364
「ケインズ殿。ご苦労様です。」
神殿中庭でコルちゃんの散歩を終えて帰ろうとしたところを、フォーラスさんに呼び止められた。
「ああ、フォーラスさんお久しぶりです。」
ラフィツリタで別れてからお互いに忙しくしている内に、ファデラート大神殿行きの旅仲間とはそれきりになっている人が殆どだ。
「レイカ殿が聖獣様を置いて行くとは意外でしたが、お陰様で例の呪詛は殆どが解呪を終えたようですよ。」
神殿に残ると主張したコルちゃんは、自主的に解呪を行う部屋に顔を出すようになって、手伝ってくれているのだそうだ。
その現場は、流石に神官でも神殿関係者でもない身では見学出来ないが、神官からそんな話を聞いている。
「それは良かったです。コルちゃんは賢いですから、自分の役割を分かっていてここに残ったんでしょうね。」
「ええ。それに、旅の間は色々と困った方だと思う事もありましたが、レイカ殿はやはり神が我々に遣わされた聖女様で間違いありませんでしたな。聖獣様にこの場を任せて次に向かわれたのだと今なら理解出来ます。感謝と共に、あの方の次の旅の安全を祈るばかりです。」
そんなことを真摯な顔付きで言うフォーラスさんには少しだけほろ苦い笑みが浮かびました。
「そうですね。レイカさんは、ある意味不器用な人だなと思うんです。あれだけのことをしたのだから、今だってこのまま王都で賞賛を向けられて受け取るだけの生活をしていても許される立場なのに、次を見付けて行ってしまうんだからな。」
「おやおや、ケインズ殿はもうあの方を諦めてしまわれたんですか? 私は、あんな方だからこそ、ケインズ殿のようなしっかり地に足を付けたような堅実な方がお似合いではないかと思っていましたが? まあ、王家の姫になってしまわれましたから、難しくはあるでしょうが。」
肩を竦めてそれでも優しい声音で言ってくれるフォーラスさんに、これまた苦い笑みを返してしまいました。
「旅の始めから終わりまで、そして今もずっと、レイカさんの心には殿下がいるんです。それなのに、殿下を想って一途なレイカさんも綺麗だなって思うんですよ。だから、これは恋愛感情ではそもそもないんじゃないかって思えて来て。気持ちを一度すっと引いてみたら、凄く楽になって。」
そう正直に口にしてみると、フォーラスさんには温かい目を向けられました。
「まあ、慌てずにゆっくり結論を出した方が良い事も世の中にはありますからね。恋愛経験は私も潤沢ではありませんが、何か話したくなったらいつでもお聞きしますから、訪ねて来て下さい。ケインズ殿ならいつでも歓迎します。」
「ありがとうございます。」
温かい言葉に頭を下げて、神殿を辞すことにする。
秋に向かって行く季節の気温の下がり始めた夕暮れの街を王城内の第二騎士団宿舎に向かって戻り出す。
これまで生きて来た中で、一番ゆっくりと流れる時間を感じる日々だ。
王城の関係者通用門を、こんなに狭い門だったかと思いながら潜って、いつかも見たような光景が目に入った。
第二騎士団の兵舎食堂の料理人見習いの女の子が、業者から食材を受け取って何か軽く話をしてから歩いていく。
業者は前の男とは違うようだ。
レイナードだった頃レイカさんが指摘した持ちにくそうな袋ではなく、詰め込み方が工夫されているのか、袋は袋でも持って歩く時の女の子の足取りがしっかりしていて足運びも軽やかに見える。
これも、間違いなくレイカさんのお陰だろう。
そんなことを考えながら何となく後を追って歩いていると、食堂への分かれ道のところで、女の子が立ち止まってこちらを振り返った。
「あの・・・」
躊躇いがちに話し掛けて来た女の子にこちらも足を緩める。
「どうかしたのか?」
確か名前はエスティルと言ったはずだ。
「ケインズ様。その、王女様はお元気でいらっしゃいますでしょうか?」
レイナードだった頃からレイカさんになってからも、エスティルはそれなりにしっかり関わりがあったから、レイカさんを案じているのだろう。
「ああ、うん。俺も王女殿下になられてからは数回会ったきりなんだけど、お元気だったよ。」
