乗り込んで無事で済む気が全くしないんだよなぁ。“王の騎士”が何を望んで連れて行くのか分からないけどな。あそこには化け物が棲んでる。」
意味深に言い切ったラチットだが、それよりも呼び方だ。
「良い加減にシル坊は止めろ。」
「はあん。彼女ちゃんの前では呼ばれたくない?」
にやにやと言い出すラチットに、舌打ちしてやりたい気分になったが、ふんと鼻を鳴らしておくだけにした。
「にしても凄いよなぁ、あの子。素直に賞賛するよ。何処が出来損ないだよ、つまんない奴らの嫉妬だったのか何なのか。このどうしようもないくらい煮詰まったこの国を、あの子はどうにかしてくれるのかもしれないな。」
そんな言葉で区切りを付けたラチットに、こちらも肩を竦めてみせた。
「ま、欲しいと言ってもやらないけどな。必ず無事に連れ帰る。」
「ふうん。なら、万が一に備えて必ず切り札を用意しておけよ? 奴ら、あの子を手に入れる為なら手段を選ばないだろうからな。」
それも分かっている。
「でもなぁ。あの子も大人しくしてる質じゃなさそうだからな。何がどうなるやら楽しみにしてるよ。」
最後の締め括りに無責任な言葉が来て、ラチットをじっとりした目で見返してやった。
王都方面へ引き返す帰りの旅は、ここから丸3日程だそうだ。
整備が行き届いていない街道を馬車で行くとなると、馬で駆けるのとは移動速度が変わってくる。
一行の中に馬車は4台で、それぞれ援助隊の物資が積まれた荷馬車と、キースカルク侯爵が乗る馬車、返礼品や大使一行の荷物が積まれた荷馬車と、レイカ達聖女様が乗る馬車だ。
ミーアの好意でラチットと一緒にレイカ達の馬車の少し前を進んでいるが、馬車の隣には何故かファラルという“王の騎士”が付き添っている。
馬車の窓側に座ったレイカとファラルは時折何か言葉を交わし合っていて、何というか面白くない気持ちになる。
「ラチット! ちょっと良い?」
少し前のキースカルク侯爵の馬車の側を進んでいたミーアがラチットを呼んでいる。
「ん? あー分かった!」
ラチットが答えて前列を回り込んで先に向かって行くと、後ろに居たクイズナーが隣に並んだ。
「リーベン殿が少しお話をと。」
そっとそう告げるクイズナーは、微妙な顔付きだ。
余り良い話ではないのかもしれない。
まあそれもその筈で、叔父上と繋がりのあるリーベンから今回の件のお説教を食らうことになるのだろう。
気が重いような気もするが、レイカが迎えに来たのなら、素直に帰るつもりでいる。
置いてきた皆には迷惑を掛けてしまったが、何か致命的な滞りが起こらないように根回しだけはして出て来た。
だから、叔父上もそこまで怒ってはいない筈だ。
帰ったら胸にグサグサと刺さる嫌味と、ちょっと気が滅入るお仕置きが待っていそうだが、それでも最終的には許されるだろうと踏んで今回の暴挙に出ている。
また後列に下がったクイズナーと入れ替わるようにリーベンが隣に来た。
「失礼します。」
言うなり片手でこちらの腕に触れて何かの魔道具を発動させたようだ。
「これで私達以外の者には会話は聞こえない上、顔の認識阻害も盛り込まれているので読唇術の心配もございません。」
「・・・流石用意が良いな。」
黙って頷き返して来たリーベンに、少し警戒する気持ちが生まれた。
「殿下。早速ですが、何卒レイカ殿下のことはお諦め下さい。」
いきなり何を言い出すのかと、チラッと横目で見てみると、リーベンは淡々とした顔をしていたが、何かを堪えるように口を引き結んでいた。
「・・・どういう意味だ? それは叔父上からの伝言か?」
眉を顰めつつ返すと、リーベンが真っ直ぐこちらを見返して来た。
「はっきりと申し上げればその通りです。ですが、それだけではなく、レイカ殿下にお仕えする者としても、レイカ殿下の為に申し上げております。」
叔父上はともかく、レイカの為にとはどういう意味なのか分からなかった。
「まずは、王弟殿下からのお言葉をお伝えします。今回の件を鑑みて、陛下並びに王弟殿下からはシルヴェイン殿下とレイカルディナ殿下の婚姻の話は完全に無かったこととし、今後もお二人の間にその話が再燃することはないとのことでした。」
これは思った以上に厳しい展開だ。
「何故だ?」
声を荒げないように腹の底に激情を抑え付けながら、低い声で問い返す。
「シルヴェイン殿下がエダンミールに入られた事は、諸々の事情を斟酌して上の方々もご納得された様子でしたが、レイカルディナ殿下が追い掛けたこと、また追い掛けさせたことを、上は問題視しております。」
