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神殿を出て夕暮れの街を貴族のお屋敷街に向かって歩き出すと、じんわりと疲労もあってまったりとした気分になってきました。
「レイカさんお疲れ様。」
ケインズさんが並んでそう話し掛けてくれました。
「ケインズさんもお疲れ様でした。テン様呼んできて貰ったり、色々ありがとうございました。」
「そんなの良いよ。レイカさんがこの国の皆んなの為に、本気で取り組んでくれてるのが分かって凄く嬉しかったし、有難いことだと思った。」
そう心の込もった賛辞が来て、照れ臭くなってしまいます。
「えっと、そんな褒められたことじゃないかもしれないですよ? これからのことを考えての打算もあるし。私がやったことなんか、大きな湖に小石を投げたくらいのものかもしれないし。」
「それでも、出来ることを精一杯やってくれてるのは分かるから。それに、神殿でのあれは、小さくなんかないと思う。」
そう返してくれたケインズさんが少しだけ何処か寂しそうな顔をしているように見えて、思わずその顔を覗き込んでしまいました。
「ケインズさん? 何かありました?」
口の端を少しだけ持ち上げたケインズさんは、笑おうとして笑えなかったような顔になっています。
「ごめんレイカさん。」
思い切ったようにこちらを向いたケインズさんは、思い詰めたような硬い表情です。
「俺、ここから別行動しても良いかな?」
そんな思い詰めるような話しかと目を瞬かせていると、ケインズさんが真っ直ぐこちらを見つめ返して来ます。
「殿下にレイカさんを頼むって託されたけど、レイカさんにはバンさんが付いてくれてるから。俺は第二騎士団の誰かとこっそり接触しようと思う。今の自由に動ける利点を活かして、俺も第二騎士団や殿下の為に出来ることをしたい。」
決意を込めて言い切ったケインズさんは、引き締まった良い顔をしています。
「良いと思いますよ。私の身の安全は、バンさんもですけど、王弟殿下にも気遣って貰えてると思います。それに、これから向かうキースカルク侯爵のところでも守って貰えると思うんですよね。だから、こちらは気にせず。ただ、軟禁されてる誰かと接触出来るアテはあるんですか?」
その問いにもケインズさんは慎重に頷き返してくれました。
「さっきハイドナーと少し話した時に、これならイケるかもしれないって。」
ここで出て来たハイドナーの名前には驚きましたが、そう言えばハイドナーとケインズさん達は護衛術を手解きしていたりと個人的な付き合いがあったようだと思い出しました。
「そうですか。ハイドナーはちょっと詰めが甘そうなところが無きにしもなので、色々気を付けて貰いつつ。でもケインズさんが後悔しない方向で頑張って下さい。」
「うん。ごめん、ありがとう。」
言葉に詰まったように返事に謝意だけを乗せたケインズさんに微笑み返します。
これを決断するのに、随分とケインズさんを悩ませてしまったのかもしれません。
「いえ。こちらこそありがとうございます。第二騎士団と殿下のことは、これ以上私には出来ることがなくて。明日からは守護の要の修復のことに掛かり切りになると思うから。」
今日一日、汚れても良い丈夫な服だからという言い訳にするつもりで第二騎士団の制服を羽織って活動したのは、自分に出来るせめてものことで、第二騎士団の宣伝活動の為でした。
第二騎士団の中で、今唯一捕まえに来られない猶予を王弟殿下から貰った立場を、最大限に利用してみました。
全体から見たら小さな一石かもしれませんが、こういうのが持っていきようによっては後で大きな一手に擦り替えることが出来ると思ったからです。
「うん。レイカさんが守護の要の修復に安心して打ち込めるように、こっちのことは精一杯頑張ってみる。」
力を込めて言い切ってくれたケインズさんにやはり嬉しくなって微笑み返してしまいました。
「はい。でも、無理せずで。ケインズさんの無事が一番だって思ってて下さい。じゃないと私も頑張れませんからね?」
そう付け加えると、ケインズさんも目を細めて小さく微笑み返してくれました。
「勘違いだって分かってるけど、嬉しくなる。やっぱりレイカさんが好きだ。せめて今回の色々が終わるまでは、想ってることを許してほしい。」
