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と、何処からかピュルル〜とイースの鳴き声が聞こえて来ました。
『我が君、開始しましょう。』
姿は見えませんが、恐らく対角線上にいる筈のノワに頷き返します。
「呪詛進行抑制結界展開。」
聖なる魔法をコルちゃんとジャックのほうに向けて広げて行きます。
これには相応の魔力消費が来て、始めは少しキツい気がしましたが、コルちゃんとジャックに届いたところからは消費が大幅に緩んで、あっという間に4点を繋いだ四角形が上空に5メートル程立ち上がって立体化した結界の展開が終わりました。
「レイカさん! イースとエールに魔物への火炎放射で良いのか? 出力は限界一杯まで行くのか? 周りは気にする必要があるか?」
ライアットさんから拡声魔法で声が届きます。
それと共にイースとエールの羽ばたきの音と近付く姿が目に入りました。
「火炎放射を魔物に確実に思いっ切り当てに行って下さい。魔物を焼却してしまいたいので。」
こちらも拡声魔法をライアットさんに向けて展開します。
これに対する返事は手で了解の合図が返って来ました。
ライアットさんが騎獣するイースとそれに続くエールがそれぞれ魔物の真上に来たところで大きく開いた口から火炎放射を浴びせて行きます。
動けない魔物は当然直撃を喰らいましたが、鼻を覆いたくなる程の焼却臭とは裏腹にまだ暴れるように動いています。
「ライアットさんもう一回いけますか?」
上空に向けて問いかけると、合図でバツが返って来ます。
そういえば、野生のハザインバースは火炎と酸化液を順に体内生成すると聞いていた気がします。
「焼き払え!浄化の炎!」
と、唐突に横合いから聞こえた聞き覚えのある詠唱の声に振り向くと、いつの間に来ていたのか、シルヴェイン王子が魔物に向けて火魔法を放っています。
炎の塊が魔物に吸い込まれるように向かっていって、衝突すると共に火力を上げて烈しく燃え盛ります。
「燃え上がれ葬送の浄火。」
反対隣からも覚えのある声が聞こえて、クイズナー隊長から温度の高い火炎魔法が付加されました。
更に燃え上がった魔物が灰になって崩れ落ちて行き、チラチラ見え始めていたバイオハザードマークのような物質も完全に消失したようです。
流石は第二騎士団でもトップクラスの魔法の使い手二人ですね。
「ここまでやらないと滅却出来ない仕掛けが、後どれだけ用意されてるのか、気が遠くなって来ましたね。」
ついぼやくようにそう溢してしまうと、シルヴェイン王子とクイズナー隊長に同時に物凄く嫌そうな顔で振り返られました。
それはそれとして、すっとしゃがみ込むと足元の魔法陣にちょんと触れて魔力を流すと、パキパキッと音を立てて魔法陣が崩れて行きます。
同時に魔法陣から立ち上がっていた細い無数の呪詛も形を失って消えました。
「大掛かりだな。これだけの仕掛けは流石に何個も用意出来なかった筈だ。ここと、守護の要の中で終わりだと思いたいな。」
テンフラム王子が魔法陣跡に触れて何か確かめながらそう言ってくれました。
「本当そうですよね。さて、本命行きましょうか。」
呪詛進行抑制の結界魔法の維持を止めると、コルちゃんとジャックがこちらに戻って来ます。
「レイカ、大丈夫か?」
シルヴェイン王子がこちらを覗き込むようにして声を掛けてくれます。
「大丈夫ですよ。まだまだこれからが本番ですからね。頑張りますよ。」
そう笑顔で返すと、シルヴェイン王子が少し目を細めて心配そうな顔になりました。
「済まないレイカ、守護の要には付いて行ってやれないが、カリアンや腕の良い王城魔法使いが補助してくれる筈だ。」
シルヴェイン王子はそういっていつものように頭に手を乗せ掛けたところで、その手を横合いからバンフィードさんが遮りました。
「シルヴェイン王子殿下、今の王女殿下には神聖なる魔力が満ちておられます。神の御力の代行者たる聖女様にはお触りになられませんように。」
私も我慢してるんですから、と心の声が漏れ聞こえて来そうな切なそうな顔付きで拳を握っているのは、気の所為だと目を逸らすことにしました。
「そうか。・・・レイカ、その、済まない。今言うべきことではないのかもしれないが。昨晩あの後父上と叔父上に、レイカとの婚約話は一度白紙に、と言い渡されてしまった。」
