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シルヴェイン王子の手が躊躇いがちに頭を撫でてくれるその仕草や様子が、前と違って躊躇いがちで距離があるように感じます。
解呪の為にファデラート大神殿に向かう旅の直前、シルヴェイン王子はもう少し距離を詰めて近くにいてくれたような気がしました。
あれは、実は呪詛に掛けられてしまったことに対する贖罪の意味合いもあったのでしょうか。
今となっては、呪詛を被ったこと自体が策略の一つだったとはっきりしていますが、あの時はシルヴェイン王子は自分の所為だと責任を感じていたからだったとしたら、辻褄が合うような気もします。
守護の要の再稼働をした日、話し合って諦めるしかないと結論が出ることを恐れて、婚約の話が白紙になったと結論しか言わなかったのだとシルヴェイン王子は言いましたが、それは結局、話し合うことは無駄だと諦めたということになるのではないでしょうか。
確かに、少々早合点なところがある自覚はありますが、人の話はきちんと聞いているつもりです。
相談されたなら、一緒に何か方法を考えるなり出来たと思うのです。
そんなことを考え出すと、どうしようもなく情けない気持ちになってきました。
それに、シルヴェイン王子は結局、実際にどう思ってくれているのか、はっきりと言葉にしてくれませんでした。
婚約話を無くしたくない気持ちは伝わって来ましたが、それが何故なのか、もっと具体的な気持ちとか対外的な理由じゃない個人的な感情の話を2人でしたかったと思っているのは自分だけなのでしょうか?
だから、キースカルク侯爵の一行に加わって貰って、一緒に行動すれば話す時間もゆっくり取れるのではないかと提案してみましたが、それにも潜入を続けて違う場所から支援すると、お仕事重視な話に流されてしまいました。
確かに、お仕事は大事です。
この潜入捜査に賭けているシルヴェイン王子の気持ちも分かります。
国王様と王弟殿下を説得して婚約話を再浮上させる材料にする訳ですから、中途半端では無意味なのも理解出来ます。
でも、そもそもの話、こんな風にお互いの気持ちも分からないまま婚約の話だけ強引に取り戻そうとするのは、どうにも本末転倒な気がします。
そんな風に思うのは、自分の気持ちに自信がないからかもしれないのですが、シルヴェイン王子の気持ちにも確信が持てないのでは、根本がぐらついてしまいそうです。
本当にシルヴェイン王子と婚約ひいては結婚する必要ってあるんでしょうか。
今は実はまだ将来のことをはっきりと決めてしまいづらい事情がこちらにはあります。
ノワからも散々溢される寿命の件ですね。
本当は、もう少しだけ時間が欲しいのかもしれません。
せめて守護の要の修復が終わるまで、諸々引き延ばす方法はないでしょうか。
その間に、シルヴェイン王子には今回の潜入捜査の成果をもって名誉挽回して貰いつつ、それから結婚についてじっくり考えて貰うのはどうでしょうか。
それでもお互いが良いと思えたら、そこから進める話でも良いんじゃないかと思うんですが。
『我が君、実は物凄く恋愛下手?』
唐突に肩の上辺りから姿を消したままのノワの声だけが聞こえて来ました。
「うるさいわね。なんかあんたにだけは言われたくないわ。」
こちらもボソッと返すと、去って行きかけていたシルヴェイン王子がその声を拾ってしまったのか、ん?と首を傾げて足を緩めていました。
「殿下もくれぐれもお気を付けて。帰りは揃って無事に帰りますからね?」
ようやくそう言葉にして返すことが出来て、少しだけホッと息をつけました。
去って行ったシルヴェイン王子達と入れ替わりのように集会所に入って来たのは、ファラルさんです。
アダルサン神官達はシルヴェイン王子との話が始まったところで帰って行ったようなので、今集会所にはキースカルク侯爵一行と聖女様一行とラスファーン王子だけになっています。
「カディ殿と、ラスファーン王子とも少しだけ話したいのですが。」
そう丁寧に許可を取って来たファラルさんを、周りの皆さんがかなり警戒した様子で迎え入れています。
シルヴェイン王子が帰ってから、さっと側に舞い戻って来たバンフィードさんが微妙にいつでも間に入れるような位置についているようです。
隣に並んだラスファーン王子も、ファラルさんには警戒の目を向けていますね。
「まず、ラスファーン王子には、村長宅で風呂に入ることが出来ますが、行かれますか?」
そんな拍子抜けするような話を始めたファラルさんに、皆で目を瞬かせてしまいました。
「え、風呂?」
「ええ。王都を飛び出してから、形振り構わずここまで向かって来られた筈だ。少し身綺麗にされてはどうだろうか?」
ファラルさんの意見も確かに分かるくらい旅疲れた様子に見えるラスファーン王子ですが、途端に不貞腐れたような顔になりましたね。
「身綺麗はまあそうだろうが。これは死体になり掛けているのだろう? 風呂で腐敗を進めるのは良くないのではないか?」
