384
フォッドの街を出発して数時間、丁度昼休憩を入れようと避けた街道傍で、例の魔物を見掛けたのだそうです。
「腹部は赤と黒の何かの紋章が浮かび上がりそうな模様をしていましたが、巣作りにお忙しそうでね。じっとしていてくれなかったので、ゆっくりとは観察出来ませんでしたよ。」
そんなことを言いながら朗らかに笑う非常に無害そうな援助隊員と馬車と馬上で会話する道中は、平和そのものです。
フォッドを出たところで、魔物対策として援助隊が聖女様の護衛強化を申し出たのを断れず、仕方なく受け入れたのが、馬上の彼ファラルさん始め数名の援助隊員さんでした。
「ゆっくりとか、絶対お目に掛かりたくないんですけど。絶対気持ち悪いじゃないですか。ねぇ、聖女様?」
ニーニアさんに同意を求めると、ちょっと緊張した顔のニーニアさんが黙って頷き返してくれました。
「それはそうでしょうとも。そもそも虫の身体にパッと目立つ毒々しいような模様が付いているのは、外敵から身を守る為なのだそうですからな。」
モルデンさんもそう口を挟んで、馬車内の女性陣の顔が更に引きつります。
「それが、蜘蛛の子を散らすようにワラワラ出て来たら、トラウマになりそう。」
子蜘蛛が生まれる前に是非とも撤去処分してしまいたいですね。
「生まれたての子蜘蛛と言えども手の平サイズはありますからね。こんな街道傍に生息されるのも困るでしょう? 確実に仕留めますからご安心を。」
言ったファラルさんはこれまた良い笑顔で力強く請け負ってくれました。
ファラルさんはお年は30過ぎくらいでしょうか、援助隊の副隊長さんなのだそうです。
先日キースカルク侯爵と話していた隊長さんの下にファラルさんともう1人副隊長さんが居て、聖女様のニーニアさんに絡んで来たのと、ウチのライアットさんを勝手に勧誘してくれたのが、そのもう1人の副隊長さんだということでした。
だからこのファラルさんは信用出来るかというと、そうではなさそうなところが困ったものです。
が、これからカダルシウスを出るという段階でこうなった以上、援助隊の支援はこちらの一行にはなくてはならないものになります。
それなら、今のところ、よりマシな人と仲良くしておいた方が得策でしょう。
「カディ殿は、虫嫌いですか。それはエダンミールに入ってからも我々の活躍の場があるかもしれませんね。虫型の魔物は大抵が魔力を持っているだけで無害なモノが多いのですが、サイズは通常より遥かに大きいですからね。」
「・・・それは、漏れなく悲鳴ですね。ちょっと田舎の山奥とかで街中より大きな虫を見るだけで、ゾッとしますから。」
クスクス笑ってくれるファラルさんですが、間違いなく面白がっているようですね。
そんな和やかな会話を交わしつつ、あっという間に時は過ぎて、昼休憩になりました。
昨日通り掛かった場所よりやや手前だと聞いた馬車待避スペースに停めた馬車から降りると、援助隊やキースカルク侯爵の私兵の皆さんが周辺探索に向かうのが見えました。
ハイドナーがフルスピードで昼食の準備を始めるのを手を出せずに見守りつつ、ニーニアさんの側に待機していると、軽く周辺を見て回って戻って来たバンフィードさんがこちらに向かって来ます。
「カディ様を、お守りするのは、私の役目です。」
突然何を言い出すのかと目を瞬かせつつ聞き入っていると、バンフィードさんが微妙にムッとした表情で顔を近付けて来ました。
「あんな得体の知れない者と親しくお話しになって、あまつさえお守りしますと言わせるなど。」
えっと、高速瞬きを繰り返していると、不意と顔を横向けたバンフィードさんが少しだけ拗ねたような顔をしていました。
「あ?え? どういう面倒くさい焼きもちの焼き方? てゆうか、援助隊とは後何日も一緒に進むことになるんだから、大丈夫そうなパイプは作っとくべきでしょ?」
呆れ半分でそう返しておくと、それでも納得したくない様子のバンフィードさんがムスッとしたままチラッとこちらを見ました。
「随分と楽しそうにお話しでしたから。我々相手とは違って。」
何でしょう、物凄く面倒くさいんですが、アルティミアさん回収に来てくれないでしょうか?