これにも眉を寄せて難しい顔になってしまったが、リーベンは気にすることなく話を続けた。
「つまり、何を問題視されているかと言いますと、殿下が潜入捜査に赴く際、レイカ殿下に追い掛けて来ないように、大人しく王都で待つように根回しされなかった事を上の方々はお怒りです。」
「・・・それは。」
言い訳は幾らでも口に出来るが、そのどれもが薄っぺらく感じて、父王や叔父上を納得させられる気がしなかった。
「縁談が一時保留となったことなど、レイカ殿下に一々告げなければ良かったのでは? エダンミールに潜入捜査に入ったりなどなさらず王都で大人しくお役目を果たしつつ、熱りが冷めるのを待てば宜しかったのでは?」
「それは! 万が一を考えれば、レイカに対して不誠実なことは出来ない。未来の約束も出来ないのに縛り続けるなど。」
何ということを言い出すのだろうと目付きを鋭くして言い返すが、リーベンはそよとも動かない表情で言葉を被せて来た。
「殿下は、将来王太子殿下をお支えする第二王子殿下です。つまりは王弟殿下の今の役割を受け継がれる方だ。であれば、何を甘い事を言っているのだと言われても仕方がないとお気付きになりませんか?」
その言葉に、ずんと胸に杭を打たれたような気になった。
「殿下は、私が王弟殿下の下でどのような務めを負ってきたかご存知の筈です。であれば、王弟殿下が私をレイカルディナ殿下に付けた理由もお察し頂けるでしょう?」
言われて初めて、リーベンを叔父上が態々レイカの専属騎士隊長にしたのには訳があった筈だと思い至った。
「叔父上は、レイカをどうしたいのだ?」
泣きたいような気持ちになりながら問い返すと、リーベンは一瞬何か辛そうな顔になった。
「レイカ殿下をカダルシウスにしっかりと縛り付けておきたいということでしょう。あの方は行動も発想も能力も規格外で自由であり過ぎる。縛り付けるなら、相応の鎖や重しが要る。それをシルヴェイン王子殿下が担い切れるなら、上の方々も反対なされなかったのです。」
それが自分がレイカと共に生きることを許されない理由だとしたら、堪らなくやり切れない。
「では、レイカはこれからどうなる?」
「ご本人には気付かれないように、何かしらの鎖を巻かれることになるのでしょうな。」
そう答えたリーベンが、そこでらしくもなく瞳を揺らした。
「・・・殿下は、これを聞いてどうなさいますか?」
「それは・・・」
直ぐには答えを出せる気がしない。
「レイカ殿下を連れて国から逃げますか? いえ、国を捨ててお二人で逃げることはお出来になりますか?」
言い直したリーベンの言葉にハッとする。
「・・・それは、」
それは選択肢に上りもしない発想だった。
何とか父上や叔父上を説得するとそればかりで。
そして、その答えはズンと腹の奥に重しが来るほど辛いが、出来ない、だった。
王子として生まれてその責務を誇りに思い、小さな不満をいくつも押し殺して築き上げて来た自分そのものや、周りの大事なものも含めて全てを捨てて行く決断は、出来そうになかった。
「答えは出ましたな。私個人としてはレイカ殿下を傷付ける者は論外だと思っております。それしか選べないシルヴェイン殿下にウチの殿下は任せられません。」
リーベンの言葉は役目としての言葉と彼自身の内心が明らかに食い違っているのに、矛盾しているその言葉が何故か真理だと思えてしまった。
「だが、逃げたとしてもお前は追い掛けて来てレイカを連れ戻そうとするのだろう? 何故逃れるのかとそんなことを訊く?」
どうにも悔しくて拳を握り締めながら問うと、リーベンがまた瞳を揺らした。
「・・・絆されて、逃がしてあげたくなるかもしれないではありませんか。」
そう溢すように言ってから、リーベンは小さく頭を振って切り替えたようだ。
また瞳に力を込めて見返して来た。
「エダンミール王都に入るまでは目を瞑ります。今の話は決してレイカ殿下にはなさいませんように。そして、本当の恋人同士の時間を与えて差し上げて下さい。」
「リーベン! それは結果としてレイカを裏切り傷付けることになる。」
はっきりと厳しい口調で返すが、リーベンはそれにふっと口元だけで微妙な笑みを浮かべた。
「この先レイカ殿下が持てるかどうか分からない本当の恋人になって差し上げることは、それ程難しいことでしょうか? たったの3日間だ。他の全ての感情は押し殺して、レイカ様に愛だけを注いで下さい。」
何という残酷なことを言う男だろうかと掴み掛かりたくなったが、言い終えたリーベンが少しだけ目を伏せてそれは辛そうな顔をしていることに気付いて、何も言えなくなってしまった。