その微妙な話は、ちょっと聞きたくなかったですね。
「・・・確かに。ではタライに湯でも用意して貰いますか。一先ず、カディ殿と行動を共にされるのに、その身汚なさはどうかと思いましてね。」
容赦なくそんな台詞で済ませたファラルさんが若干冷た怖いと思ってしまいました。
それにラスファーン王子は露骨に嫌そうな顔になってふんと鼻を鳴らしました。
「まあ、ラスファーン王子には同情の余地が色々とありますが、それ以上に貴方は非道な行いもされたと知っていますからね。」
ファラルさんの冷たさはそういう理由によるものなんですね。
何となくこちらも苦い顔になってしまいました。
「それでも、カディ殿が拾って何かに役立てるおつもりならば、今は目を瞑りましょう。」
ファラルさん、地はかなり厳しい人みたいですね。
「えっと、ファラルさんの目的に直接関係がないなら、ラスファーン王子は本体に戻して切り離してからカダルシウスで頂けないかと思ってるんですけど。」
ここは正直にそう話してみると、ファラルさんにはにこりと頷かれました。
「成程。それは構いません。あちらで戦犯として見せしめにするのもご自由に。」
そんな過激発言が来て顔が引きつってしまいました。
「フ、ファラルさん。中々過激な性格だったんですね?」
「まあ、長くこんな生活が続きますと、人も中身が荒んで参りますから。カディ殿のご出身は平和主義な国家でしたか? 死刑制度が無くされた国家とか?」
こちらに向ける時だけにこにこ笑顔のファラルさんが逆にちょっと怖くなってきました。
「まあ、平和主義ですけど、死刑制度はありましたよ? その辺は難し過ぎて自論を展開する気とかないですけど。戦犯で見せしめるくらいなら、持てる能力を償いに当てて欲しいと思うだけで。」
「へぇ。流石ですね。では、一つだけ真摯にご忠告を。決してご自分の身を粗末にされてはいけません。何があっても守り抜きなさい。私のように長い後悔を引き摺り続けることがないように。時には心を鬼にしてでも、安易な同情から身を削るようなことはないように。我々のことは、誰にも助けて貰えません。特殊な能力と引き換えに、自衛する他ないのです。」
そんな中身がはっきりとは分からない忠告をそれは凄い熱量でされた訳ですが、ノワといいこの人といい、不親切にも程があります。
「そして、私に手を貸して下さることに感謝致します。いずれ、私の現状を知ることになるでしょうが、どうか目を逸らさずに、貴女の未来の教訓にして下さい。」
完全に不穏なその話題には蓋をして今すぐに踵を返して帰りたくなって来ましたが、どうせこの流れからは逃げられないって知ってます。
「ふう。知りませんったら知りませんよ? 私は自分で見聞きして感じたことを元に行動します。それに後悔することはあっても、誰かの所為にして恨むことだけは止めようと思ってます。一先ず本当にムカついたら身体強化付きで殴ることにしときます。」
「ふふ、それは良い。まあ貴女の身体強化付き殴りならその相手は漏れなくお亡くなりではないかと思いますが。」
それもそうです。
人相手の身体強化は気を付けようと思います。
「カディ殿。王都に着いたら私から離れずに。雑音は全て聞き流して、ただ私の頼みにだけ応えて下さい。それ程難しいことはお願いしませんし、その場限りで後を引かないこともお約束します。」
「・・・詐欺商法ですか? 世の中、情報の開示は契約前の絶対条件で、契約時の説明不足はクーリングオフの対象になるって知ってます?」
じっとりした口調でツッコミを入れておくと、ファラルさんにはふっと少しだけ苦い笑みを貰いました。
「一瞬で良いんです。私がお願いしたその時だけ魔王になって下さい。」
「嫌です。」
即行でお断りを入れると、ファラルさんには何故か嬉しそうに微笑まれました。
「あのですね。私がこの身体に入ってしまってからずっと、それだけは回避すべく生きて来たんですよ。それは地味な努力を重ねてですね?」
「そのようですね。でも、貴女にほんの一瞬でも魔王になっていただかないと、私の使命は果たせないのですよ。貴女の身の安全は保証致しますから。それに、ことが片付いたら居合わせた者達にはその事実を忘れるように、少々強めに言い聞かせますから。」
いやいや、それだと魔王じゃなかったとはならないってことですよね?
「あーもう! ファラルさん、もう少し正直にならないと協力取り消しますよ? エダンミールの初代の国王は魔王だったんだろうなっていうのは何となく分かって来ましたけど、そもそも何でエダンミールは魔王を作り出そうとしてるんですか?」
ここは腹を割ってタイムを作らないと先には進まない気がしてきました。
すっと一瞬だけ目を逸らしたファラルさんですが、仕方がないというように溜息を吐いてからこちらに再び目を向けました。
「分かりました。軽く事情をお話しておきましょう。」
漸くここまで漕ぎ着けたというところでしょうか。
エダンミールの秘密を、知りたくなかったですが、聞くお時間の始まりです。