「そうですか。良かったです。きっとお忙しくしてらっしゃるんですよね? もうお会い出来ることはないかもしれないけど、最後に改めてお礼だけでも言いたかったなって。」
エスティルは、レイカさんが雲の上の人になって、この城の何処か奥まった場所で今も暮らしていると思っているのだろう。
それもその筈で、今その王女殿下がエダンミールに向かっている事は、王城内でもほんの一握りの人達しか知らない機密事項だ。
「そうだよな。俺もそうそう話し掛けることも出来ない人になってしまったけど、もしも機会があったらエスティルのこと、伝えておくな。」
エスティルはそれに嬉しそうに頷き返して、食堂に向かって行った。
その後ろ姿をしばらく見守ってから、自分も宿舎の方へ足を向けた。
玄関を潜って入ったところで、今回王都に居残りの第四隊の先輩騎士がこちらに駆け寄って来た。
「ケインズ! お客様だぞ? その、レイカルディナ殿下の元お身内の。」
何処か慌てたようにだが声を落として話す先輩騎士に、こちらも顔が軽く引きつる。
「あ、済みません。直ぐに行きます。」
そう先輩騎士に答えてから、足早に応接室に向かう。
ノックしてから入った応接室内には、何か微妙な空気が漂っていた。
「お待たせしまして、済みません。」
見渡した応接室には、旅を共にしたコルステアくんの他に、その婚約者のロザリーナさん、お兄さんのイオラートさん、そしてイオラートさんの婚約者で王弟殿下のお姫様のノイシュレーネ様が座っていた。
もっと口調を取り繕うべきだったかもしれないと思ったところで、コルステアくんに手招きされた。
「ケインズ、良いから座って。」
促されておっかなびっくりで指定された椅子に座ると、イオラートさんが身を乗り出して来た。
「ケインズくん、単刀直入に訊こう。君はレイカちゃんが王女殿下になってから、会わせて貰ったかい?」
この問いの意図が分からずに目を瞬かせてしまう。
「レイカ様の周りには、それは厳重に対人規制が掛かっているそうなの。」
そう口を挟んだのは、ノイシュレーネ姫だ。
「わたくしもレイカ様がご出発の前に会わせて貰う予定だったのに、お父様にやっぱりダメだと言われましたのよ?」
不満そうに続けたノイシュレーネ姫は、促すような視線を返して来た。
「あ、はい。一度だけ、聖獣達の散歩途中に偶々行き合って、少しだけ話しました。それと、ご出発の前に神殿で。」
これには、あちらの4人が揃って身を乗り出して来ました。
「そうなんだ。やっぱりおねー様はケインズのことは特別に思ってるってことだよね?」
コルステアくんがそう言って他の3人と顔を見合わせています。
「え? いえ、それ程ではないと。」
第一、あの日自分は完全に失恋を自覚した訳で、レイカさんに特別に思われているとしたら、友人か元同僚か、それともコルちゃん達の世話をしていたからに他ならない。
「うん。ならばやはりこの話を君にしておこう。ケインズくん、我が家の、ランバスティス伯爵家の養子にならないか?」
「・・・はい?」
理解の範疇を超えた話題に、全く脳がついて行かない。
「つまり、ケインズが家の子になるでしょ? それからおねー様と結婚したら良いって言ってるの。我が家なら王女様との縁談も不可能じゃないからね。まあ、直ぐには王家が手放さないだろうけど、国内が落ち着いて守護の要の完全修復が終わったら、本人達が望めば許されると思うんだよね。」
コルステアくんの解説も、言葉が耳の上を滑っていくように入って来ない。
「・・・あの。レイカさんは、俺をそんな風には見てません。それに、俺にも実家があるので、養子の話はお断りします。」
少々硬い表情になってしまったが、これは万が一にもランバスティス伯爵家の人達に希望を持って貰う訳にはいかない話だ。
レイカさんの気持ちが少しでもこちらを向いていると思えたなら、飛び付いていたかもしれないが、それでも実家の両親や弟妹たちを捨てて家を出ることなど、やはり出来なかっただろう。
「そういうお話でしたら、これで失礼致します。」
椅子から立ち上がって深々と頭を下げると、呆気に取られている4人を残して応接室を後にした。




