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「シルくんあーん。」
横からパンを一切れ口元に近付けて来るミーアに、顔が引きつる。
「止めろ。自分で食べる。」
思わず温度のない口調で返してパンを取り上げてしまうと、ミーアが途端に拗ねたように口を尖らせた。
味気ない硬めのパンに殆ど具のないスープ、沼トカゲ肉のピリ辛炒め。
沼地を抜けた後に辿り着いた小さな町には宿が2軒しかなかった。
その良い方の宿の食事がこれだ。
元より旅の間の食事ならこれでも豪華なほうだと分かっている。
不満がある訳ではないが、ふとこの食事を前にしたら先程のミーアのように口を尖らせて文句を言いそうな彼女のことが頭を過った。
彼女レイカなら、この味気ないパンを火魔法で炙りたいと言い出すだろうか。
そう想像してみると、思わず目を細めて口元が緩んでしまう程、幸せな気持ちが湧いた。
という訳で、パンをフォークに刺して、指先に小さな小さな炎を灯した。
「シル?」
クイズナーの怪訝そうな声を聞き流しながら、フォークの先を慎重にその炎に近付ける。
ヌラリと炎の先がパンを包むが、焼き加減がよく分からない。
「難しいものだな。火力が弱いのか?」
思わず溢れた言葉に同じテーブルの皆の視線が集まる。
「・・・何してるの?」
呆れたような声がパドナ公女から上がる。
「はあ。シル、彼女のはもう少し凝縮された出力強めの炎でしたよ。突然そんなことを始めるくらい恋しいなら、あんな置いて行き方をなさらなければ良かったのではありませんか?」
クイズナーからかなり辛口の言葉が掛かって、レイカのことに関してはやはり未だに怒っているようだ。
「仕方がない。」
「えー何々? シルくんの彼女ってパンを燃やして食べる人なの? ・・・変わってるわね。」
ミーアの微妙に引き気味な感想には若干むっとしてしまう。
とそこへ、パドナが身を乗り出して来た。
「あー、彼女ね。面白い人よね? でも、凄く良い子だと思う。お人好しというか面倒見が良いというか。私には真っ直ぐにお兄様を案じてばかりいたように見えたわよ?」
その言葉にはグッと来る。
「でも、火力を上げてパンを燃やすって、食事マナーとしては微妙じゃないのか?」
首を傾げながら言うラチットは、腑に落ちないような顔になっている。
「あれは、燃やしてるんじゃなくて、炙ってるんだそうだ。表面に少しだけ焦げ目を付けて水分を飛ばすらしい。確かに、食べるとパリッとしていて食感は良い。味もパサつくパンでもじんわりと甘みを感じて悪くなかった。」
「ただ、許可なく取り上げて食べた所為で、かなり怒っていたと聞きましたが?」
クイズナーの冷たいツッコミにそんなこともあったと苦い笑みが浮かぶ。
「そ、そうだな。まああの時は色々と、それどころではなかったのだ。後できちんと埋め合わせはしたぞ?」
「では今度、何処か美味しい店のお食事に誘ってみては? まあ、来てくれれば良いですが。」
相変わらずの辛口には、少しだけじっとりした目を向けてしまう。
「そんなに怒るな。帰ったら土下座してでも謝って許して貰うつもりだ。」
「・・・そんな簡単に事が運ぶなら、あの方のお守りも楽だったでしょうね。」
「あ、分かるわそれ。いつも予想の斜め上だものね。それがまあ、スカッとして良いんだけれどね。」
何処か楽しげに言うパドナ公女には、何か無性に羨ましいような気持ちになる。
「ふ〜ん。シルくんの彼女ちゃん像は今一つ分からないけど。シルくんがベタ惚れだってことは分かったわ。面白くないくらいね。」
ミーアのその微妙な感想には首を傾げるばかりだ。
「ミーアは俺に何を望んでるんだ?」
