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「お兄様〜助けて〜!」
街の入り口付近で出発を待つ内に聞こえて来た聞き覚えのある叫び声に、瞬時に逃げ出したい衝動に駆られたが、近付いて来る騒ぎに無視する訳にもいかず、渋々振り返った。
と、ガシッと腕に掴まって来たスーラビダンの衣装のままのメルビアス公女パドナに思いっ切り冷たい目を向けてしまった。
「何で、まだ着替えてないんだ?」
これは間違いなく彼女の作戦の内なのだろうが、余りにも危う過ぎる。
護衛は何をやっていたんだとそちらを思わず睨んでしまったが、涙目の彼には止められなかったのだと瞬時に理解出来てしまった。
「クディ。」
思わず助けを求めてしまうと、小さく溜息を漏らしたクイズナーは諦めたように首を振った。
「これはもう、諦めてお連れするしかありませんね。」
こちらも仕方なく頷き返したところで、こちらに近付いて来たミーアとラチットが目に入った。
「へぇ、隅に置けないね色男くん。昨日半日の間に女の子引っ掛けて来たのかな? その子、色々問題ありそうだけど連れて行くつもり?」
ラチットが揶揄い半分にそう聞いて来るのに、半眼を向ける。
「スーラビダン人に変装してるが、妹だ。」
仕方なく答えたこちらに、ミーアとラチットの凪いだような目が来た。
「・・・似てない兄妹だな。」
ボソッと来たラチットの感想に口元が苦くなる。
「・・・腹違いだ。」
最早このくらいしか言い逃れる術がない。
「そうなのねぇ。で? 一緒に成り上がる訳?」
ミーアの尤もな質問に、思わず顔を覆って呻きたくなってしまったが、この場をどうにか納めるしかない。
「いや。王都観光でもさせて落ち着いたら追い返す。だから悪いが、王都までは一緒に連れて行って貰えないか?」
何故こちらが下手に出なければならないのかという気持ちにもなるが、ここに残して行く方が心残りになるかもしれない。
「・・・そう。まあ、良いけど? で?妹ちゃんは魔法は使えるの?」
その問いにはチラッとパドナ公女を振り返ってしまった。
「私パディです。シル兄様は魔法は得意なんだけど、私は魔力はあるけど魔法はあんまり得意じゃないんです。」
「へぇ、魔力はそこそこあるってことね?」
ミーアがそこに食い付いた理由には、やはりパドナ公女は気付いていないのだろう。
これは、身に危険が降り掛かる前に、さっさと説得して帰すしかないが、彼女のそもそものエダンミール潜入の理由が何なのかによるのだろう。
どちらにしろ、自分達もパドナ公女達も漏れなく虚偽申告の密入国者扱いだ。
身元がバレたら2倍マズいことになる。
「ま、それじゃ、気を取り直して行きましょうかシルくん?」
そうにこりと笑顔で言ったミーアが、次の瞬間無遠慮にこちらの腕を取って絡めて来た。
唐突なその行動に思わず不快気に眉を寄せそうになったが、振り払わずにそのままにしておく。
と、そのミーアがそれを見せ付けるようにパドナ公女をチラッと振り返っていて、どうやらパドナとの関係を確認されたのだと気付いた。
パドナが妹などではなく、実は恋仲だったなら、パドナが不快な顔をするだろうと。
「うわぁ。お兄様、ちょっと顔に自信があるからってそういうの良くないよ? 待たせてる人がいるでしょ?」
ところが、そんな斜め方向な抗議が入って、ミーアは軽く首を傾げたようだった。
だが確かに、今のこれをレイカに見られて誤解でもされたらと思うと、少し不快な気分になるかもしれない。
「言ってろ。お前こそ、こんなとこまで追い掛けて来て、嫁の貰い手がなくなっても知らないぞ?」
「それこそ余計なお世話よ。」
中々息の合った兄妹喧嘩になった気もするが、パドナが本当に不快そうな顔になっているのには驚いた。
レイカは、自分のことをパドナにどう話していたのだろうかと聞いてみたいような気持ちになった。
「ふうん。シルくん、国にやっぱり彼女ちゃんがいるんじゃない。この、浮気者〜。」
ノリでそんな冗談を言い出すミーアにも苦笑しか出てこない。
「腕を組むくらい、貴族社会なら普通にあるからな。何とも思わない。」
そう平然と言い放っておくとミーアにもムッとした顔をされて手を離された。
「シルくん貴方ね。ちょっと女心が分からないって怒られたことはない?」
王子として冷たいと常々言われていたことは確かだ。