「えっ?」
これには流石に驚いてシルヴェイン王子の顔を見上げてしまいました。
「今回の件が無事に済めば、レイカの功績は国内外にも轟く程のものになる。しばらくはレイカが王女として国に所属する立場を強く表明した方が良いだろうと。」
それは何となくそうした方が良いから、今日の謁見の間での流れになったのだろうと思っていました。
「それじゃ、シルヴェイン王子は別に婚約者を決めることになるんですか?」
不満を隠し切れない声になっているかもしれません。
「いや、私も今回色々あったということで、婚約はしばらく先延ばしにすることになりそうだ。それに、レイカとのことが永久に駄目という訳ではないと。しばらく時を置いて、私のこともレイカのことも熱りが冷めたら或いはと。」
その曖昧表現は狡いとしか言いようが無いものです。
ですが、今回やらかした感満載のシルヴェイン王子には、国王の采配で救われた状況だけに、この決定には逆らえなかったのでしょう。
「はあつまり。私のなんちゃってプロポーズは無効ですか。」
つい腹立ち紛れにそんな言葉を吐き出してしまうと、シルヴェイン王子の瞳がそれは辛そうに揺れました。
「あー、今のなしで。良いです、良いんですよ。シルヴェイン王子がお兄様とかきっと役得ですからね。兄弟関係を盾に離宮に入り浸りたい放題じゃないですか。偶にご飯食べに行きますから、料理人さんに好みの味付けとか覚えて貰おうかな。」
言いながら、ちょっとマズイかもと俯き加減になってしまいました。
「おい。お兄様にはさっさと退場して貰おうか。お姫様にはこれから大仕事が待ってるんだ。邪魔するなら出て来ずに引っ込んでれば良かったんだ。」
テンフラム王子がかなり剣呑な口調で割って入ってくれたようですが、顔を上げられなくなっています。
「テンフラム王子。殿下もまだ混乱しておられるのですよ。そのくらいにして差し上げて下さい。」
クイズナー隊長が横から声を掛けてその場をとりなしてくれてホッとしますが、シルヴェイン王子の顔は見られなくて、取り敢えず一歩下がってくるりと踵を返しました。
「それじゃ、行きますね。」
なるべく平気そうな声を心掛けて口にすると、馬車に戻るように歩き始めます。
「レイカ・・・。」
シルヴェイン王子の震えるような小さな呼び声が聞こえたような気もしますが、振り返れずにいる内に、足元にコルちゃんとジャックが擦り寄って来ます。
「我が君。殴って来ましょうか? それとも泣きたいですか?」
ノワが相変わらずジャックの頭から顔を覗かせて、そう声を掛けて来ます。
「いい。大体ノワが殴るって、虫にぶつかられるくらいのものでしょ? 殿下も私もお互い忙しいんだからそういうつまらない邪魔はしないで。」
声が震えないように気を付けながらそう返して、深呼吸を繰り返します。
「振り出しに戻っただけで。またゆっくり考える時間が出来たと思うしかないでしょ?」
自分に向けた言い訳を口にしながら、目に力を込めて溢すまいと頑張ります。
「あはは。今がお触り厳禁状態で良かったかも。この隙にって抱き締めて来ようとする人が色々出て来そうで。本当、困った美人顔だよね、ランバスティス伯爵家の血筋って。」
喋り続けていると少しずつ気持ちが落ち着いて来る気がします。
「・・・我が君。やり切れない怒りは呪詛分解や守護の要修復の精度に転嫁しましょう。それから、終わったらやけ酒に思う存分付き合いますよ。」
「いや、やけ酒は駄目だって。そもそも失恋やけ酒の自暴自棄が今を招いてるからね。」
少しだけ冷静になってそう返していると、途端に乾いた笑いが浮かびました。
「やっぱり、恋愛向いてないのかも。一生王女で独身でもいいかなぁ。中身はともかく、顔だけイケメンは周りに揃ってるし。目の保養に事欠かないよね?」
馬車に戻ると静かに周りを囲んでくれていた護衛騎士の皆さんがさっと扉を開けてくれて、コルちゃんを抱っこして乗り込むと、ジャックが続きバンフィードさんとテンフラム王子がこれまた静かに乗り込んで来ました。
「えー、では。今度こそ守護の要に向かいます。」
リーベンさんがそう声を掛けてくれてから扉が静かに閉まりました。