「まあそれは、貴方と違って、ドサクサ紛れに手握って来ないですし。まずそういう警戒は必要ないでしょ? それから、あの方完全に向こう側の人だから、後から何があってどうなろうとも、お互い割り切って後腐れなくやり合えそうだなと。」
「・・・後腐れなくって、カディ様そういう不誠実なお方だったのですか?」
少しだけじっとりした目を向けてきつつ、いつも通り曲解してくれるバンフィードさんには溜息しか出ません。
「もーいーです。バンフィードさんにかかると、私は想い人追い掛けてるのにつまみ食いしてる不誠実な人間に見えるみたいなので。」
こちらもムッとしつつ返すと、バンフィードさんが小さく肩を竦めたようでした。
「バンフィード、そのくらいにして差し上げろ。無自覚なんだ。しかも、お前の重たい愛の尺度で測るな。対象はお前じゃないんだからな?」
そんな何処から見ても微妙過ぎるツッコミをくれるリーベンさんもリーベンさんですが、最近周りの皆様をヤキモキさせている何かがあるみたいです。
それについて何故か言及を避けられているので、中身は分かりませんが、知らない方が精神衛生上良いことって沢山ありますよね?
そこは頑張らずに流しておこうと思います。
少し落ち着かない雰囲気のまま昼食を終えたところで、キースカルク侯爵と援助隊長がこちらに向かって来るのが見えました。
「聖女様、ご心配をお掛けしました。」
晴れやかな顔付きでニーニアさんに報告を始めた援助隊長さんは、随分とご機嫌な様子です。
話を抜粋すると、巨大蜘蛛の魔物は、昨日見掛けた場所の側に偶々潜んでいた虫や小動物を捕食する食虫植物な魔物さんに捕食され、消化途中の足の先が見えた状態で発見されたそうです。
子蜘蛛も取りこぼしなく餌袋に収納されていたようで、脅威は去ったと報告してくれました。
が、食べたほうの食虫植物、これの方が怖いのでは?と戦慄していると、遅れて報告の場に出て来たファラルさんが、その食虫植物ごと魔法の使える者が協力して燃やし尽くして来たと追加報告をくれました。
その際、何故かこちらをチラッと見て目配せするように笑顔を向けて来たのには、ちょっと腰が引けました。
そんなに色々顔に出ていたでしょうか?
この援助隊長詰めが甘過ぎ、無能では?とか。
「焼却後の火の後始末も水魔法でしっかり行って参りましたので、もうご心配には及びませんよ? ね、隊長。」
そこで隊長を持ち上げて場を綺麗に収めてしまう辺り、ファラルさんがこの援助隊を裏で纏めて来たのがはっきり分かるシーンでしたね。
「左様左様。もうご心配には及びませんぞ、聖女殿。」
言いながらニーニアさんを舐めるような目付きで見る援助隊長、後でどうにかしてやろうかと密かに企んでしまいたくなります。
「では、休憩後予定通り国境の街目指して進みますので。」
そう最後の一言を残してキースカルク侯爵と援助隊長が去って行くと、ファラルさんがこちらに向かって来ました。
「カディ殿。差し入れです。」
言って手渡して来たのは、何かの木の実のようです。
手の平で握り込めるサイズの真っ赤な果実ですが、皮は薄くつるんとしています。
プラムに近いような形状ですが、微かに香る香りからもっと糖度が高そうな雰囲気です。
「何ですか?これ。」
思わず素で問い返してしまうと、周りで微かに息を呑む声が聞こえて失敗を悟りました。
「ランジ。見たことがありませんでしたか? 皮を剥いたものしかご存知ないなら、カディ殿は相当なお嬢さんだな。」
そう誤解してくれたファラルさんにはホッとしましたが、もしかしたらこちらの正体を確かめる為のカマかけだったかもしれません。
「先程、魔物退治を終えたところで、側にランジの木があることに気付きましてね。食べ頃はこの一つだけだったので、まだ成長期のカディ殿に差し上げようと。」
「・・・成長期は終わってますよ?多分。これでも19なので。」
微妙にムッとした口調で返すと、ファラルさんは驚いたように目を見張りました。
「あっと、これは失礼を。随分可愛らしくていらっしゃるので。」
それは、身長がでしょうか?顔立ちがでしょうか?
