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「我が君。・・・酷いです。」
夜な夜な人が寝入った耳元で囁く妖怪か、というように眠りが浅いところを狙って囁いて来たノワの声に、仕方なく目を開きました。
「何よ、物凄く嫌な夢見そうだから、人の枕元で泣き真似するの止めてくれる?」
「もう夜明けだから良いじゃないですか。・・・この浮気者。」
最後にボソッと恨み言を付け加えるの、止めましょうね。
「浮気て。」
「そうですよ? 夜中に私が戻ってから、寝苦しくちょっと朦朧としている我が君に、もう大丈夫ですよって言いながらほっぺかおでこにチューで魔力を注ぎつつお熱を下げて差し上げようと思っていましたのに。」
そのどうしようもなく私利私欲混じりな発言にはいつも通り引きますね。
「・・・気持ち悪いからやめて? 人間には自然治癒力が宿ってるから、それ任せで良いです。」
「それならどうしてアイツの治療魔法を受け入れたんです?」
何だか恋人に浮気を疑われているくらい面倒なんですが。
「あのさ。どういう嫉妬の仕方? 朦朧としてて、最初は何故だかノワだと思ったの。」
「・・・まあ、存在の括りとしてはちょっとだけ似てるかもしれませんが。あれは我が君を利用しようとしている不届者ですから、信用してはいけませんよ?」
そんなことを言い出すノワですが、その点も貴方とよく似てますよ?とは言えませんでしたね。
「はいはい。でも、避けられないんでしょう?」
「そうですね。我が君がこの国に入ったことで、急速に舞台は整えられていっていますよ? ただし、何をするのもどうアレに干渉するのかも、我が君次第です。もしかしたら、永く長く掛かったあやつのお役目にも目処がつくのかもしれません。それが我が君の為にもなる可能性もありますからね。」
また具体的な情報はないのに、物凄く不穏な気配だけを感じる台詞には辟易してしまいますね。
「キーィ?」
不意にジャックの小さな啼き声が聞こえて、スリっとふわふわ頭が布団から出ていた手に擦り寄って来ます。
「ジャックおはよう。」
そう声を掛けて甘えて来るジャックの頭を撫でていると、両隣のベッドが軋む音と共にニーニアさんとサミーラさんが起き上がるのが見えました。
「殿下、起きてらっしゃいますか?」
そっと呼び掛けて来たのはニーニアさんです。
「うん。ごめんね、起こしてしまった? でも、2人はもう少し眠っていて。」
そう言ってみますが、2人ともそれに被りを振ってベッドから降りて来ました。
そっと額に手を伸ばすニーニアさんと、サミーラさんはベッドサイドの机で水をコップに注いでくれます。
「良かった。お熱は良さそうです。」
「お水どうぞ。」
2人に申し訳なくなりつつコップを受け取ると、お水をいただくことにしました。
発熱後だからか、水が染み渡るように美味しく感じます。
「ありがとう。」
礼を言ってコップを返すと、2人には微笑まれました。
「さて、それじゃ聖女様の侍女のカディは完全回復なので、もう殿下呼びは封印して下さいね。」
そう宣言すると、2人には困り顔をされました。
朝食の席に顔を出すと、キースカルク侯爵と援助隊の顔見知りの皆さんがこちらを見ている視線を感じました。
「カディ殿、もうお身体は大丈夫なのですか?」
ファラルさんに声を掛けられて笑顔で頷き返します。
「ええ。ご迷惑お掛けして済みませんでした。」
皆さんの前で頭を下げてお詫びすると、負の空気はなく頷き返されました。
「良かったです。予定通り進めそうですね。」
これまた笑顔で返してくれたファラルさんに、キースカルク侯爵が少しだけ苦い顔になっています。
「カディ殿は、無理はなさらないように。」
キースカルク侯爵は言って、さっとハイドナーに目をやりました。
何かあったら知らせるようにということなのでしょう。
過保護だなぁと思ってしまいますが、こちら一応王族なので、何かあっては責任問題とか色々と発生するのかもしれません。
