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朝から王都待機の隊に混ざって訓練に参加して、神殿にコルちゃんのお世話に出掛けて、昼下がり散歩が終わってから王城に戻って、大抵王宮図書館で調べ物の後シルヴェイン王子の離宮でランフォード補佐官に業務報告してから宿舎に戻る。
休暇後にそんな日常が戻って来ると、やはり何か物足りないような良く分からない焦りのようなものに気持ちが引っ張られてしまう。
図書館で、折角だからと魔物についての知識を増やそうと関連の書物を読み漁った後、第二王子の離宮に向かう途中で、意外な人物と行き合った。
道の傍に避けて頭を下げて通って貰おうとしていると、その人物は丁度目の前に来たところで足を止めたようだ。
「第二騎士団所属のケインズくん、で良かったかな?」
まさか声を掛けられるとは思ってもいなくて、驚きに返事が遅れてしまった。
「あ、はい。ケインズです。」
「先日は、我が愚息共が突然失礼した。良ければこれから少し話せるだろうか?」
その上にこのお誘いには驚いて、返事もせずに顔を上げてしまった。
財務次官のランバスティス伯爵、レイカさんの父上だ。
いや、だった人ということになるのだろう。
「あの、私に何かご用が?」
確かに先日、彼の子息2人から驚くような提案を受けて、一も二もなくお断りしたのだった。
それを無礼と咎められるのなら、甘んじて受け入れるしかない。
それが、貴族から見た我々平民というものだ。
「レイカが、いやレイカ殿下が君には随分とお世話になっていたようだ。少し話してみたくなってね。息子達が君の機嫌を損ねてしまったようで、少し落ち込んでいたからね。このままにしては、お戻りのレイカ殿下にも怒られてしまいそうだ。」
随分と柔らかく優しい言葉をくれたランバスティス伯爵だが、本来の財務次官のこの人は、とにかく厳しくてやり手だと有名だ。
厳しい表情で仕事をする彼を遠目にしか見た事のない身としては、非常に困惑する状況だった。
とはいえ、断ることなど出来る訳がない。
「はい。私で良ければお供致します。」
「ふむ。ケインズくん、今の私は財務次官でもランバスティス伯爵でもなく、ただのレイカの元父親だ。そう思って話を聞いてくれて良い。言葉遣いも取り繕わなくて構わない。」
そんな破格の申し出があって、逆に何か追い詰められているような気がして来た。
「あ、はい。」
それでもやはり逆らえず筈が無く。
ゆっくりと歩き出した伯爵に合わせて隣を歩くことになった。
「先日の息子達の勝手で一方的な申し出は本当に申し訳なかった。君を困惑させて、上から押さえつけるような失礼極まりない申し出だったと息子達も大いに反省している。どうぞ許してやって欲しい。話も忘れて水に流してくれて良い。」
つまり、先日の養子云々の申し出はランバスティス伯爵の意向ではなかったということだ。
結果としてうっかり流されて乗ってしまわなくて良かったということだ。
それは、口を噤むように話をしに来るはずだ。
漸く、ランバスティス伯爵自身がここに訪ねて来た理由が分かった。
「その上で、少しだけ話を聞いてくれるかな?」
そう続いた伯爵の言葉に、黙って頷き返す。
ここは迂闊な事は何も口にするべきではないだろう。
「今上の方ではレイカ殿下のこれからの事が色々と話されていてね。」
そう言ってチラリとこちらを見た伯爵は、こちらの反応をしっかり確認しているようだ。
表情を変えないように気を付けながらこれにも淡々と頷き返す。
「適齢期の殿下の結婚相手から、王子殿下お二人は完全に外れている。王女殿下になられた時点で上の方ではそのように決まっていたようだ。」
これには驚いて思わず目を見張ってしまった。
それに気付いた伯爵は、少しだけ目を細めて表情を和らげたように見えた。
「勿論、レイカ殿下自身には今のところ結婚の話は匂わせていないし、王子殿下とのことも言及していない。」
それは、レイカさんが後で大いに傷付くことになるのではないだろうか。
「という訳で上は、レイカ殿下のお相手を密かに貴族子息から選定し始めておられる。」
どくりと心臓が鳴る音を聞いたような気がした。
「勿論、誰でも良い訳ではなく、年齢や素行、そして何より相手がたの家がレイカ殿下を守れる力を持っている上、王家に忠実である事も重要視されている。」
「・・・それは、レイカ殿下の気持ちを汲まれるおつもりはないということでしょうか?」
決して口を挟むつもりはなかったのに、黙っていられずに口から滑り出していた。
そこで、伯爵は小さく溜息を漏らしたようだった。
「勿論、完全に気持ちを無視したやり方をレイカ殿下が受け入れる筈はないと分かっているが、あの方は危ういのだ。王女として未婚で放っておくことで他国の者に心を傾けたり、今回のように自由に飛び出して行かれては困る。それくらいなら、出会いから全てお膳立てした上でお相手に決まった者には少々強引にでも口説き落とすように命が下る筈だ。」
余りのことに思わず拳を握りしめて立ち止まってしまった。
それに、伯爵も足を止めてこちらをゆっくりと振り返った。
「レイカ殿下は、結婚されても王女のご身分のままで離宮から出られることはない。お相手が離宮に住むことになる。そもそも王家の血筋ではないレイカ殿下には絶対に子孫を残して頂く必要はないのだから、ご結婚の事実があれば良い。」
「待って下さい! それは、レイカさんを、飼い殺すってことですか?」
流石に言葉を取り繕うことも出来なかった。
それに伯爵が、何かを堪えるような寂しげな表情を見せた。
「知らなかっただろうが、各国の寵児への扱いは、実はそのようなものなのだそうだ。王太子殿下と結婚されることが決まったマユリ様は幸運だ。恐らく普通に幸せを得られるだろう。レイカももしかしたらシルヴェイン王子殿下との婚約がせめて正式に整っていれば、こうならずに済んだのかもしれない。」
「だから、シルヴェイン王子や周りの人達はレイカさんとの仲を取り持とうとしていたのですか?」
握り締めた拳の内側で、長くない爪がそれでも皮膚に食い込みそうになっている。
「いや、シルヴェイン王子殿下自身も周りの者達も、そこまでのことだとは知らなかった筈だ。私も、レイカが王女になって今回旅立ってから、漸くそういうものだと知らされた。」
だから、ランバスティス伯爵家の2人の子息がいきなりあんな話をして来たのだと漸く思い至った。
「これを話して君に具体的に何かを強要するつもりはない。だが君は、これからもレイカの友人では居てくれるのだろう? ならばいつか、レイカが抱え切れないような想いに苦しむことになった時に、友人として支えてやってくれないだろうか。子の父としての細やかな願いだ。」
真面目な声音になった伯爵は、最後に真っ直ぐこちらを見つめ返して来た。
「済みません。考えが纏まらなくて、今はまだ上手く受け止められそうにないです。少し色々考えさせて下さい。」
そう答えるのがやっとだった。
「・・・そうだろうな。だが、君は誠実な人柄だと聞いている。この際友人としてで良い。あの子のことを頼みたい。」
それに、黙って一つだけ頷き返すことしか出来なかった。