熱っぽい瞳に変わったケインズさんにどう答えて良いのか分からずに戸惑っていると、小さく苦笑したケインズさんがすっと一歩離れました。
「それじゃ、行ってくるね?」
また顔付きを改めたケインズさんがそれだけ残してさっと踵を返しました。
「あ、行ってらっしゃい! 気を付けて。」
どうにかそう返してその背中を見送ります。
「・・・ずるいなぁ、もう。」
思わず漏れた一言に、少し後ろを歩いていたテンフラム王子が隣に並びました。
「ふうん? 今のでぐらっと来たのか?」
そんな無遠慮な一言に苦笑が浮かびます。
「なんかズルいですよね男子って、不意打ちで真顔になって前向き発言されると、途端に10割り増し格好良くなって。それにあんなこと付け加えられたら。」
溜息付きでそう続けると、テンフラム王子にぷっと笑われました。
「あー残念だな。それでも恋愛脳にはならないわけか。同情するなケインズ。」
「ちょ! 何勝手なこと言ってるんですか。ケインズさんは元から格好良い人なんですよ? 私じゃなくても、もっと可愛くて性格も良い子と出会って、幸せになるかもしれないじゃないですか。」
少しだけ口を尖らせつつ言い募ると、テンフラム王子にはまた溜息を貰いました。
「お前な、何か勘違いしてるようだから言っておくがな。お前の言う格好いい人って言うのは、生まれた時からそうなわけじゃないんだぞ?」
「それは分かってますよ? 人の人格は生まれ育った環境とか出会った人や出来事を通して構築されて来たものってことですよね?」
それは、分かってます。
だからこその先程の主張なのですが。
「そうだ。そこが分かってるなら、よく良く先のことも考えてみるんだな。」
それには目を瞬かせてしまいます。
「あのな、ケインズは今のお前から見て格好いい奴なんだろ? そのケインズはこれからも色んな出会いがあったり困難にも遭うだろうな。その一つ一つの積み重ねが10年後20年後のケインズを作っていくんだ。」
それはそうでしょうとも。
「そのケインズがお前を選んで例えば一緒に生きていくことにしたとする。それは、ケインズにとっては正直言って物凄く大変な相手だと思うぞ?お前は。まず、お前のその滅茶苦茶な行動力と突飛な発想やら知識、国を動かす程だから相当だ。それから、異世界から来た寵児としての立場。国から間違いなく囲い込みを画策されるだろうしな。実際王子様と婚約の話しが出てる。」
だからこそ、ケインズさんとの先を考えられないと思っているんです。
「だけどな。さっきも言ったが、人ってのは生きていく過程で出会った人や出来事から受けた影響を消化しながら、少しずつ成長したり変わったりしながら生きていくものだ。それに誰かが正解不正解を付けられるのか? そもそもその人がどう消化してどう成長するのかは、そいつの考え次第じゃないのか?」
それには、確かにとハッとさせられました。
「ケインズがお前と生きると決めたなら、それはそういう覚悟を決めたってことだ。後はお前がそのケインズとどう生きるかだけだ。」
確かに、自分の存在が相手に負担を掛けるとばかり考えていましたが、それを包み隠さず伝えた上で受け入れてくれるのなら、2人でこれからをどうするのか決めていけば良いことなのかもしれません。
「う、そうですけど。でも、ハイリスク過ぎる私を受け入れて下さいっていうのは、物凄く気が引けるじゃないですか。」
と、ポンと頭に手が乗りました。
「まあな。生まれながらに王子だった私とお前では違うんだろうが。私だってな、2人の妻を迎えるに当たって、そして迎えてからも、それはそれなりに色々あったんだぞ? でも、今はそれなりに落ち着いてる。だからお前みたいな面倒ごとを山程抱えてそうな奴でも3番目の妻に迎えようと言える余裕のある人間になった。それは、私にとっては長所の一つだと思ってる。」
そう言い切れる程の自信に満ちたテンフラム王子のことは、正直に羨ましいと思います。
「ま、そういう色々はあるが、今回の件がすっきり片付いたらもう一度改めて考えてみたら良い。今は目の前のことに集中してろ。」
そう言って、テンフラム王子はもう一度頭をポンと撫でてくれました。