だから、付いたあだ名が氷炎の貴公子だか凍火の王子だかだった訳だが、それには自分なりの意図がある。
決まってもいない相手との深い付き合いを避けて、要らぬ誤解を生まない為だった。
自分と兄王太子の後継者争いなどという有りもしない妄想を抱く者達が宮廷に存在したからだ。
元から父王の後継者は第一王子で兄のアーティフォート王太子に決まっていたのに、魔力量が少なめだった兄と明らかに多かった自分を比べて、そんな話が実しやかに囁かれ続けていた。
その所為で、大人になってからは兄とは距離を置いて、政務は極力避けて軍属に収まっていたが、それでもいつまでもそんな噂が付き纏った。
だから、突然舞い降りた神々の寵児マユリのことも慎重に避けて関わらないように注意を払っていたのだ。
というのに、レイカのことは始めに部下になったレイナードとして懐に入れてしまったからか、厄介なことになると分かっていたのに遠ざけられなかった。
その内に、どんどん目が離せなくなって、愛おしいと感じるようになったのはいつからだったか。
手の掛かる部下だったレイナードの頃から庇護対象だという認識はあって、だがレイカだと知ってからはレイナードとは違う女性として扱おうと一歩引いたつもりでいた。
それなのに、国としては前代未聞の寵児としてレイカの確保が最優先、と婚約を命じられた。
そうなると、異世界に突然連れて来られたレイカに同情もあって、歩み寄ろうという気持ちが生まれた。
だが、当たり前のことだが、レイカ自身はレイナードとして装っていた頃から基本的に言動が変わった訳ではなく、やはり非常に危うい手の掛かる人のままだった。
そう気付いてからは、無条件に目の届くところに置いて守るべき存在になった。
その頃から、レイカの周りに親しげに寄って来る男共の存在が気になりだした。
騎士団に身を置く以上仕方のないことだと分かっていたが、それでもつい牽制してみたりと、まだレイカの心を手に入れてもいないのに、婚約者気取りで囲い込もうとしてしまっていた。
もう会うことはない過去の男に傷付けられて、臆病になっているレイカを待ってあげる余裕もない程に。
執着めいた庇護欲が、愛おしいに変わったのは、皮肉なことに呪詛を受けてレイカが外見を変えられてしまってからだったと思う。
普通の女性には到底耐えられないような酷い呪詛を受けたというのに、呆然として文句を言いながらも誰かの所為にはせずに、ただ目の前の問題を片付けようと冷静に行動しているように見えた。
その時になって初めて、レイカが突然レイナードと入れ替わった当初が、どれ程彼女にとって大変だったのか実感を持って分かった気がした。
そして、ただ、抱きしめたくなった。
結果として、あれ程これからは守ってあげたいと心から思っていた筈のレイカに、自分が救われて守られたことには、情け無くてやるせなくて仕方なかった。
自分との未来を考えようと言ってくれたレイカの言葉は嬉しくて、そのまま彼女の与えてくれる幸せに浸ってしまいたいとあの時は思ったが、父と叔父に現実を突き付けられた。
良いように利用されて陥れられたまま、ただ彼女に救われただけの自分には、彼女の想いを受け取る権利はないのだと。
彼女は、破天荒に振る舞って周りを振り回しているように見えて、実は非常に冷静にどうするべきかを考えている人だ。
あれは彼女流の手段を選ばない強行突破の為の仮面なのではないかという気がしている。
だからこそ、振り回された結果、いつも何故か旨い具合に良い結果を引き出しているという現象が起こるのだ。
意図してやっているとしたら、それこそとんでもない策士なのかもしれない。
が、そこは、半分くらいは意図的に、もう半分は性格の本質が招き寄せていることなのではないかと思う。
それならやはり、それを見抜ける自分が彼女の傍にいるべきだろうと考えてしまうのだ。
彼女の傍にいる権利を得る為のこの旅は、必ず成功させなければならない。
と、勢い込んで思考に結論が出たところで、非常に冷たい視線が注いでいることに気付いた。
「シルくん実はさ。詰られるのが好きな奇特な人なの?」
ドン引いた表情でこちらを見ているミーアは、レイカのことを考えて少しだけニヤついていたこちらを誤解したようだ。
「さあな。」
ここは面倒なので適当に流すことにして、街の門に向かって足を進めだした。




