387
国境を越えてエダンミールに入ると、キースカルク侯爵やリーベンさん始め護衛の皆さんの空気が少しピリついているように感じます。
そこに混ざるように護衛を続けてくれているファラルさんはランジの件以降も変わりなく扱ってくれます。
彼の思惑は分かりませんが、こちらの正体に気付いた筈なのに黙っている辺り、避けられない何かにご招待予定なのでしょうか。
今夜の宿でノワが出て来たら、その辺りもきっちり話して貰おうと思います。
「カディ殿。もう少しすると道が荒れて来るので、馬車もがたつくと思うが、乗り物酔いは大丈夫かな? 他の聖女様方も。」
ファラルさんがそう気遣ってくれますが、明らかに聖女様方もとついでのように訊くのはやめて貰いたいですね。
「あーえっと、私は多分大丈夫ですけど、聖女様は如何です?」
ファラルさんの他にも援助隊員さんが数名は周りにいるので、こちらも必死で取り繕っておきますよ。
「ええ。私も大丈夫です。」
ニーニアさんが何処かぎこちなく答えてくれて、ですが馬車周辺の空気は冷え切っています。
が、気を取り直して和やかな道中を装っておきますよ。
「あ、ファラルさん。ガタガタして喋れなくなる前に聞いても良いですか?」
「ええ、どうぞ?」
「今夜の宿のある街はどんなところですか?」
エダンミールがどんな国なのか予備知識も全くなく出て来てしまったので、少しでも情報収集しておこうと思います。
何かあったら逃げ帰らなきゃいけないかもしれないですけど、この世界は野宿は厳禁、魔物避けのある集落でしか安心して寝泊まり出来ないそうですからね。
街や集落の情報、出来れば宿泊の為に魔物避けが発動出来る野営地の情報なんかも入手しておきたいところです。
「ラヴィルという街ですが、この先に広がる荒野を避ける街道を走るので、着くのは夕方頃になると思います。この辺りは灌木地が多いので、低木の影に小型魔物が潜んでいたりして、それらと遭遇すると襲って来ることがあります。少し危険な道中になりますが、馬車の中に居れば安心ですよ。」
街のことというよりこれからの道中のことを話してくれたファラルさんですが、馬車の中なら大丈夫ってと、思わず外を警護してくれているリーベンさん達に目をやってしまいました。
「我々援助隊の者は皆、魔物の襲って来る道中には慣れていますから、こちらの護衛の皆さんに対処して貰う前に、片付けられると思いますよ?」
こちらの視線に気付いたのか、そんな気遣いの言葉を貰ってしまいました。
「そもそも、カダルシウスでもフォッドを出た辺りから何故か魔物が出て来る割合が増えていましたからね。気付いていなかったかもしれませんが、それなりに倒しながら進んでいましたよ?」
なるほど、大世帯の旅だと中心に居ると分からないものですね。
それからこの話題は深く考えるのはやめましょう。
魔物を呼ぶ魔力とイースとエールの護衛が無くなったこととか、落ち込みそうですからね。
いざとなったら魔法も使えますし、何とかなる筈です。
「それからラヴィルですが、谷の街と言われていまして、大昔その辺りを流れていた大河があったようで、川が削った谷間に街を作ったそうです。が、年に数回大雨が降ると、谷をその時だけ出来る水流が流れて行くので、人々は谷の上に避難地を作って逃れ、現在は生活の基盤は谷の上の丘部分にほぼ移っているようですね。」
と、何やらスケールのデカい話を聞いてしまいましたが、どうやらカダルシウスとは大分気候が違う国のようですね。
「注意点があるとしたら、その周辺ではよく、岩に擬態した魔物を見るので、無闇に街の外を探索したりしない方が良いでしょう。」
細やかな配慮には有り難く頷いておくことにしました。
ファラルさんとの会話が一段落して、前情報通りガタガタ道に突入したところで、馬車の窓を閉じて揺れに耐える時間になりました。
「カディ様は。」
不意に、ハイドナーが気を逸らす為なのか呼び掛けて来ました。
「ん?なに?」
問い返すと、ハイドナーは少しだけ躊躇いがちな視線を向けて来ました。
「ファラル殿のような方が、好みなのですか?」
「・・・はひ?」
思わず揺れを殺すのを忘れて舌を噛むところでした。
「では、バンフィード殿のような方ですか?」
「ちょ! 何言い出すの?」
思わず身を乗り出した所為でバランスを崩して椅子から転げ落ちそうになりました。
さっとニーニアさんがさり気なく支えて座席に戻してくれましたが、何故が馬車中の人達の問い掛けるような視線がこちらに集中しています。
「そんな訳、ないよね? 何を言い出すかと思えば。」
突然そんな話題が湧き起こった理由も分かりませんでしたが、それに対する興味有りげな皆さんの様子が腑に落ちません。
「カディ様が、構えずに楽に接しておられるように見えるので。同年代の他の方達相手には明らかに距離を取っておられますし。失礼ながら、前回の旅立ち前は殿下に対しても、ケインズ殿に対してもそうでした。」
そんなに露骨に態度に出ていたでしょうか?