問いただしたい気もしましたが、消せないダメージを負いそうなので、やめておくことにしました。
「でも子供に見えた訳ではありませんよ? 16歳くらいなら、まだ背も伸びるかもしれないと。年相応の可愛らしい顔立ちの割に落ち着いた性格の方だとは思っていましたから。」
焦ったのか、言い訳を垂れ流し始めたファラルさんですが、その全てが痛いかもしれません。
と、唐突にぐいっと後ろに身を引かれてバンフィードさんに抱え込まれました。
「ご本人は酷く気にされているようなので、そろそろやめて貰えないか? 大体その辺で採ってきたものを勝手に与えないで貰いたい。」
丁寧なのか雑なのか分からない扱いで遮ったバンフィードさんは、これまたいつの間にか手の中のランジを取り上げていました。
「え? 食べてみたかったのに。」
つい溢してしまうと、バンフィードさんには片眉をぴくりと上げられました。
「では、洗って私が齧ってから大丈夫なら。」
「・・・君達は、恋人同士なのか?」
その至極当然のツッコミに、バンフィードさんがギギギと音がしそうな機械的な動きでファラルさんに険しい目を向けました。
「違いますよ。この人、他人との距離の取り方を激しく間違えてるだけで。相思相愛の婚約者が居ますからね。」
冷たく割り込んでおくと、ファラルさんが信じがたそうに目を瞬かせていました。
「バンフィードさん、ランジ返して下さい。それから暑苦しい、離して下さい。」
それに物凄く不本意そうな顔になったバンフィードさんがそれは仕方なさそうに解放してくれて、ランジをそっと差し出した手の中に落としてくれました。
そのランジを見る周りの皆さんの視線がちょっと厳しいです。
「あ、えっと、食べたいですか?」
そう及び腰に聞いてみると、一斉に頷き返されました。
「あの、私、カディさんの前に一口だけ食べたいです!」
サミーラさんの力の入った宣言で、周りの皆さんの意図に気付きました。
毒味ってことですね。
ファラルさんもそれに気付いているのでしょうが、そっと視線を逸らしてくれているのには困ります。
ヤバいです。
多分大丈夫だとは思いますが、こちらの正体彼には完全にバレていますね。
「美味しい天然水生成。」
手を伸ばしてランジの上から水をかけて洗うと、天辺の皮をくいっとむしって、出て来たやはり赤っぽいプラムのような実を小さく齧ります。
「ん、美味しい! これは、食べたことあるかも。刻んだのがデザートのソースに入ってた気がする。」
「そうですね。そんな使い方もされてますよ? 美味しいですか?」
サミーラさんに微笑ましげに問い掛けられて、物凄く恥ずかしい気分になります。
「えっと、はい。独り占めして済みません。」
一先ずそう謝っておくと、サミーラさんには笑みを深くされました。
「良いんですよ? 大丈夫なら、全部食べてしまって下さいね。」
周りも何かホッとした温かな空気になっていますが、隠すの最早やめましたね皆さん。
それはともかくランジですが、プラムよりも繊維質ですがやはり糖度が高く、真ん中に大きな種が入った完熟した生のプルーンのような味でした。
繊維質なのでお通じが良くなるかもしれませんね。
「ご馳走様でした、ファラルさん。」
天然水で手を洗ってからお礼を言うと、ファラルさんにはにこりと微笑み返されました。
「成程これは、餌付けしたくなる可愛さですね。大事にされる訳です。そんな貴女をお連れするのは少々躊躇われますが。」
言って言葉を切ったファラルさんににこりと微笑み返します。
「大丈夫ですよ? ランジの分くらいはお返ししますから。」
「ふふ、ランジの分ですか?」
「ええ、ランジの分だけですけどね。」
そんなやり取りを笑顔で交わすファラルさんとこちらを、リーベンさんが何かうんざりしたような顔で見ているのは気の所為だと思うことにしようと思います。




