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「あ、やっぱりクイズナーさん? 前のお堅い魔法使い様の雰囲気から、随分砕けた格好に変わっているから、直ぐには気付かなかったわ。」
「・・・まあ、こちらにも色々と。」
「あ、分かってるわよ? お互い色々あるものね? ところで、レイカさんは上手く行ったのかしら? 今回は一緒じゃない?」
主導権を奪い返されたクイズナーと女性の会話に黙って耳を傾けておくことにする。
「ええ、まあ。」
何処か苦い口調で当たり障りなく答えるクイズナーに、女性も苦笑いだ。
「そう。じゃ、レイカさんが助けたがってた人も助かったのね? 良かったわ。でも、エダンミールに表立って何かが起こった様子はないということは、根元までは辿れなかったということよね?」
真面目な顔になった女性の言葉に、こちらも表情が強張る。
何を何処まで把握されているのか分からないが、先程漏れ聞いた彼女の身分を考えると、黙っていていい話しではなさそうだ。
「クイズナー?」
その呼び掛けに、クイズナーが苦い顔付きでこちらに視線を向けた。
「申し訳ございません。レイカ様と共に向かった大神殿への旅の途中でご一緒した方で、その時ある程度の事情を共有しております。」
そんな様子だったが、何処を何処までと詳しく問いただしたいところだ。
「あちらは、メルビアス公国の公女殿下パドナ様です。こちらも明かしますが、構いませんか?」
確認して来たクイズナーに頷き返しつつ、自分から名乗ることにする。
「パドナ公女殿下には初めてお目に掛かります。カダルシウス第二王子のシルヴェインです。どうぞお見知りおきを。」
この名乗りには、パドナ公女は流石に驚いたようで目を見開いた。
「こちらこそ、お会い出来て光栄です。シルヴェイン王子殿下。レイカさんの、大事な王子様ですね? 何処とも知れぬ場所に囚われていらっしゃるとレイカさんが案じていらっしゃいましたけど、ご無事だったのですね?」
そのパドナ公女の言葉に目を見開いてから、台詞の一部を想って少しだけ顔が熱を持った気がした。
「お陰様で。レイカとは親しくして頂いたのでしょうか?」
「ええ。レイカさんはわたくしにとっては誰にも代え難い恩人なのですわ。今こうしてわたくしがここに居られるのも、こうして前に向かえるのも、レイカさんのお陰なのです。」
今こうして前にどう向かっているのかは、少々危うい気がしたが、レイカに対する好感情が見て取れて、微笑ましくなってしまう。
「そうですか。ではレイカに救われた者同士ですね。少し親近感が湧きました。ところで、何故メルビアス公国の公女殿下がスーラビダンの衣装でこちらに?」
「それは、えっと。エダンミールに本当の身分を隠して入りたくて。」
言いにくそうに声を小さくして明かしたパドナ公女に、顔が引き攣る。
「それは・・・是非おやめになった方が良い。」
「そう彼にも言われたのですけれど、外見の認識齟齬の魔法効果を織り込んだベールを付けるなら、スーラビダンの衣装の方が違和感がなくて。」
チラッと護衛を見ながら言うパドナ公女だが、護衛の彼は散々問答を繰り返した末なのか、諦め切った顔になっている。
「それでも、スーラビダンの衣装はおやめになった方が良い。エダンミールでその衣装は、攫ってくれと言っているようなものだ。売られて闇研究者達に人体実験の材料にされますよ?」
濁さずにはっきりと事実を告げると、流石のパドナ公女もギョッとしたようだ。
「え? 人体実験って、エダンミールでは合法なの?」
「いいえ。表立っては非合法ですが、魔法技術を主軸に発展した国家ですから、色々と抜け道があるようですね。」
これまたはっきりと明かしておくと、パドナ公女も流石に押し黙って考え始めたようだ。
「あの。シルヴェイン王子殿下は、そのお姿ですし、公式訪問ではないのですよね? もしもご迷惑でなければ、スーラビダンの衣装はやめますので、王都までご一緒させて貰えませんか?」
やはりというお願いが来て、にこりと他所行きの笑顔が張り付いた。
「大変光栄なお誘いですが、こちらにも事情がございまして。ご一緒は出来ません。」
これまたはっきりとお断りすると、パドナ公女の顔が能面のように凍り付いた。