「それなのに、殿下にもケインズ殿にも、好意を向けられて戸惑う様子はされても嫌な顔はなさらない。ご興味が全くないという訳でもない。でも、ファラル殿やバンフィード殿のように親しげに接することはない。」
「え?親しげ? バンフィードさんと?」
これには不本意な声が出ました。
「遠慮がない、ということでしょうな。それは私もそう思っておりました。」
モルデンさんにまでそんな指摘をされると、首を傾げてしまいました。
そんなつもりは全くなかったのですが。
「あでも。殿下とはあの時これからって雰囲気じゃなかったですか?」
守護の要の前庭でシルヴェイン王子と話し合った後のことについてモルデンさんに同意を求めてみると、眉を寄せて難しい顔をされました。
「殿下のほうはそうでしたが、カディ殿は、照れておられるというより、失礼ながら頑張って受け入れようとされているようにも見えました。」
これには、ちょっと我ながら衝撃を隠せないかもしれません。
「えっと。恥ずかしかっただけで、いつかは慣れるのかなって思ってただけで。殿下はぐいぐい来る人だし。」
「・・・」
馬車の皆さんからの微妙な空気には、居た堪れない気分になります。
「あの。この追求って、王弟殿下命令なんですか?」
「まあ。王弟殿下からは先日話した通り、好みの男性を聞き取り調査するようにとは言われておりましたが。そもそも殿下を連れ戻す今回の旅でしたが、カディ様の中で微妙に趣旨がズレ始めていませんか?」
このモルデンさんの冷静な分析には目を逸らしたくなりました。
「いえ。主目的は殿下のお迎えですよ?」
「こう申し上げては失礼かと思うのですけれど。カディ様は、恋焦がれる人を追い掛けているという温度ではないと思うんです。それなら、どうしてご自分で連れ戻そうと出掛けて来られたのか、分からなくて。」
サミーラさんの指摘にはギクリとしてしまいます。
6日昏睡して起きてから、シルヴェイン王子の話を聞いて、衝動的に追い掛けて無事に連れ戻さなければと思いましたが、その内心はちょっと掘り起こしたくないかもしれません。
せっかくお互いに気持ちに通じるところがあって前向きに婚約が整ったと思っていたのに、それが流れたことは素直にショックだったし、その話をしたシルヴェイン王子のあっさりした様子に腹も立ちました。
あれ程、想ってきたのだと言われて、素直に嬉しいと思えたのに、やはりそこまでの気持ちではなかったのかと裏切られた気持ちになって。
そして、逃げるようにこちらが目覚める前にエダンミールに行ってしまったことも、周りに何を言われても信じる気持ちにはなりませんでした。
追って何を引き出したかったのか。
エダンミール行きに、他の目的が出来た方が有り難いと内心思っていることは、流石にここで態々付き合わせてしまった皆さんの前で言うべきことではないでしょう。
「殿下に会ったら、何かはっきりするかもしれないじゃないですか。」
漏らした言葉に、喉の奥が詰まりそうになります。
「私が悪かったです。そんなことの為に皆さんを振り回して付き合わせて。ごめんなさい。」
俯いて絞り出した台詞に、目頭が熱くなって来ました。
「カディ殿。責めている訳ではないのですぞ? どの道誰かが殿下を迎えに行くことにはなりましたし。カディ殿が適任だと結果王弟殿下も判断された訳ですからな。」
モルデンさんの慰めがそれでも胸に痛いです。
あれは、押し切ったというんでしょう。
だからこそ王弟殿下は、しばらくは放っておいてくれると言った王女のお相手候補リサーチを始めたのだとしたら、やはりずんと胸に来ます。
「カディ様。貴女の従者ハイドナーは、いつでもどこへでもお供致しますから、何も謝られるようなことはございません。ですが、少しでもお元気のないカディ様のお役に立ちたいのです。」
続いたハイドナーの言葉には驚いて顔を上げてしまいました。
「旅からお戻りになってからのカディ様は、以前は誰よりも親しくしておられたケインズ殿と距離を置かれているように見えました。お気付きではないかもしれませんが、ケインズ殿とは以前はファラル殿やバンフィード殿よりも余程親しくしておられたのですよ? 時には屈託なく笑い掛けられて、親しいご友人として付き合っておられるように見えました。私はケインズ殿のお気持ちには気付いておりましたから、もしかしたらという事態が起こったならば、密かにお手助けする心算もございました。」
「え?」
色々とツッコミどころのある発言でしたが、どうしても気になるところを一つ。
「密かにどう手助けするつもりだったの?」
ハイドナーはこれににこりと微笑み返して来ました。
「まさか王女様になられるとは思っておりませんでしたので、ケインズ様と恋仲になられましたら、まずは密かな逢引きのお手伝いから、もっとお進みになるようなら、駆け落ちのお手伝いなども検討して作案も幾つか。」
「ちょ、ちょっと待って? ケインズさんだよ? あの超良い人なケインズさんにそんなことさせちゃダメでしょ。」
慌てて遮ると、ハイドナーは目を瞬かせて首を傾げました。
「カディ様は、やはりケインズ殿がお好きでいらっしゃいますよね?」
そんな物凄く痛い指摘をしてくれるハイドナーには半眼を向けてしまいます。
「良い人だと思ってるよ? 物凄く優しいし、ずっと長く程良い友人関係を築いていきたい人だよね?」
「では、どうして今、距離を取ろうとされているのですか?」
「・・・ケインズさんにも大事なものが沢山あるのに、私の所為でそういうの犠牲に出来ないでしょ? そういうの無視して我儘を通した挙句・・・」
不意に続けようとした言葉に寒気がして来た気がして、言葉を途切らせてしまいました。
「いや、だから。とにかくケインズさんとは出発前に話して来たし、コルちゃんもみてて貰えることになったし。良い友人関係に落ち着いたから、大丈夫。」
両手を反対の腕に当ててよく分からない寒気に耐えていると、ニーニアさんが隣から膝掛けを肩に掛けてくれました。
「カディ様。大丈夫ですか?」
声を抑えて訊いてくれるニーニアさんに、立場がないなと思いながら震える口元を無理やり笑みの形にして頷き返しました。
「ごめん、ちょっと目を閉じてても良い?」
「はい。勿論です。」
そんなやり取りを経て、ガタガタと揺れる馬車の背もたれにもたれて目を閉じた。
頭の奥が痛んで何も考えたくなかった。




