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毎朝、離宮に近付いて行きながら、表に面した窓の一つ一つに目を向けて確かめてしまう。
完全に手が届かなくなってしまった愛しい彼女の姿を一目で良いから見たいと願うのは、浅ましいことだと自分でも思う。
それなのに止められないのは、寝ても覚めても忘れられない彼女の温かな魔力や、予想も出来ない突破な言動で物事を動かすのに、自身のことには驚く程に無防備な危うさや、問答無用の強引さの影に隠された凡ゆるものへの優しさや。
誤解され易い自身の性質を分かっているのに守ることを知らない彼女を、どうしても守りたくなってしまう。
守れる程の力もないのに、その方法すら分からないのに、足掻いてみたくなる。
そんな無謀で報いのない想い抱くことを友にも案じられているが、どうしても諦める事が出来ずにいる。
「ケインズ様、おはようございます。本日もご苦労様でございます。聖獣様方もそろそろ降りて来られる筈ですので、もうしばらくそちらでお待ち下さい。」
王女宮の侍従長は50代の物腰穏やかな男だが、王女宮の玄関外でいつも待ち構えていて、一歩たりとも中には入れてくれない。
実のところ王女になってから、彼女には一度も会わせて貰っていない。
自分が彼女に恋焦がれていることは、ついこの間まで出ていた旅の仲間全員と彼女自身にも知られている。
その時の旅仲間からも上の人達には報告済みのことなのだろうと思う。
だからこそ、望みのない自分をいっそ彼女に全く近付けないという方針が取られているのだろう。
「王女殿下は、元気にお過ごしですか?」
つい問い掛けてしまうと、侍従長はふっと優しく目を細めて頷き返してくれた。
「お目覚めになられてからこちら、恙無くお過ごしでいらっしゃいます。王族としての心構えなど、熱心に学んでおられるご様子です。」
そう穏やかに返されると、もう付け入る隙などないのだと思い知らされてしまう。
いつかは少しずつこの想いも薄れて、穏やかな気持ちで忘れ去ることが出来るのだろうか。
じくりと痛む胸をそっと押さえていると、玄関の方からパタパタと足音が聞こえて来る。
「キュウ!」
「キーィ!」
今日も聖獣達は元気にこちらに駆け寄って来てくれる。
それだけで、自分は彼女の役に立っているのだと肯定する気持ちが生まれてホッとする。
一先ずは、それだけを支えに日々を過ごして行くしかない。
割り切るように少しだけ苦みの残る笑みを浮かべて、今日も聖獣達と散歩に出ることにした。
聖獣達は、数回同じ散歩コースを回ると、直ぐにその道順を覚えたようで、2匹で戯れながらそのコースを進み始めている。
元魔物とは思えない程の邪気の無さで、遊びで興奮し過ぎない限りは、大人しくてこちらの言うことも良く聞いてくれる。
旅の途中で彼女が倒れて面倒を見始めてから、簡単な意思疎通がはかれるようになった。
2匹がこちらの言うことを理解しているように、何となく2匹の仕草や鳴き声の調子から、大まかに何を訴えたいのか分かるようになって来たのだ。
同じように側にいた同僚で友人のオンサーさんはそれには首を傾げていたので、幼い弟妹達の面倒を見て来たからこその察し力なのかもしれない。
その日も途中からオンサーさんと合流して、自分達が基礎訓練の間は訓練場の片隅で2匹でじゃれ合いながら待ち、兵舎に向かう散歩コースを歩き始めたところで、兵舎の側ではもう二度と聞く事がないと思っていた彼女の声を聞いた。
信じられない気持ちで近付いた兵舎前で、10何日も姿を見ることすら出来なかった彼女の姿を目にして、思わず驚きに固まってしまった。
そして、その側でこちらを険しい顔で睨む女性の姿に我に返った。
「王女殿下・・・」
丁寧な言葉に切り替えて頭を下げながらした挨拶は、何を言ったのか覚えていない程慌てていて、上擦った声になってしまった。
聖獣達と戯れる彼女レイカさんは、相変わらず眩しくて、堪らなくなる程愛おしい。
少し幼く見える外見とは裏腹に、誰にも物怖じせずかなりはっきりとものを言うレイカさんは、賢いのか無謀なのか分からない人だ。
それなのに、最終的には望む通りの結果を引き寄せているのだから、やはり只者ではないのだろう。
そんなことを考えている内に、驚いたことにレイカさんは側付きの女性とライアットさんを遠ざけてしまった。
驚くこちらに、レイカさんがゆっくり歩み寄って来る。
と、隣にいたオンサーさんがポンと肩に手を置いて一言。
「ちょっとだけ離れてる。きちんと話しをしろよ?」
オンサーさんの気遣いに感謝しつつ、久しぶりに話すレイカさんと目を合わせた。
「ケインズさん。少しだけお話いいですか?」
「勿論。」