その過保護は甘んじて受け入れていようと思います。
まあ、体調が悪化したら馬車で寝ていれば良いと思うんですけどね。
そんな訳で朝食後再開した馬車の旅は、忘れていましたが酷いガタガタ道でした。
町を出て暫くは石畳で舗装された整備された道なのでまだ良いのですが、それが途切れた後の踏み固めて道になっているだけの街道は、容赦なく揺れる悪路です。
それがこの世界での標準なんでしょうが、これなら馬で移動の方がまた楽でしたね。
元から乗り物酔いする方じゃなくて良かったです。
途中途中止まったりしつつも何事もなく進んでいく道中ですが、止まっている間に魔物退治をしたりしつつ進んでいるようなので、戦う皆さんにとっては何事もなくはないですね。
それをお首にも出さない皆さんは大したものだと思います。
昼休憩時に馬車を降りた場所は、漸くポツポツと見え始めた木々が集まった小さな林の中で、緑の木陰に正直ホッとしてしまいましたが、あと数日はこんな日々が続くとあって、少しげんなりしてしまったのは内緒です。
魔法大国エダンミールですが、広い国土と強い国力とは裏腹に、所領はかなり住みにくい土地も多く含まれているようですね。
だからこそ、魔法で不便を補う必要があって、結果として魔法が発展ということもあるのかもしれません。
もしかしたら、神様補正で科学力より魔法を発展させるよう誘導する仕組みが運行システムに組み込まれているんでしょうか?
何はともあれ、よく出来ているってことだと思います。
ハイドナーがこれまた手を出す暇もないスピードで食事準備をしているのを眺めていると、ふと頭上に影が差して、ドシンという地響きと共に、人の背丈の二倍はあるんじゃないかという巨大な熊が馬車の側に降立ちました。
御者さんが馬車から馬を外そうとしていた最中だったので、驚いた馬が馬車を引いたまま走り出してしまいました。
そして、ゆっくりと見渡してこちらに真っ直ぐ目を止めた巨大熊さん、側にはハイドナーとサミーラさんニーニアさんとバンフィードさんです。
皆んなして驚きに動きを止めていますが、これどうしたら良いんでしょう?
やはりここは、死んだフリですか?
あれ、魔物の一種ですよね?
目が血走ってるし、何故かこちらをガン見ですからね。
「カディ様。新しいペットはご入用ですか?」
バンフィードさん、剣の柄に手を掛けつつ聞いて来ることはそれですか?
「要るわけないでしょう? ノワが聞いたら今度は金太郎ですか?って言われるじゃない! てゆうかここは死んだふり? 倒れた方が良いですか?」
「はい? 餌になりたい願望でもあるんですか?」
こんな時なのに、相変わらず噛み合わない会話ですね。
「グワァ!」
と、唐突に吠えた熊さんが血走った目を険しくしてこちらに駆け寄って来ます。
「カディ様は2人と逃げなさい!」
剣を構えたバンフィードさんに言われて、ニーニアさんとサミーラさんに促されるまま後ろに向かって走ります。
ハイドナーは視界の端で昼食バスケットを死守したままジリジリと背後の林の方へ下がっているようです。
休憩場所設営で皆がバラけていたところを狙われたようなタイミングでしたね。
ファラルさん達も熊さん魔物のところに駆け付けています。
そちらを余所見しつつ引っ張られるように走っていた先で、唐突に2人が立ち止まったようで転びそうになりました。
「カディ様!」
リーベンさんの焦ったような声でふと前を見ると、ニーニアさんとサミーラさんがその場に倒れていて、目の前には薄汚れたフード付きマントを纏った怪しい人物が立っていました。
「う〜ん? 何でここで?」
思わず漏らした言葉に、目の前の人物に腕を掴まれました。
「来い。」
低い切羽詰まったような声でしたが、予想通りの人の声ですね。
「嫌ですけど? 離して貰えます? サヴィスティン王子?」
最後の呼び掛けには自信がありませんでしたが、びくりと肩を揺らした双子王子の片割れは、腕を握る手の力を少しだけ緩めました。




