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沼地を抜け出して、まばらに草が生えた硬い地面を走り出すと、馬車の中が漸くホッとしたような雰囲気に包まれた。
「いっくら坊ちゃん達の実力を測る為とはいえ、沼地抜ける道は二度とごめんだな。」
沼トカゲ討伐の間は姿見えなかったラチットだが、馬車の出発時には合流してきた。
隠す事なく諜報部の人間だと名乗ったラチットは、方法は不明だが毎日町などに入ると何らかの情報のやり取りをしているようだ。
「あらそう? 道中の宿泊費安く上がるし、他の道選ぶよりも少しだけ早く王都に着けるわよ?」
ミーアが大して気にした風もなくそう返していて、ラチットは苦笑いだ。
「まあ、雑音なく仕事が出来るのだけは良いんだけどな。」
「ほら、良い事づくしじゃない。」
すかさずそう話を終わらせようとするミーアにラチットは諦めの顔になったようだ。
「はいはい。今回はちょっと面白い話拾えたからな。それで良いって事にしますよ〜。」
そう言って意味ありげににやりと笑ったラチットは、チラッとこちらに一瞥をくれた。
「坊ちゃんの出身国は、メルビアスかカダルシウスに絞り込めたんだけどな。もしもカダルシウスだったら、ちょっと興味あるかもな。」
わざわざそんなことを言ってくるラチットには若干イラッと来るものを感じつつも肩を竦めて流すだけにしておく。
「失敗作の魔王の器ちゃん。最後に残った仕掛けで誘き寄せられたら、回収するんだって。」
「・・・えっ? それはマズイんじゃないの? その子カダルシウス王家がかなり手堅く囲い込んだらしいじゃない。下手すると国際問題でしょ。」
その思いっ切り不穏なその会話には、顔色を変えずにいるのに苦労した。
「そうだよなぁ。バレたら、王女様だからね。戦争勃発かも。」
「“饗宴”潰して後ろの王族が首差し出すくらいしなきゃ許されないんじゃない?」
何事もないように続く話に、チラッと見たパドナ公女の顔が引きつり始めている。
「そ、バレたらね。だから本体ごとの回収は諦めて、魔力と生体データの回収が目的なんだと。」
「ええ? それ、本体は無事には済まないでしょ?」
思わず握り締めていた馬車のへりが軋むような音を立てかけた。
「そうそう。だからバラしてそれと分からないように回収を企んでる訳だよ。今回その器ちゃんにかなり煮湯を飲まされての失敗だったみたいでね。“饗宴”の幹部もお冠なんだと。」
流石に黙っていられずに、身を乗り出してしまった。
「バラしてって、人1人殺すつもりなのか?」
それでもなるべく抑えて問い掛けると、ラチットが口の端でにやりと笑ってこちらを見返して来た。
「“饗宴”は、切り貼り実験大好きだからな。魔王信者団体の中でも過激だって言われてる思想主義の中で今一番力があるとこだ。それに“揺り籠”が一時的にとはいえ手を貸してたとなったら、普通なら失敗する筈なんかなかったんだ。それを崩した魔王の器ちゃんはかなり出来る子だったってことだ。カダルシウスも上手く切札として育てたもんだよ。」
そんな風にレイカを見られるのは、堪らなく不快感がある。
それに、カダルシウスはレイカを利用する為に育てた訳ではない。
「さあて、シルくんは祖国の誰かに知らせるかい? まあ、今更手遅れだと思うけどね。」
相変わらずカマをかけて来るラチットに気持ちを鎮めようと努める。
「そんな気持ちがあるくらいなら、今ここに居ないだろ。」
「ほぉ、つまりカダルシウス出身は当たり? でも、新しい王女様には興味なし。祖国を振り返る気はないと。」
微妙な顔付きで分析し続けるラチットに、舌打ちしたいのを我慢しながら冷たい表情を崩さないように心掛ける。
「好きに言ってろ。」
吐き出すようにそう告げて終わらせたが、今更だと言ったラチットの言葉が、本当は胸に刺さるようだ。
レイカのことだからそう簡単に敵の手に掛かりはしないだろうと思うし、彼女の周りには様々な守り手が存在する。
その全てを出し抜くことは、魔王信者どもでは難しいに違いない。
第一今の王都は様々な捜査が至る所で行われている状態だ。
その中で残った仕掛けにレイカを誘き寄せることなど不可能に近いのではないだろうか。
「話変わって“揺り籠”は、呪部の隠蔽を始めたらしいね。ファデラート大神殿がカダルシウスの分神殿と連携して呪詛の構造分析を始めたから、出処が割れるのも時間の問題って話になってるらしい。」
「今はマルキス大神官だったかしら? 若い見た目のまま何十年生きてるか分からない歴代の大神官達。大神殿だって、色々闇が深そうなのにね。こちらを叩いて痛くもない腹を探られることにならなければいいけれどね。」
そんな皮肉に入って行った話題を聞き流しつつ、さり気なく投げて来る案じるようなクイズナーの視線と、パドナ公女とフィーも気遣わしげな顔をしている。
本音を言えば、今すぐカダルシウスに引き返して、レイカに逆恨みして不穏なことを企んでいる魔王信者共を片っ端から始末してやりたい。
この際兄としてでも良いから、抱き締めて腕の中に隠して守ってやりたい。
だが、今は目先の欲より未来を見据えて頑張る時だ。
どうか無事でいて欲しいと、以前と同じく祈ることしか出来ない自分が堪らなく不甲斐なく感じた。
「さて、それじゃ。シルくん達には、そろそろウチに入る覚悟の程を見せて貰おうかしらね?」
その流れでそんなことを言い出したミーアに、思わず警戒の目を向けてしまった。
「ヘ〜、もう始めるんだぁ。」
ラチットがその真面目な空気を混ぜっ返すように口を挟むが、その目が笑っていないことに気付いた。
「そりゃそうでしょ。明日の午後には王都に着いちゃうからね。」
「そして、わざわざテストですって教えてやるの? 随分お優しいねぇ、姐さん。」
真顔になった2人が一瞬だけ睨み合ったようだ。
「使えるものは使える内に使わなきゃ損でしょ? 今はね、出遅れちゃいけない好機なのよ!」
そう返してから、ミーアがこちらに目を向けて来た。
「選ばせてあげる。今夜泊まる街に潜伏してる第三王子の手の者を捕まえるか、ファデラート大神殿が寄越した神殿の調査員を攫うか。どちらが良い?」
とんでもないことを言い出したミーアだが、それが出来る実力があると評価されたのだろう。
そして、その程度が出来なくては王都では使いものにならないということだ。
魔王信者の本部なら、こんな汚れ仕事も日常的にあるのだろうと覚悟はしていたが、これに手を貸すのはやはり気乗りがしなかった。
「捕まえた奴らはどうなる?」
それを聞いてもどう出来る訳ではないと分かっていたが、問わずにはいられなかった。
「さあ。一先ずは生きて連れて行くけど、後は本部でどう扱われるかでしょうね。彼ら自身の価値と上が何を望んで何を動かすつもりかによるんじゃないかしら?」
彼らは紛うことなく魔王信者だ。
忘れていた訳でもないのに、普通に数日を一緒に過ごしたからか、彼らの特異性が意識から抜けかけていた。
魔法至上主義の彼らは、余人とはものの考え方が違う。
命の尊厳など説いてみたところで意にも介さない者達なのだ。
「成功率が高い方で。街に着いたらミーアが選んでくれたら良い。」
そう返したこちらに、ミーアとラチットは少しだけ驚いた顔になった。