即答して、少しだけ嬉しそうに微笑むレイカさんを目を細めて眺めてしまう。
「ケインズさん。まずは毎日コルちゃんやジャックのこと、ありがとうございます。」
元はと言えば、団長殿下が内密に王都を離れるからと手配しておいてくれたことだったが、レイカさんが目覚めれば毎日会えると下心もあって引き受けたことだった。
勿論、旅の途中に懐いてくれるようになってから聖獣達を可愛く思うようになっていて、守護の要再稼働後にレイカさんが倒れた後2匹のことが心配だったということもある。
「ううん。レイカさんの言う通り、2匹には癒されてるから。全然大丈夫。」
何か決定的なことを切り出せずに、そんな当たり障りのない返事を返してしまう。
「ケインズさん、あの、ですね。王弟殿下から、今は誰とも噂になるなって言われてて。周りの人達にもさり気なく色々と制限されてるみたいなんです。」
それは申し訳なさそうに言うレイカさんに、口元を少しだけ苦くしながら首を振る。
「仕方ないって分かってるよ。今の俺ではレイカさんに全く釣り合うところがないし。俺の気持ちだけで、レイカさんに迷惑掛けたくないし。でも、諦め切れないから、ごめん。これからもレイカさんがどうなっても、多分ずっと好きだ。」
無意味な告白だと分かっていても、一方的な押し付けの想いに、レイカさんが負担に思うかもしれなくても、やっぱり気持ちを偽ることは出来なかった。
「・・・ありがとうございます。ケインズさんのそういう真っ直ぐなところ、凄く素敵だと思います。私、自分でも相当面倒な人間だなって思ってます。こういう素直で可愛くない性格が、過去の失敗の原因なんだろうなって、今でも思うし。特に今は、厄介な名前だけ王女っていう肩書きを背負ってるし。これは、行き遅れ確定だなって最近思ってて。」
そんな言葉を目を逸らしたまま、何でもないような口調で言おうとして、それなのに少しだけ瞳を潤ませたレイカさんを、抱き締めたくなって、ギュッと拳を握り締める。
「そんな、訳ない。レイカさんは可愛い。誰よりも。俺が保証するから、過去の奴のことなんか忘れて欲しい。」
悔しくて途切れる言葉を必死に紡いでいると、微笑み返してくれたレイカさんの目にそれでも涙が溜まっていた。
「ありがとう。でも私、王女になる前の晩に、シルヴェイン王子に結婚を前提に付き合って欲しいって告白してて。でも、王女になってから流れてて。」
その予想外の告白に、ズキリと胸が痛んだが、言い切った途端に俯いてしまったレイカさんに、更に胸が締め付けられるような気がした。
「・・・そっか。レイカさんは、やっぱり殿下が好きだったんだ。でも殿下は、レイカさんへの想いよりも色んなしがらみを重視したんだな。」
それには、反発を覚えると共に、殿下らしい潔癖さだとも思えた。
「王族だもんな。俺達には分からないような大きなものを背負っていて身動きが取れないこともあるんだろうな。でも、今レイカさんをこんな風に泣かせたままなのは、ちょっと許せないな。」
正直にそう口にすると、レイカさんが驚いたように目を見開いた。
そのお陰で堪えていただろうにこぼれ落ちた涙をそっと一度だけ指先で拭う。
「ケインズさん・・・。」
瞬時に赤くなった顔を振り払うように首を振ったレイカさんは、グッと唇を噛み締めるように顔を上げると、真っ直ぐこちらを見上げた。
「でも、悔しいから、これから追い掛けようと思ってるんです。それで無事に連れ戻せたら。しばらくは、お兄様って呼んで可愛い妹に徹してやろうと。」
意味が分からずに、ん?と目を瞬かせてしまった。
「妹じゃ嫌だから結婚して欲しいって言ってくれるまで、許してあげない方向で。」
「え?」
マジマジと見詰める先で、レイカさんが良い笑顔になった。
「・・・・・・そっか。それで、行き遅れても殿下の求婚を待つって、そういうことなんだな。」
何故かは分からないが、ストンと何かが落ちて来たように、自分が完全に失恋したことを受け入れられたような気がした。
涙を拭った手をもう一度上げて、今度はレイカさんの頭にポンと優しく乗せた。
さっきまでは絶対に出来ないとあれ程躊躇っていた筈なのに、今は抵抗もなくポンポン撫でると、大きく息を吸い込んだ。
「分かった。頑張ってな。応援してる。」
嘘偽りなくそう口に出来たことに満足して微笑むと、レイカさんが驚いた顔になってからやはり嬉しそうに頷きながら微笑み返してくれた。
「俺も、レイカさんのお兄さん枠に立候補しようかな。殿下を焚き付ける役、引き受けるよ。」
そんな言葉まで返せてしまったことには自分でも驚いた。
「その時は是非お願いします。」
にっこり遠慮なくこちらに微笑み返して来るレイカさんは何処かホッとしたような表情で、兄枠でしか得られないこの笑顔も悪くないと思った。




