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守護の要を囲む魔法陣のフロアに降りる階段の向かって右下に、リーベンさんがザッと作ってくれた檻は、ネズミ魔物が逃げられないように縦横に細かく張り渡された鉄製の格子で出来ていました。
予め風魔法を刻んだ魔石と魔法物理無効化結界の為の魔石を檻に嵌め込むように風魔法と土魔法を駆使して設置します。
檻に呪詛不透過の結界魔法をかけてから、いよいよ転移魔法の時間です。
守護の要周辺に寄り集まった呪詛の帯はどんどん完成に向かっているようですが、ここは焦らずじっくり行きます。
右肩の上で待機していたノワが、掲げた右手の腕の付け根に小さな手を当てて補助してくれるようです。
深く息を吐いて気持ちを落ち着けると、口を開きます。
「ネズミ魔物と病原体を檻の中に転移。」
イメージを明確に、魔力を乗せて唱えると、瞬時に魔物達が檻の中に移動すると共に、気付けばバンフィードさんに背中からホールドされるように抱き抱えられていました。
一瞬、意識が飛んでいたようです。
流石に身体が怠くて、バンフィードさんに離して欲しいと言えずに、凭れかかったままモルデンさん、カリアンさん、シルヴェイン王子が入れ替わりで魔法をかけるのを見守りました。
「レイカ、大丈夫か?」
氷結魔法をかけ終えたシルヴェイン王子がこちらを覗き込んで来ます。
「まあ、何とか。」
そう答えると、シルヴェイン王子の眉が下がって、頭に手が伸びて来ます。
「キースカルク侯爵の屋敷まで気を付けて帰って、とにかくこの後はゆっくり休むんだぞ?」
フードの上から優しく撫でる手を見上げていると、ふっと小さく微笑まれました。
「明日、皆の前ではっきりと潔白を証明したら、迎えに行く。だから今夜だけは側にいられないことを許して欲しい。」
「・・・えっと? 迎えにって? 明日??」
いきなりな急展開に驚いて問い返すと、シルヴェイン王子がにやりと笑いました。
「レイカの周りは油断ならない者達ばかりだからな。うっかり掠め取られたりしないように、早めに確保しておかなければな。」
「はい? 確保って監禁愛的なものはお断りですけど? 殿下ってそういう危ない人なんですか?」
引きつり気味に問い返すと、シルヴェイン王子にはふふっと意味深に笑われました。
「まさか。大人しく監禁などされないだろうに、よく言う。だが、疑う余地もなく私の想いを信じられるように、口説き落とす。」
「えーっと、別に疑ってないですけど? どうしてって不思議には思いますけど。」
シルヴェイン王子の中で、何がどうなって今に至るのか、それはちょっと気になるような気がします。
と、シルヴェイン王子が頭をポンポンしてから、少しだけ困ったような顔になりました。
「いつからどうしてというのは、少し説明が難しいな。だが、レイカと関わった全てを集約して、今君を愛おしいと思う。他の誰にも譲りたくない。周りにも君とのことを認めさせるし、必ず君を振り返らせる。」
その濁すところのない大宣言には残念な体勢であるにも関わらず真っ赤になってしまいます。
「ちょっと、それは後にしましょう後に!」
大慌てで遮ると、ふっと余裕の笑みを返されました。
やっぱりこの方、相当俺様体質ですね。
これから苦労しそうな気がするのは気の所為でしょうか?