「・・・ちょっとクイズナーさん? レイカさんってちょっと趣味が変わってる? 優しいふりして全然優しくない王子様じゃない?」
こそっとクイズナーに対して抗議し始めたパドナ公女だが、潜めていてもしっかり聞こえているのだが、こちらへの当て擦りとしてわざとなのか、天然で気付いていないのか、微妙に分からない。
「殿下のこういったご性格は、レイカ様も把握しておられまして、ですがレイカ様も相当ですので、個人的には大変お似合いではないかと。こちらの胃痛問題がなければ。」
こちらにチラッと冷たい一瞥を向けてからのクイズナーの台詞には思わず口元が苦くなる。
今回のエダンミール行きの件ではクイズナーには散々チクチクと言われたが、レイカに置き手紙一つ残さなかったことも含めて、取り合わずに押し通した。
レイカにどれ程嫌われようとも、危険な場所には来させたくなかった。
無事に戻れたら、レイカがどれほどヘソを曲げていたとしても、今度こそ全力で口説き落とすと心に決めている。
その為にも何としても何らかの成果を上げなければならない。
「シルヴェイン王子? レイカさんは、殿下がわたくしをここで見捨てて置き去りにしたと聞けば、きっと心を痛めると思いますの。ですからわたくし、殿下を追いかけて来た妹という設定で、無理やりついて行くという体裁を整えますので、後程またお会いしましょう?」
唐突にそんなことを言い出したパドナ公女に、はっ?とキツい目を向けてしまう。
「公女殿下、冗談が過ぎるのでは? レイカは貴女を私の危険な務めに巻き込んだという方が余程気分を害すると思いますよ? 是非考え直されるべきだ。」
途端にベール越しでも分かる程不機嫌そうになったパドナ公女は、こちらに鋭い目を向けてからさっとクイズナーに視線を移した。
「・・・レイカさんを大好きなのは分かったけれど、それ以外には如何なものかしらっていう王子様ね。これはわたくしから考え直しなさいって言うべきよね? クイズナーさん。」
「・・・パドナ公女、私を間に挟まないで頂きたいのですが? 因みに、レイカ様は誰かにちょっと何かを言われたくらいで趣好を変えてくれるような方ではありませんよ?」
クイズナーの心底疲れたような言い草も中々だ。
「クイズナーさん? レイカさんに対する言葉遣いって、本来はそうなの? 旅の途中では結構雑に不出来な弟子扱いだったじゃない?」
「まああの方、やる事の規模が規格外でしてね。公的身分を与えて上から抑え込む、もとい制御してみることにされたようでして。」
そう言われてみれば、本来なら有り得ないような王女への転身だ。
「はあ。王子の婚約者として認めたということ?」
ピンと来る筈もないパドナ公女の問いに、これまた何処まで明かすべきかと溜息を吐きたくなったが、これは公式発表された事実で、隠す必要はないことではある。
「王女だ。公的には、父の養女つまり私の妹ということになった。」
正直に話しておくと、パドナ公女は案の定驚いたように目を見開いた。
「つまり、今のまま大人しく待っていても、レイカとは一生結ばれる筈がない。だから、危険と分かっているエダンミールに潜入して、危険を承知でこの国の裏に隠れているものを探り出し、我が国に二度と手出しが出来ない程の弱味を手に入れる。これを手土産に、レイカに求婚する権利を手に入れる。」
畳み掛けるようにずんと重たい決意を上乗せしていく。
「という訳で、何処ぞの物見遊山の公女様を連れ歩けるような余裕は全くない危険な潜入捜査だとご理解頂きたい。」
良い笑顔で言い切ったこちらに、神妙な顔をしていたパドナ公女が、唐突にパッと明るい顔になった。
「そう、逆に良かったわ。わたくしのお忍び旅の目的も、最後はちょっと派手な騒ぎを引き起こすかもしれないから。」
笑顔で締め括ったパドナ公女を訝しげな目を向けつつ、チラッとクイズナーを窺った。
「殿下、今直ぐ逃げましょう。この公女様、そういえば中々の押しの強さで厄介ごとに巻き込んでくる人でした。」
腰を浮かしながら言うクイズナーに、ん?と眉を寄せつつ立ち上がった。
「では、お互いの健闘を願って、ここで失礼する。因みにここのお代は先払いしておくから、ゆっくりして行ってくれ。」
言い残して個室を出たこちらを、パドナ公女は謎の笑顔で止めもせずに見送った。
薄寒い予感を抱きつつ、クイズナーと共に街に紛れた。




