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フォーラスさんの部屋というのは、研究室のことだ。
フォーラスさんは聖なる魔法の研究者でもあるので、資料やら書物やらが部屋中に積まれている。
「ケインズです。」
ノックをして入った部屋の応接テーブルからは資料が避けられて、お茶が用意されていた。
椅子にはフォーラスさんとテンフラム王子が隣り合って座って何か話しているようだった。
「失礼します。」
声を掛けて近付くと、振り返った2人に向かいの席を勧められた。
こちらに向く2人の視線に何というか居心地悪くなりつつも、言われた通り椅子に腰掛ける。
「ケインズ、単刀直入に訊くぞ?」
そんな前置きから始まって、緊張しつつも頷き返す。
「お前は、レイカのことは完全に諦めたのか?」
まさかそんなことをテンフラム王子に訊かれるとは思わなくて、戸惑いを隠せない。
「え?」
つい間抜けな声が出てしまった。
「フォーラス神官から聞いたが、悩んでたそうじゃないか。」
そんな個人的な話を何故追求されているのだろうかと思っていると、テンフラム王子がふうと溜息を吐いたようだった。
「レイカにな、どうやら結婚相手を探す話が国王の周辺で出てるらしい。」
これにはドキリとしてしまった。
「知ってたか?」
「あ、はい。偶々ちょっと耳にする機会がありまして。」
そこからじっとこちらを見詰めるテンフラム王子とフォーラスさんの視線を感じる。
「それで? お前はもう何とも思わないのか?」
それは、思わない訳がない裏事情を知ってしまったのだが、ここで言える筈もなかった。
「それでも、レイカさんがシルヴェイン王子を好きなのことには変わりがないですから。2人を応援することなら出来ますけど。」
言いながら、酷く胸が痛む気がした。
2人を応援したとしてもその道のりが困難なことになるのは間違いない。
またレイカさんが傷付くことになるのは見ていられない。
「はあ。そこだよな。その前提で、お前はレイカを諦めることにしたんだよな?」
改めて確かめるように訊かれて、黙って頷き返すことにした。
そこからテンフラム王子は言葉を切ってこちらを見ながら何かを推しはかるような目を向けて来る。
「こんなことを言うべきじゃないって思ってるけどな、他でもないレイカの為だと思って口にする。本人には言ってやるな。」
そんな前置きをしたテンフラム王子の言葉に何を言われるのかと緊張して来る。
「レイカはあれは、シルヴェイン王子が好きな訳じゃない。憎からず思ってるのは事実だが、今は好きだったんだと思い込もうとしてるんだろう。因みに、憎からず思ってるのは、多分お前もだ。いや、どちらかと言うとお前の方が本当の好みには近いんだろう。」
何を言い出すのかと目を見開いていると、テンフラム王子は小さく溜息を漏らしたようだ。
「時折あいつは、楽な方に逃げてるかもしれないって言って悩んでるのには気付いてた。その時は何のことを言ってるのか分からなかったが、今この状況になったら分かってきたよ。レイカは自分から恋愛することまたそれについて自分と向き合ってきちんと考えることから、逃げてるってことだ。」
これには首を傾げるしかない。
「でも、レイカさんは殿下を特別に想ってて、告白もしたって。」
思わず挟んだ言葉にテンフラム王子は首を振った。
「この間、王太子と話すことがあって偶々その時のことを耳にしたんだが、その話な、そもそも王太子からシルヴェイン王子を助ける条件として提示されたものだったらしい。それを2人で話し合ったようだが、あっさりと纏めて戻ってきたんだと。シルヴェイン王子とは出掛ける前に少し話したが、彼は形振り構わぬ程にレイカに気持ちがある。だが、レイカはシルヴェイン王子から婚約を白紙にと言われた時に、ではシルヴェイン王子は他の誰かと婚約するのかと訊いたんだ。動転していたとしてもおかしいだろ? じゃああの時の告白は無駄だったんだなと言い置いて逃げた。」
テンフラム王子の話す話の中身が何を言いたいのか上手く繋げられない。
「つまりな。レイカは無意識に恋愛からは目を逸らしていて向き合うつもりはない。でも周りは、適齢期だ婚約だ誰が好きだと促して来る。だから、周りや相手から望まれる上手く纏まる話に取り敢えず頷いておこうとしてるってことだ。」
これには胸が苦しくなる。
その原因は、本人から聞いて知っていた。
「過去のこと、レイカさんは全然引きずったままだったんだな。そうだよな、この間も、過去のこと言ってたもんな。シルヴェイン王子と話して少し慰められたかもしれなくても、まだ全然ダメだったんだ。」
兆候はあったし、本人は時折片鱗を覗かせていたのに、過去のことはもう大丈夫になったのだと思い込んでいた。
「ケインズ、落ち込むなよ? レイカの過去の奴は、多分お前に似てるんだよ。レイカはあの通り思い切った性格だし敵を作ることもあったんだろう。それでも良いと言って肯定して優しくしてくれる。レイカの気持ちを大事に程良い距離感を保って見守ってくれる相手。そういうのに、多分裏切られたんだろ? 耳辺りの良い言葉を囁いて優しいふりで程良い距離感っていうのは、騙そうと思ってる相手にとっても都合が良かったんだろう。」
