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「ケインズ様?」


 側でそっと声を掛けられて、慌てて我に返ると、食堂の料理人見習いのエスティルがこちらを覗き込んでいた。


「あ、ごめん。何かあった?」


 慌てて問い返すと、エスティルは少し心配そうな顔になってから、口を開いた。


「大丈夫ですか? お食事の手が止まっていましたけど。」


 確かに、朝の訓練を終えてからの朝食だったが、パンを一口口に放り込んだまま、手を止めて考え事をしてしまっていた。


「あ、済まない。決して食べたくない訳ではなくて。少し考え事をしていただけなんだ。」


 よく分からない言い訳をしてしまっていると、エスティルにはふふっと笑われた。


「体調が悪いとかでなければ良いんです。ゆっくり召し上がって下さいね。」


 そう優しく返されると、照れ笑いが浮かんだ。


「あの、実はお声がけしたのは、料理長が新作の味見をケインズ様にして貰えないかと。」


 そう話を切り出したエスティルに、目を瞬かせる。


「良いけど。俺はそこまで舌が肥えてる訳でもないし、美味しく感じるかどうかを伝えることくらいしか出来ないけど?」


 そう自信なげに答えてしまうと、エスティルも少し困った顔になった。


「あの。本当は、王女様に味見して頂きたいんですけど、流石にもうお願い出来ないので。でも、ケインズ様なら王女様にお会いする機会もあるし、食べた試作の感想をお伝え頂いて、王女様から何か助言を頂けるかもしれないって料理長は話していて。」


 成程という思い付きだが、そう思って貰える程、レイカさんと接触する機会は今後もないだろうと思う。


 特に今は、密かにエダンミールに向かっている最中だ。


 そのレイカさんの姿を思い浮かべると、堪らなく苦しいような気持ちが競り上がって来る。


 先日ランバスティス伯爵と話してから、どうしようもないことをぐるぐると考え続けているが、全く出口のない悩みに突入している。


「そっか。次いつお会いできるか、お会いできても試食の話が出来るか分からないけど。俺で良ければ試作、食べさせて貰おうかな。」


 そう口では穏やかを装って返すと、エスティルは笑顔で頷き返して走るように厨房へ戻っていった。


 思えばレイカさんは、この厨房にも大きな風を吹かせた人だった。


 料理長はレイカさんの一番最初の信奉者かもしれない。


 いきなりレイナードと入れ替えられて理不尽を背負わされたのに、恨むことも腐ることもせず、前向きに出来ることをして周りを整え生きる場所を作ろうとしていた。


 それはきっと今も一緒で、レイカさんはただここで生きて行く為に出来る事をしようとしているだけだ。


 それが国にとってどうだとか、何かの都合としては良くないからとか、そんなことで縛っていい人ではないと思う。


 そもそもがこの国で生まれ育った訳でもないレイカさんがこの国の為に動いてくれているのは、レイカさんのただひたすら厚意によるものだ。


 上の人達が国の為にとレイカさんの意思を無視して囲い込もうとするのは、卑怯だと感じる。


 だが、国家を背負う人達には、国や民の為に人道よりも優先させることがあるというのも、今なら理解出来る。


 ただ、それでレイカさんが犠牲になるのだけは納得出来ない。


 だからといって、自分に何か出来る訳でもないというのが、堪らなくもどかしくて、兄枠だとか友人だとか、そんな自分からの一方的な希望は、レイカさんにとって何の助けにもならない意味のない存在なのではないだろうか。


 そんなもやもやした気持ちをどうすることも出来ずに、何日も抱え続けている自分がひたすら情けないと思う。


「ケインズ様。試食の件お引き受け下さりありがとうございます。また試作が出来たら声を掛けさせて貰います。」


 これまたいつの間にか側まで来ていた料理長にそう声を掛けられて、兎にも角にも頷き返す。


「いや、お役に立てるか分からないけど。」


「いえいえ良いんですよ。私もレイカ様いえ殿下が、いつかお寄り下さった時に、前より良くなったと、そう仰って頂けるように、少しでも食堂改革を進めておきたいのですよ。例え自己満足でもね。」


 言った料理長は、以前の尖った雰囲気とは打って変わって穏やかな顔付きで微笑んだ。


「・・・そうか。例え自己満足でも、進むことには意味があるんだろうか。」


「そう思っておりますよ。留まっているよりはね。」


 自信満々に言い切る料理長に、少しだけ口元を緩めて微笑み返した。


「そうだな。ありがとう料理長。」


 つい感謝の言葉を付け加えてしまうと首を傾げた料理長だったが、そのまま手早く食事を済ませて席を立った。


 具体的に何かすることがある訳ではなかったが、何かを始めたいという気持ちが確かに心の中に芽生えていた。


 そのまま日課の神殿に足を運ぶと、解呪のお手伝いを終えたコルちゃんが散歩コースの中庭の入り口で足を揃えて大人しく座って待っていた。


「お待たせコルちゃん。」


 そう声を掛けると、足元に寄って来てつぶらな瞳でこちらを見上げてくる。


 コルちゃんとレイカさんは離れていても何かの絆で繋がっているのか、レイカさんに似た色の魔力を常に纏っている。


 その場にしゃがみ込んで、コルちゃんの頭を優しく撫でる。


「コルちゃんは、レイカさんが居なくて寂しくないか? 俺はやっぱり、寂しい、な。」


 誰にも聞こえないような小声でそうコルちゃんに向けて溢すと、コルちゃんはチラッと目を上げてスリっと一度だけ頭を手に擦り付けて来た。


 撫でるまでは時折許してくれていたが、コルちゃんの方から擦り寄って来たのは初めてだ。


 感慨深いような気持ちで目を細めてコルちゃんを撫でていると、不意に声が掛かった。


「ケインズ、久しぶりだな。」


 振り返って立ち上がると、テンフラム王子がいつも通りの気安い口調で笑い掛けて来る。


 スーラビダンの第三王子だが、驚くほど気さくな人だ。


「お久しぶりです、テンフラム王子。解呪装置の魔力補填ですか?」


 レイカさんに代わって、今でも数日に一度は神殿を訪れて呪詛の魔法陣無効化装置の魔力補填をしてくれているそうだ。


 これまで毎日同じ神殿に通いながら、顔を合わせたことはなかった。


「ああ、それとな。今日はお前とちょっと話そうと思って。大体この時間に来るとフォーラス神官から聞いてたからな。」


 これには驚いて姿勢を正した。


「何かありましたか?」


 テンフラム王子が自分に用など何のことか全く思いつかない。


「ああ、ちょっとした世話話だか、フォーラス神官が部屋を貸してくれたからな。コルちゃんの散歩が終わったら、フォーラス神官の部屋まで来てくれるか?」


 何か歯切れの悪い反応が返って来たが、フォーラスさんから部屋を借りる程となれば、何か内密の話でもあるのだろう。


「分かりました。では、散歩が終わったら伺います。」


 頭を下げてそう答えると、テンフラム王子は頷き返して中庭から神殿内に入って行った。


 首を傾げながら散歩し始めるが、テンフラム王子の用事のことを考えていて少し上の空だったのかもしれない。


 コルちゃんはいつもよりも早く散歩を切り上げて寝床の用意された部屋に行ってしまった。

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