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辺境の街ルダートを出て、エダンミール国内へ向けて街道を進み始めると、直ぐに砂埃が舞い灰色のデコボコした岩肌が露出した荒れた大地が見えて来た。
エダンミールとはこれまで友好国として付き合って来たが、自分がエダンミールを訪問したことはなかった。
あちらはクリステル王女やサヴィスティン王子を定期的にカダルシウスに派遣していたが、こちら側からは王兄のファーバー公がエダンミールに訪問することが殆どだった筈だ。
今にして思えば、だからこそファーバー公が呪詛を操り魔王信者共と通じていたのだろうと関連付けられるが、ファーバー公が兄である王太子に呪詛を掛けたと聞いた時にはその動機が分からず随分と困惑したものだった。
そうやって全てが謎に包まれたまま秘密裏に進行していたエダンミールの侵略は、異世界から中身だけ引き寄せられて入れ替わったレイカによって見破られ防がれた。
彼女の、完全に敵の裏をかく鮮やかな手並みには、あの全てにおいて厳しい叔父上すら感嘆してその功績を認めたのだという。
レイカは、いつも適当な匙加減で自由に動いているように見えて、彼女自身の中では必要な事を順序立てて行っているだけのようなのだ。
但し、その行動の意味を周りに一々説明しないので、周りはひたすら振り回されているように感じるのだろう。
だが、彼女のその行動原理を読み解くと、彼女が少々お人好しで優しく温かい心の持ち主なのだと分かる。
そんな彼女を、その厄介な性質を知っても尚、愛おしいと欲してしまった以上、これまでの自分では駄目なのだと感じた。
これまでのように周りに求められる役割を期待値通りにこなし、兄である王太子を立てて、目立ち過ぎず飛び抜けず。
それだけでは、愛しいレイカをこの手に引き寄せる権利を得ることは出来ないとはっきりと感じた。
そんな訳で、今回の件へのエダンミールの関与について、改めて行われることになった調査に、半ば強引に志願して加わった。
守護の要を再稼働させてから倒れたレイカが、目を覚ますのを待つ事は出来なかったが、どの道今の自分では彼女に会っても想いを伝えること一つ許されない。
本来なら国内の魔物問題への対処を第二騎士団団長として指揮して遠征に出る時期ではあったが、前回の出征の記憶も新しい今、再び自分が第二騎士団を率いて王都を出ることに、民に不安が広がっているということで、何隊かを隊長に任せて出征させることに決まった。
つまり、自分だけが王都から離れられず、だが守護の要が復活した王都には魔物が寄り付かない為、治安維持に第二騎士団が大々的に出る必要もない。
つまりは、余り表立ったことも出来ず、暇なのだ。
それは休養期間だと思ってゆっくりするようにと父王や兄や叔父にまで言われたし、補佐官のランフォードにも滞っていた書類仕事をこなしつつ、こっそりとレイカに会いに行って親交を深める期間に当てれば良いと言われたが、どうしても納得し切れずに、こっそりと飛び出すようにクイズナーだけ連れてエダンミールに向かってしまった。
「辛気臭い顔ねぇ。故郷に忘れ難い恋人でも置いて来たのかしら?」
王都の“魔王を願う会”の支部に連れて行くと約束してくれたミーアだ。
“魔王を願う会”の幹部の1人なのだそうだが、実際の役職や地位などは明らかにしなかった。
ただ、ルダート支部の支部長がかなり丁重に扱っていたので、相応の地位のある人物のようだ。
断片的な話を繋ぎ合わせると、辺境のルダートまでふらっと人材発掘とスカウトに来たようだが、余りのタイミングの良さに、怪しさも感じる。
だが、こちらがカダルシウスの王子だとまでは見抜いていないようなので、そのまま堂々と成り上がりたい元貴族崩れのお坊ちゃんを演じておくことにしようと思う。
「さあな。」
演じる間でも無く不機嫌な声が出て、ミーアにはにやにやと笑われた。
「元貴族なら親から受け継いだ魔力のお陰で魔力には自信があるってことね。それなら、程度次第では魔王の魔力持ちを生み出す実験の片親役になれるかもね。」
そんな言い方をして、揶揄してくるミーアに、ブスッとした表情を向けつつ、その実験で生み出された可能性の高いレイナードのことが思い浮かんだ。
自分の母親も被害者の1人だった可能性が高く、それならば、もしかしたら自分自身も実験結果の一つなのかもしれない。
そして、そのレイナードの身体を譲り受けたレイカは、本当ならエダンミールが喉から手が出る程欲しい被験体なのではないだろうか。
元から余り良い感情の湧かなかったエダンミールのサヴィスティン王子だが、レイカがその手に落ちていたらと考えるだけで、かなり面白くない気持ちになる。
「そういう実験の道具になるのはゴメンだな。」
「そう? それじゃ、もっと汚い人様には言えないような実験でもしたい側? 見掛けによらないわねぇ。」
相変わらずの揶揄する台詞に、思わず不快気な顔になってしまった。
「ふふふ。本当に真っ直ぐなお坊ちゃまよね? 魔王信者として成り上がりたかったんじゃないの? 本当に分かっているのかしらねぇ? 魔王を求めるということが、どういう事なのか。」
面倒な絡み方をされているようにも感じるが、ミーアはこれでこちらの本音を探り出そうとしているのかもしれない。
掴みきれない女性だが、彼女を頼りにエダンミール王都に潜伏しつつ隙を見て調査を進めなければならない。
しばらくは、この面倒なやり取りを無難に躱していくしかないようだ。
「まあ良いわ。それにしても貴方、綺麗な目の色よね? 赤に寄った紫色? 艶やかな黒髪も悪くないわね。」
潜入捜査の為に、髪を黒く染めておいたが、瞳の色だけは下手に変えずにそのままにしておいた。
魔法を使って変装することも出来なくはないが、見破られれば魔法解除される可能性を考えると、やはり原始的な髪色を変える変装が発覚しにくく維持も楽だ。
「でもね。もしも出奔先から追っ手が掛かる可能性があるなら、目の色を変える魔道具でも使った方が良いかもしれないわね。」
なるほど、エダンミールには変装の為の魔道具も普通に存在するようだ。
つまり、然るべき場所では魔法での変装にはしっかり対策がされているということだろう。
「でも、そのくらいのこと、貴方の魔法の先生だったかしら? 彼なら想定してそうなものだけどね?」
そのミーアの台詞には内心どきりとしつつ、平静を装って返す。
「確かに、クディには色々と偽って入る提案もされたが。まずは認めて貰えなければ意味がないから、王都に入るまでは偽らないことに決めて来たんだ。」
尤もらしい言い訳を捻り出していると、ミーアはへぇ、と感心したような声を上げた。
「それじゃ、王都に着いたら顔の印象を少しだけ変える魔道具を贈ってあげましょうか?」
これまたにやりと笑いながらそんなことを言い出したミーアには、にこりと笑顔で一言返しておく。
「助かる。」
それにミーアは、毒気を抜かれたように目を瞬かせて肩を竦めた。