これにはずんと気持ちが落ち込む。
良かれと思って踏み込み過ぎずにいたことが、レイカさんを余計に追い詰めていたのかもしれない。
「その点、シルヴェイン王子は遠慮なく踏み込んで来るし、疑う余地もなく想いを伝えてくれる。レイカにとっては楽な相手だったんだ。自分の気持ちは育てなくても空っぽのまま、シルヴェイン王子の好意を信じて望まれるまま側に居れば良い。」
知らず握り締めた拳が真っ白になっていた。
「ただな。それでもシルヴェイン王子となら、時間をかけて傷付いた心が癒されて空っぽの心も満たされたかもしれない。」
ここまで言ったということは、テンフラム王子もシルヴェイン王子がレイカさんの結婚相手から完全に外れたことを知っているのだろう。
「これから選ばれる人達では、レイカさんの心は癒されないんでしょうか?」
「・・・さあな。そいつらはレイカのそんな面倒な諸事情は知らないだろうし。貴族子息なら政略結婚として割り切ってる可能性が高い。王家が演出した聖女様の仮面の為に心酔してたとしても、あのレイカだからな、直ぐに仮面の下に気付かれるだろうし、それを良しとするかどうかは相手次第だろうな。」
それはそうだ。
始めからレイカさんの周りにいた自分達とは違って、事情を知らない貴族の子息がレイカさんの色々を尊重してくれるかどうかなど分からない。
「レイカの方が歩み寄ろうとしないなら、仮面夫婦で終わる可能性は高いだろうな。今の頑なになってるレイカにそんな婚約者を当てがおうとすれば間違いなくそうなる。」
それも実は貴族の家庭では有りがちなことなのだそうだ。
「さて、そんな生活が続いたとして、レイカがいつまでそれに大人しく従ってると思う?」
言われて、思い余ったレイカさんがパッと飛び出していってしまう姿が脳裏に浮かんだ気がした。
王家がどれだけ留めようとしても、レイカさんはそれを振り切って逃げ出せる能力を持っている。
「それは、王家がレイカさんを結婚で縛らなければ良いだけでは?」
「そうはいかないのが王家事情だろうな。守護の要は今レイカ任せになってるし、正直言ってレイカは寵児としても特殊過ぎて他所には絶対に渡したくない存在だろうからな。」
国の都合でレイカさんを犠牲にする構造はやはりどうしても納得出来ない。
「では、シルヴェイン王子との結婚を許せば良いだけではないですか。」
つい不貞腐れた声で返してしまうと、テンフラム王子ににやりと笑われた。
「こういう話を聞くと、面倒になるか? レイカの好みは間違いなくお前なのに?」
「・・・そ、それは、そうかもしれないという話でしょう? 聞けば聞く程、レイカさんの相手に求められるものは多そうだし、俺では不釣り合いだし。好きだけで全てを埋められる程の何かが俺にある訳でもないし。」
見苦しい言い訳ばかりを繰り返してしまう自分が堪らなく情けなくなる。
「そうか。まあ、私からケインズにどうしろと言うつもりはない。因みに、公平じゃないから言っておくが、何故私が今ここでこんな話をしだしたか説明しておこう。」
そこでテンフラム王子がチラッとフォーラスさんに目を向けました。
「私はスーラビダンの王子として、スーラビダン王家の血を引くレイカの動向を追い続ける使命がある。いつか現状にブチ切れたレイカが飛び出したとしたら、何としてでもスーラビダンに迎え入れたい。そうなると、手っ取り早く私の妻にしてしまうのが無難だが、嫌がるだろうしそこから心を開くこともないだろう。それにな。」
言って言葉を切ったテンフラム王子がフォーラスさんに目を向けました。
「寵児殿の中には、時折有り得ないような長命の方が存在するのです。例えば、当代の大神官様や先代もそうだったそうです。」
大神殿で、そういえばレイカさんは先代の大神官の肖像画をずっと眺めていたような気がする。
何故か歴代の大神官の肖像画は若い姿ばかりで不思議に思った。
「レイカも恐らく、その定めを負ってるんじゃないかと思う。秘密主義なのも、誰にも本当の意味で心を開こうとしないのも、そういった事情が相乗効果で乗っかっているとしたら、納得出来る。」
また胸に何かが刺さるように痛んだ。
「・・・何が、正解ですか?」
「正直分からん。だから誰かが、今の内にレイカの心をきちんと受け止めてやらなきゃならないと、それだけははっきりしてる。」
結論を話し切ったテンフラム王子にフォーラスさんも複雑そうな顔付きで頷いている。
「その役割はケインズ殿が一番相応しいと思うんですよ。それが、本日こちらにお越し頂いた理由です。」
フォーラスさんの纏めに、漸く全てが繋った。
レイカさんをこのままにしておいてはならないというのは、その通りだと思うが、心を開いて全て明かして欲しいと望むのは、本当に自分で良いのか、それだけはまだ自信を持って言える気がしなかった。