半眼で問い返してしまうと、ミーアは途端ににやりといつもの面白がるような顔を向けて来た。
「シルくんはね、魔法を使い慣れてるし統率力もある。元の場所を出て来た理由が分からないくらいにね。周りに相当止められたでしょう? 特に、その彼女ちゃんよ。泣かせてまで置いて来て、この国で成り上がりたい? 具体的な野望も語らないシルくんの話は正直怪しいことこの上ないのよね。」
確かに、ミーアに意図せずに見せてしまったところも合わせると、目的の見えない怪しい人物そのものだろう。
「それじゃこれから、大胆予測行ってみようか?」
ラチットもこれに乗っかりだした。
「世の中に訳あり没落貴族なんて生き物は山程居るもんだ。が、あんたはそうじゃない。陥れられてってのは本当かもしれないが、元の居場所がなくなった訳でも嫌になった訳でもなさそうだ。何かを恨んでる風でもない。目的を持ってこの国に入り込んだ。魔王信者に取り入ることが目的か、隠れ蓑にする為に利用しようとしてるのか。」
情報収集を役割としている魔王信者だというのは伊達ではないらしい。
なかなかに鋭い洞察力だ。
これは彼が真相に辿り着くまでそれ程時間を稼げないかもしれない。
「ラチット、今から追い詰めないの。私はシルくん達を王都まで連れてくって決めてるんだから。」
「確かに、怪しかろうが何だろうが、美味しい人材だよな。さて、どっちが利用し、利用される側になるのか。まあ俺としても楽しくなってきたけどな。」
そんな不穏な会話を目の前で繰り広げてくれる2人には全く気を許す訳にはいかないが、こちらも渡りに船だと思うしかない。
「ところで、何か面白い話は?」
ここで唐突に話題を変えて来たミーアに、ラチットもにやりと笑い返している。
「ファデラート大神殿が動き出したらしい。遂に、呪詛の出処を辿り始めたらしいが、呪部を抱えるとこがどう対処するのか見ものだな。」
ファデラート大神殿の現在の大神官マルキスとレイカ達は、前回の旅でその大神官と随分と親交を深めたのだという。
マルキス大神官とレイカには特別なパイプが出来たのだと報告したクイズナーは、微妙な顔付きでレイカに付く魔人の存在について語った。
そもそもその魔人が、マルキス大神官と知り合いらしく、いざとなれば大神官を味方に付けられる程の仲らしいとのことだった。
魔人のことについては、レイカも大神官も詳しくは語らず、また語れない類の話なのだそうだ。
神々の寵児は、神殿所属と決まってはいないが、切っても切れない縁が残るものなのだと聞いた事がある。
レイカについては、そんなことにならないように、つまり神殿にレイカが取り込まれるような事がないようにとクイズナーを彼女に付けて送り出したのだ。
「あ、それと。カダルシウスから脱出中の“饗宴”の幹部が、最後の一旗を挙げる気でいるらしい。ま、それくらいやらなきゃ、逃げ帰っても後がないんだろうな。お気の毒様。」
「ふふ、それどっちに対して?」
「“饗宴”の現地入りした幹部なら、相当な実力者だろ? 差し違えても結果を残すかも。でも、予想外にカダルシウスが阿呆じゃなかったみたいだから、返り討ちに遭う可能性もまあちょっとはあるかなぁ。」
「ま、趣味の悪い、楽しんじゃって。」
「あれ? 姐さん自分だけ良い子のフリですか?」
そんな不穏な会話に誰も口を挟めずに静かに聞いていたが、こちらとしては、やはり首根っこを掴んで洗いざらい全て吐かせてしまいたい衝動に駆られる。
残して来た部下達を信じるしかないが、知れば知るほど、何故もっと早くにエダンミールや魔王信者達の企みに気付かなかったのかと悔やまれる。
これを機に、エダンミールがどんな危ない国家なのかしっかりと見聞きしてきたいと気持ちを新たにした。