「では、レイカ様はこのまま私がお連れしますので。」
バンフィードさんが言うなりさっと体勢が変わってお姫様抱っこ状態に抱え直されていました。
この無駄のない運搬体勢への移行に乾いた笑いで突っ込むのを諦めたところで、頬をツンツンされる感覚に横向くと、ノワが守護の要の台座の辺りを指さしています。
凝らした視線の先に、薄暗い影のような人のシルエットが目に入って、ギョッとしました。
「待って。」
移動し始めようとしていたバンフィードさんの腕に手を掛けて止めると、台座の隣に立つ人影に真っ直ぐ強い視線を向けます。
「レイカ様?」
バンフィードさんが視線の先とこちらを交互に見てから訝しげに問い掛けてきますが、答えずに人影に注目しておきます。
その人影がこちらを向いて、ふっと困ったような笑みを浮かべた気がしました。
「・・・何か、居るのか?」
シルヴェイン王子もこちらの様子に気付いたようです。
「どうなんでしょうね? 何がしたいんだか。まあ一つだけ確かなことは、何をしても向こうには筒抜けだってことなんでしょうね。しかもあっちは制約がないように見えるんだから、納得出来ないというか、どうなってるんだか。謎過ぎるんですよね。」
「は?」
思ったことをダラダラ口にしてしまうと、流石に事情を知らないシルヴェイン王子には眉を寄せて問い返されました。
「いいえ。こちらの話です。こればっかりは、明日はっきりするのかしないのか。まあ、考えても仕様がないことですよね。」
そんなことをブツブツ呟いている内に、人影はいつの間にか消えていました。
「・・・また、敵方の魔人か?」
「まあ、そんなとこじゃないかと。」
答えた途端に周りの空気が緊迫しますが、それに頭を振ります。
「もう居なくなりましたよ?」
「・・・そうか。」
ホッとしたような微妙な返事があってから、シルヴェイン王子は王太子達の方へ向かって行きました。
「それでは、後のことは殿下方にお任せして、レイカ様をお送りしましょうか。」
リーベンさんの呼び掛けで、今度こそ馬まで移動することになりました。
乗ってきた馬の鞍に横向きに乗せられると、直ぐにバンフィードさんがその後ろに乗ります。
しっかりと抱え込むようにホールドされて出発準備が整ったところで、不意にバンフィードさんが沈黙を破って声を掛けて来ました。
「レイカ様は結局、シルヴェイン王子の求婚をお受けになるのですか?」
改まって聞かれた理由が分からずに首を傾げると、側であちらも騎乗したリーベンさんがかすかに笑い声を立てたようでした。
「まあ、あの状況であの勢いでは断り辛かったでしょうが。我々は、レイカ様がシルヴェイン王子殿下と結婚されなくとも、貴女自身が殿下と呼ばれるお立場を選択されるのでも悪くないと思っておりますよ? 王弟殿下からは、そうなる可能性を含めて話を貰っておりますからな。」
この発言には、これまた胃が痛くなる気がしましたが、確かにじっくり考えた方が良いのかもしれません。
「私、シルヴェイン王子のことは割と好きだと思います。殿下とだったら結婚も悪くないかもって思えるくらいに。だから、こちらから付き合いましょうって言った訳だし。でも、向けられるのと同じくらいの気持ちは、まだ育ってないとも思えて。」
迷う気持ちを思い切って口にしてみると、2人にはふっと笑われました。
「余計なお世話かと思いますが、それはケインズに向ける好きとは違いますか?」
そう踏み込んで聞かれて、バンフィードさんに苦い笑みを返してしまいました。
「私も、楽な方に逃げようとしてるのかな? そろそろ逃げずにケインズさんとのことにも向き合うべきですよね?」
正直、傷付いた過去を引きずって恋愛に臆病になっていたから、ずっと見て見ぬふりを続けて来たようなものでしたが、そろそろ本当に向き合うべき時が来たんでしょう。
「恋愛って難しいですよね? 誰かを傷付けたり傷付いたり。どっちも嫌だなって食傷気味になっても、知らない間に何処かに気持ちは育っていて。」
つい弱音を吐き出してしまうと、リーベンさんが肩を竦めました。
「そういう時は、自分の気持ちを優先しましょう。そしてそれをはっきり相手を含め周りに伝えることですな。その方が、結果として誰かを過剰に傷付けずに済む。下手な気回しがかえって相手や自分を傷付けることになる場合もありますからな。」
確かにその通りかもしれません。
「あれ? でも、私って自分の気持ちだけで色々決めて良い立場なんでしょうか?」
ふとそんな疑問が浮かんで来たところで、リーベンさんにまたふっと笑われました。
「今なら、レイカ様の我儘も大抵のことなら通りますよ。そういう時に通しておけば良いんですよ。」
成る程という優しいお言葉です。
「そうですね。とにかく帰ったら早く寝て、明日は思いっきり戦って勝ちを掴み取ったところで、自分の気持ちを聞いてみます。」
胸に手を当てて答えると、バンフィードさんの手がポンと頭に降りて来ました。
「私とアルティミアも、色々あって今を迎えています。その今を迎えられたのは、貴女のお陰だ。私はこれからレイカ様が何を選ぼうと、それを尊重して味方でいますから。」
そんな相変わらずの重めの宣言が来て、思わず笑ってしまいました。
「はいはい。頼りにしてますね。でも、アルティミアさんへの愛情表現は、私への発言の十倍くらいの重みでお願いしますね。」
「言われる間でもありませんね。」
しれっと言い切ったバンフィードさんですが、それはそれでちょっとアルティミアさんが大変かもしれないですね。
そこは頑張ってと心の中でエールを送っておくことにしようと思います。




